そいつには、稲荷の眷属である俺が最初から見えたらしい。
境内に生える木の枝に腰掛けていると、

「おにいちゃんのかみきれい…。おこめのほみたい!」

なんて、目を輝かせながら言ってきた。
この神社の宮司の子供なのだろう。抱き抱えられながら、一生懸命こちらに手を伸ばす。

「また何か見えたのかい?」
「おみみとしっぽのはえた、とってもきれいなおにいちゃん!おとうさんみたいなふくきてるよ?」

この宮司には生まれつき霊力が無く、神霊の類を見ることはできない。しかし、信心深く賢い男だった。耳に尻尾、黄金色と聞いて思い当たったのだろう。子供を抱え直しながら口を開いた。

「それはね、きっとこの神社でおまつりしている稲荷様だよ。」
「いなりさま…?」
「そう。だから、きちんとご挨拶しないとね。」
「うん。はじめまして。よろしくおねがいします!」

この年頃の子供特有の、屈託のない笑顔でそう言った。生の力が満ち溢れている。

「不肖の娘ですが、よろしくお願いします。」

娘の視線の先に向かって、宮司も深く頭を下げた。

返事の変わりに、木から降りてその娘の髪をくしゃりと撫でてやる。
「えへへへ。」
この気紛れが、後に響くなど考えてもいなかった。

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「稲荷様、おはようございます!」
「相変わらず騒がしい人間ですね。もう少し静かにできないんですか。」
「1日の慶は朝の挨拶にあるんですよ!気合い入れないと!」
「はあ。」

人の子の成長は早い。初めて会った時は4、5歳だった娘も、今では16になり、高校にあがった。
初めて会った日から、何故か俺に懐いてしまったこの娘は、毎朝欠かさず挨拶をしに神社まで来るようになった。
この神社の静かで清廉な空気が気に入っていたのに、こいつのお陰で毎日騒がしい。
しかし、その騒がしさに顔を顰めつつも、何だかんだでこいつが来ないと落ち着かない自分も居る。
眷属の末席で1番若いとはいえ、人間とは比べ物にならないほどの年月をこの神社で過ごした。その中でも、こんな事は初めてで少し戸惑う。



そんなある日。眷属の長である跡部さんに呼ばれ、本山に行っていた俺は、神社の方から死臭が漂っているのに気づく。何だか胸騒ぎがして、神社に帰ることを伝えると

「日吉、てめぇにしては珍しいじゃねぇか。どんな心境の変化だ?」

なんて心底面白そうな目で尋ねてきた。

「特に理由はありませんよ。また何かあれば遣いをください。」

イライラを抑えきれず、それだけを言い残すと変化を解き、狐の姿になって空を駆けた。

「面白いじゃねーの。」
そんな、跡部さんの呟きにも気づかないまま。


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神社に着くと、入口付近であいつが蹲っていた。

「おい…っ!」

触ろうとすると、死臭が鼻をつく。やはり、死んだのは宮司だったのか。ふわりと風を起こして死臭を払い、そっと近づく。
すると、やっと俺に気付いたらしい娘が顔を上げる。

「…どうしよう。お父さん死んじゃった。元気だったのに、子供を庇って車に轢かれたって…。神社に来ても稲荷様居ないし、稲荷様まで死んじゃったのかと…おもっ…」

泣き腫らした目で捲し立てていたが、最後にはまた涙がこみ上げてきたらしく、嗚咽だけが響く。

「あんたは本当に馬鹿ですね。曲がりなりにも神なんだから、俺が死ぬはずないじゃないですか。ほら、準備があるなら、早く帰って母君を助けてあげたらどうなんです?」

こんな時でさえ憎まれ口しか叩けない自分が情けない。だが、殆ど人間と接触して来なかった俺には、これが限界だった。

「そう、ですね。人は死んだら、子孫を見守る氏神になると父がよく言ってました。こんな姿、父に見られたら怒られちゃいますね。」

そう言って、涙を乱暴に拭い笑顔を貼り付ける。痛々しさの残る娘に、何も出来ない自分がもどかしい。

「稲荷さ「…日吉」え?」
「眷属からはそう呼ばれている。きちんと喪に服して、お前の中で整理がつくまではしっかり休め。そうして、次にここへ来た時にはそう呼ぶのを許可してやる。」

くしゃり。いつぞやの時と同じく頭を撫でてやると、そいつは、目に涙を溜めながらありがとうございますと呟いた。





それから数年の間、娘がこの神社を訪れることはなかった。
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