むかしむかし、あるところに赤い頭巾を被ったとても可愛らしい女の子が居ました。その子には陽鞠という名前がありましたが、赤ずきんがあまりに似合うので、家族以外からは赤ずきんちゃんと呼ばれていました。
「陽鞠、おばあちゃんの所へ、このぶどう酒とパイを持って行ってちょうだい。」
陽鞠のおばあさんは、村の外れにある森の中に住んでいます。
森を散歩するのが大好きな陽鞠は、喜んでお母さんからのお使いを請けました。
「うん、分かった!」
「森には危険な狼がいるから、気をつけるのよ?」
「はーい。」
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小鳥たちの囀る声に、風が吹くたびにさわさわと揺れる木々。息を深く吸い込むと胸いっぱいに広がる緑の瑞々しい香り。近くからは、サラサラと小川の流れる音も聞こえます。
生命の輝きに満ちたこの森は、来る度に少しずつ見せる表情を変え、見るものの目を楽しませてくれます。陽鞠は穏やかに移り変わる景色を楽しみながら、おばあさんの家を目指し歩いていました。
「赤ずきんちゃん、赤ずきんちゃん。どこに行くんだい?」
突然聞こえた声に驚いて振り返ると、そこにはピンと立った耳、耳まで裂けた大きな口、褐色の長い毛に覆われた狼が立っていました。狼――お母さんの言葉が脳裏をよぎります。
「狼さん、こんにちは。お母さんからのお使いをしに行くところよ。」
「そんなのやめて、僕と遊ばないかい?」
「ごめんなさい。お母さんに知らない人とは遊んじゃダメって言われてるの。それに、早く用事を済まさないと。」
「森の狼は危ないって言われたんだね?大丈夫、僕は怖い狼じゃない。君と友達になりたいだけなんだ。ダメかな?」
素直で優しい陽鞠は、しょんぼりと耳を垂らす狼が可哀想に思えてきました。悩んでいる陽鞠を見て、あと一押しと狼はまた口を開きます。
「よし、この先にとっても綺麗な花畑があるんだ。案内してあげるよ。赤ずきんちゃんは僕の後ろをついて来るだけ。僕は後ろから君を襲うこともできないし、それなら遊んでることにはならないでしょう?その後すぐに用事を済ませば大丈夫だよ。ね?」
必死に訴えてくる様と、綺麗な花畑が気になって、陽鞠はついつい返事をしてしまいました。
「…わかった。案内してもらえる?」
「うん!こっちだよ!」
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薄暗く細い道を抜けると、ぽっかりと開けた丘に出ました。
「うわぁ、綺麗!」
そこは、辺り一面に色とりどりの花が咲き、蝶がひらひらと舞う、美しい場所でした。
「素敵な場所ね。狼さん、ありがと…う?」
あまりの美しさに大はしゃぎの陽鞠は、この場所を教えてくれたお礼を言おうと振り返ると、先程までとは雰囲気の違う、下を向いた狼が見えました。何やら小刻みに震えているようです。
「…狼さん?どうし「ふふ、はははははは!何て間抜けな赤ずきん!」え?」
体調でも優れないのかとのぞき込むと、狼は高らかに笑います。先程までの弱々しい雰囲気はなりを潜め、きつい目つきに不遜な態度へと変貌をとげました。そう、陽鞠を騙していたのです。
「最初は警戒されていたからどうしようかと思っていたが、しおらしくしたら簡単に騙されて。ちょろ過ぎるぜ。そんなに俺様に食べられたかったのか?ん?」
「そんな…。騙してたなんて酷い。あなたみたいなひどい狼に食べられたいわけないじゃない!」
「騙されるやつが悪いんだよ。ママの言いつけを守っていればもう少し長生きできたのに。残念だったな。」
そう言ったかと思うと、狼は大きな口を開けて陽鞠にかぶりつこうとします。もうダメだ。ぎゅっと目を瞑り、覚悟を決めた時。
―――パァン
辺り一面に鋭い音が響き渡りました。陽鞠は何が起きたか分からず、咄嗟にその場に座り込んで来るべき痛みに備えます。しかし、しばらくしても予想した衝撃は訪れません。
「おい、怪我はないか?」
狼とは違う、低くしっかりとした声が聞こえ、恐る恐る目を開くと、そこには左肩に猟銃を掛けた狩人が立っていました。
「遅くなってすまない。粗方の場所の予測は立てていたのだが、ことごとく外してしまってな。」
申し訳なさそうに謝る狩人ですが、1度にたくさんの事が起こり、陽鞠は呆然としています。
「大丈夫か?何かされたのか?」
あまりに陽鞠が返事をしないので、心配になった狩人は陽鞠の肩を揺らしながら話しかけます。やっと我に返った陽鞠は、
「狼さんは?」
とだけ呟きました。喋ったことに安堵したのか、狩人は少し表情を和らげました。
「今は麻酔銃で眠らせている。丸一日は目を覚まさないだろう。こやつは、この後警察へ連れていくから安心しろ。」
その言葉に緊張が緩み、陽鞠の両の目からは涙が溢れだしました。
「こわ、かっ…殺されるかと…っ」
「あああ、泣くな。女性の涙は苦手なのだ。」
さっきまでの落ち着きはどこへやら。狩人はわたわたと焦りながら陽鞠へハンカチを差し出し、受け取ったのを確認すると頭を撫でました。
「怖い狼は捕まえた。もう食べられそうになることも無い。」
お日様のように暖かい手で刻まれる一定のリズムに、だんだん落ち着きを取り戻してきた陽鞠は、自分がまだお礼を言っていないことに気づきました。
「お礼が遅くなってしまってごめんなさい。助けてくれてありがとうございます。えっとお名前は…?」
「弦一郎だ。好きに呼んでくれ。それと、この事は礼には及ばん。何せ、俺もこれが仕事なのだからな。寧ろ、俺が居ながら危険な事に陽鞠を巻き込んでしまってすまない。」
「いえいえ、そんな…って私の名前…?」
「ああ、実はお前のおばあさんとは顔見知りでな。陽鞠の話はよく聞いている。」
「おばあちゃん?!」
どんな話をされていたのか、考えるだけで恥ずかしい。変な事を言ってなければ良いのだけれど。と思いつつ狩人を見上げると、
「だから、お前とは初めて会った気がせんのだ。」
なんて、頬を少し赤らめ、はにかみながら言ってくるものですから、陽鞠の鼓動はドキドキと早くなりました。
「今日も、孫の到着が遅いから見てきてほしいと頼まれてな。間に合ってよかった。」
「ありがとうございます。祖母がいつもお世話になって…。良ければ、弦一郎さんも一緒におばあちゃんの家でぶどう酒とパイを食べませんか?」
「む…そうだな。では頂こう。」
「良かった!よろしくお願いします。」
花がほころぶような陽鞠の笑顔に、次に鼓動を早めるのは弦一郎の番でした。
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それからというもの、陽鞠が森を訪れる際は弦一郎が護衛につくようになり、2人の仲は次第に深まっていきました。そして、ついに
「陽鞠…その、綺麗だ。」
「ありがとう、弦ちゃん!弦ちゃんもすごくかっこいいよ。」
「ありがとう。陽鞠、俺はこんな無骨な男だが、お前を絶対に幸せにすると誓おう。」
「うん。2人で幸せになろうね。」
真っ白なタキシードとドレスに身を包んだ2人は、村の人々に祝福されながら、村外れの小さな協会で式を挙げました。
森の中の小さな小屋では、2人のささやかで光に満ちた新婚生活が始まることでしょう。