青学 | ナノ

 Keine Regel ohne Ausnahme.(下)

「はぁ」

空から落ちてくる雫の群れに、思わずため息を吐く。最近の雨続きには、もううんざりだ。
雨自体は嫌いではない。規則正しい雨音は聞いていると自然とリラックスできるし、雨の前後に香る、土煙のような湿った独特の匂いが昔からずっと変わらないなんて話を小耳に挟んでからは、少しロマンを感じたりもする。
しかし、バス通学の私には、雨は地獄でしかない。ただでさえ不安定なのに滑りやすい床。人でごった返す車内。籠る悪臭。
おまけに今日は傘を忘れてしまった。幸い、タオルは持っているので、意を決して走り出そうと文系棟の玄関から1歩踏み出そうとした時。

「狭山?」
落ち着いた、あの声に呼び止められる。

「手塚君!」
そう。手塚国光その人である。例のお茶会事件から気が合った私達は、敬語も取れ、何となく一緒にいる事が多くなった。

「傘はどうした?」
私の手に傘が握られていないことに気づいたのだろう。怪訝そうに聞いてくる。

「忘れちゃって…。バスの時間ももうすぐだし、走っていこうかと。」
「ふむ…。丁度いい。俺も今帰るところだ。俺の車で良ければ送っていこう。」
「わざわざ送って貰うなんて悪い…」

よ。と続けようとしたら、心無しか眉を下げ、少し寂しそうな顔をした手塚君と目が合った。こんなのずるい。そんな顔されたら断れないじゃない。心の中で白旗を降る。

「…いえ。じゃあお願いします。」
「そうか。ではこちらに来てくれ。」

そう言って、私の少し前を歩く手塚君はどことなくうれしそうだった。一見すると無表情に見える手塚君だが、注意深く見ているとなかなかわかりやすい。
なんてことをぼんやり考えていると、駐車場近くの玄関まで来ていた。

「車をまわしてくるから、ここで待っていてくれ。」
「うん。」

そう言って去っていった手塚君は、数分で戻ってきた。白のセダンに乗って。え、嘘。いや、確かに似合うけど。勝手に軽とかだと思ってた。

「お、お願いします…。」
予想外の登場におっかなびっくり助手席に乗り込むと、何を勘違いしたのか
「安全運転を心掛けよう。」
と返ってきた。そこは別に心配してないよ、手塚君。

「家はどこだ?」
「希望ヶ丘あたり。ちょっと遠くて申し訳ないんだけど…。」
「いや、気にするな。問題ない。」
正面を見据えたままの手塚君は、表情を変えずそう言った。相変わらず整った顔をしている。彼の長いまつ毛が頬に影を落としているのを見て、急にいつもより近い距離、二人きりの密室、という現状に気付かされた。話している内容はいつもと同じ他愛のないものなのに、嫌に意識してしまって胸が苦しい。早く家に着いてくれることを祈っていると、

「少しスポーツショップに寄ってもいいか?」
なんて言い出した。私は家に着くまで生きていられるんだろうか。でも、この距離から少しでも解放されるなら、と了承した。


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「はぁー。」

"すぐ戻る。少し待っていてくれ。"そう言ってスポーツショップへ吸い込まれていく手塚君を見送ってから、大きく息を吐いた。少し開いた窓から新鮮な空気を胸いっぱいに吸い込むと、生き返ったような気分になる。なんて、少し大袈裟だろうか。
好きな人とあんな至近距離で居たのだ。心中を察してほしい。
――"好きな人"。そう、私は手塚君に惹かれている。彼の真っ直ぐな視線。自分に対する厳しい姿勢。そして、少し不思議なところ。話す機会が増えるにつれ、彼の魅力を知り、気が付けば彼を目で追っていた。出会ってからそんなに時間は経っていないのに、人間とは不思議な生き物である。
まあ、この気持ちに気付いたのは、相談に乗ってくれている友人のおかげだったのだけれど。

「すまない。待たせたな。」
物思いに耽っていると、用事を済ませた手塚君が帰って来た。

「いえいえ。そんなに時間たってないし、気にしないで。」
「すまない。もし時間が許すのであれば、ここで少し話をしても良いか?」

あまりない手塚君からの申し出に、何事かと首を傾げつつも大丈夫だと答える。すると、そうか。と、少し表情を和らげるものだから、顔に熱が集まってしまう。無自覚って怖い。

「1年の時、同じドイツ語の講義を受けていたのを覚えているか?」
「え、バルヒェット先生の授業?」
「ああ、そうだ。一緒に会話練習をした事もある。」

イザベラ・バルヒェット先生。ドイツ人のキリッとした美女で、学生からの人気も高い。1年の時に受講した縁で、留学の際にもお世話になった。
喋る事を中心にした講義内容だったため、ペアで会話練習をしていたのもよく覚えている…が、何分人の顔をおぼえるのが苦手な私だ。記憶に残っていなかった。

「嘘。…ごめん。私人の顔覚えるの苦手で。」
「いや、良いんだ。俺も本来ならあまり覚えていないから。」
「そうなんだ。よく覚えてたね。」
「ああ。不真面目に受ける者も多い中、真面目に取り組む姿を見て、共にドイツ語を学ぶのならこの人と学びたいと思った。」

どうせまた何かやらかしたんだ。と、覚悟していのに、手塚君の口からこぼれ落ちた予想外の答えに二の句が継げない。

「だから、図書館で出会った時には驚いた。」
「ああ、あの時。」
図書館での邂逅を思い浮かべながらそう相槌を返すと、またも予想外の答えが返ってきた。

「それもだが、少し違う。実はあの前に書庫で本を読んでいるのを見かけていた。」
「え、嘘。私変なことしてなかった?」
「?大丈夫、普段通りの狭山だったぞ。」

手塚君は首を傾げながらそう答えてくれるも、不安しかない。明日から気をつけよう。

「それから、よく学校で見かけるようになった。不二と一緒に居るのを見かけたから尋ねてみたのだがはぐらかされてしまってな。どうにも気になって、気がついたら話しかけていた。不二とは付き合っているのか?」

え、ちょっと待って。情報量が多過ぎて頭が追いつかない。手塚君とは1年の時既に出会っていて、第3書庫に居たのも知っていた?で、私と不二君が付き合ってるかだって?先程言った友人である不二君の名前が浮上し、混乱の極みである。

「いやいやいやいや、付き合ってないよ!専攻が同じで授業もよく被るから、たまに相談に乗ってもらうくらい…って、待って。手塚君不二君と知り合いだったの?」
「ああ。中学からの付き合いだ。」

え、うそ。だって、相談した時不二君そんなこと一言も言ってなかった。頭に?をたくさん浮かべているが、そんなのお構い無しに手塚君は口を開く。

「しかし、そうか…。では、遠慮することもないな。
狭山、俺と付き合ってくれないか。不二の件で気が付いた。俺は、お前が誰かのものになるのは耐えられそうにない。
来年ドイツへ留学する身でありながら、勝手なことを言っているのは分かっている。嫌なら断ってくれて構わない。だが、受けてくれるのであれば、お前の期待に添えるよう努力しよう。」

射抜かれる、とはこのことか。と思った。いつもより鋭さを増した真摯な双眸に見据えられる。普段なら、どこに付き合えばいい?なんて見当違いの返事をしていたかもしれない。しかし、そんな鈍い私でも気づいてしまうほど、彼は真剣だった。誠意には誠意で返さねばならない。私も、腹を括って口を開く。

「わたしも…。わたしも、手塚君の事が好き。これから、よろしくお願いします。」
「ああ、これからよろしく頼む。」

そう言って顔を綻ばせた彼は、今まで見た中で1番優しい顔をしていた。
彼と居ると、本当に予測のつかない事ばかりだ。私はふと、"Keine Regel ohne Ausnahme.(例外のない規則はない)"というドイツの諺を思い出した。



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