青学 | ナノ

 Keine Regel ohne Ausnahme.(上)

頼りなく光を放つ蛍光灯。所狭しと並べられた本棚たち。鼻腔をくすぐる古びたインクと紙の匂い。
ここに通いつめている私にとっては、どれも落ち着くものだ。

ここ―私の通う大学に併設された図書館の第3書庫―には、古くなった雑誌や大昔に個人から寄贈された本などなかなかマニアックなものが並んでいる。
それも手伝ってか、殆ど人が訪れず、すっかり私の庭と化している。

今日も今日とて、今週末に控えた発表の準備の為に、フロアの真ん中に申し訳程度に設置された机に向かい、資料を読み込んでいた。

「――ふぅ。」
何冊目か、数えるのも馬鹿らしくなる程の本の山から顔を上げ、息を吐く。
和書ばかりを読むのにも飽いてきた。そういえば、この書庫のドイツ書の棚に、児童向けのグリム童話の本があったことを思いだした。頭を解すのにも丁度良いだろう。ここからは少し遠いが、気分転換も兼ねて、ドイツ書の棚へ向かうことにする。

読書の息抜きに読書など、と思われるかもしれないが、私は所謂本の虫という奴で、本を読んでいないと落ち着かない。その読書好きが高じて大学では文学を専攻し、日々その解釈に頭を悩ませている。

なんて考え事をしている間に、お目当ての棚に辿り着き、本を取ろうと手を伸ばした。

「あ、すみません。」
「いえ、こちらこそ。」

本に触れるより先に、何か柔らかものに触れ、思わず謝りながら手を引っ込める。
隣から、落ち着いた男性の声が聞こえた。ふと、顔を上げると、その声に違わぬキリッとした顔立ちの男性が本に手を伸ばしている。どうやらこの男性も同じ本を借りようとしていたらしい。

「すみません、周りをよく見ていなくって。私はいつでも来れますので、どうぞ。」
「いえ、しかし…ありがとうございます。2週間後には必ず返却しておきます。」
こんな辺鄙なところまで探しに来たのだ。何かで必要なのだろう、と譲ると、男性は眉間に皺を寄せ押し黙るも、丁寧にお礼を述べた。真面目な性格のようだから、図書館で問答するのを嫌ったのかもしれない。

「はい。それでは。」
笑顔でそう返し、ざっと本棚を眺めて目に付いた「ニーベルンゲンの歌」を取って、席へと戻った。

英雄ジークフリートの活躍と死。そして、妻クリームヒルトの復讐を描いた詩。時代こそ違えど、ページを捲る度端々に感じられるドイツの香りに、留学時代の記憶が蘇ってきた。
煌びやかなクリスマスマーケットにホットワイン。落ち着いた調度品を収容した博物館。
…落ち着いた、と言えば、先程の男性はどこの所属なのだろうか。記憶と照らし合わせても、見覚えはなかった。まあ、顔と名前を覚えるのが苦手な私の記憶など当てにはならないのだが。
それにしても、哲学書などが似合いそうな雰囲気の彼が児童向けのグリム童話を読んでいるのを想像すると、何だか微笑ましい。

そんな考えも、物語の世界へ引き込まれていくうちに忘れてしまった。

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あれからしばらくして。お世話になっている教授から本のお使いを頼まれた私は、リストを片手に入り口付近を歩いていた。

すると、図書館から見覚えのある顔が出てくる。
ドイツ書の棚で会った男性だ。そこで、私は今日がきっかり2週間後だと言う事に思い至る。本当に真面目というか律儀というか…。
向こうも私に気付いたのか、お互い目が合う。
笑顔を浮かべ会釈しながら横を通り過ぎようとすると、声をかけられた。

「先日は、ありがとうございました。」
「いえ、気分転換に読もうかと思い立っただけなので、お気になさらず。」
「どこを探しても見つからず困っていたので、助かりました。」
「それなら良かったです。ご丁寧に、どうも。」

そんな調子で二言三言交わして別れた。


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その日は、講義が早く終わり、バスまでの時間を潰そうと、第3書庫を訪れた。
やはり、学習室付近のフロアと比べるとひっそりしていて落ち着く。
簡単に読めるものを、とドイツ書の棚へ向かうと、また例の男性が立っていた。この人とは本当によく会う。

会釈をすると、向こうも私に気付き、会釈が返ってくる。
お互いに喋らず、本棚を見つめる。今日はケルト神話について書かれた、厳かな装丁の本に目を惹かれた。パラパラと斜め読みをすると、内容も気に入ったので、それを読む事にする。元居た席へ戻ろうとした時、

「すみません。ドイツ語初心者に適した書物を教えて頂けませんか?」
と、声を掛けられた。眉間に皺を寄せ、眉が心無しかハの字になっていることから察するに、中々に迷っているらしい。
答えてあげたいのは山々なのだけれど、相手が悪かった。本のこととなるとセーブの効かなくなる私がここで口を開けばどうなるかなんて想像に難くない。それに、ドイツ語初心者といえど、どのレベルかは詳しく聞かないと分からないし、本の好みも知らない。私も苦労した経験があるから、出来るだけ要望に答えたいし…。苦肉の策として、ある提案をする事にした。

「少し場所を変えても?」

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「いらっしゃいませ。ご注文はお決まりですか?」
「ブラックコーヒーを。」
「はい。」
「私はカフェラテを。」
「はい。かしこまりました。ブラックコーヒーとカフェラテをお一つずつですね。少々お待ち下さい。」


私達は構内にあるカフェテリアへ来ていた。突拍子もない私の提案にも表情1つ変えず、”はい”と答えた彼は目の前でブラックコーヒーを味わっている。
今考えると質問に質問で返しているし、本当に滅茶苦茶だ。頭を抱えたいのを我慢していると、おもむろに彼が口を開く。

「名乗るのが遅くなりました。人文科3年の手塚国光です。」

そう言われて、お互いの名前も知らなかったことに気付いた。私は名前も知らない人をお茶に誘ったのか…。動揺にもめげず、私の口はまわる。まわりすぎて余計なことまで言うのが常だ。

「同じ学科だったんですね。人文科2年の狭山雪花です。1年休学してドイツに行っていたので、歳は21です。」

ほら!最後の1文いらない!
しかし、思いの外手塚君の反応は良かった。

「ふむ…実は俺も…」

そう言って話し始めた内容を纏めると、どうやら彼も中学の頃ドイツに留学したことがあるらしい。そして、来年またドイツへ留学する予定ができた。しかし、高校・大学となかなかドイツ語に触れられておらず、少しずつ勉強し直しているらしい。そこでドイツ語の本を読もうと思い立ち、手始めに探したのが、留学中に進められた児童向けのグリム童話の本だった。同レベルの本を探しているがなかなか見つからない、ということだそうだ。

「あれぐらいの本であれば、辞書が無くても読めるのですが。」
「うーん…。そうであれば、日本の昔話をドイツ語に翻訳したこの本はいかがですか?元のお話が分かるので、表現も覚えやすいと思いますが。」
「ありがとうございます。読んでみます。」

「いえいえ。あと、手塚さんは趣味はありますか?」
「趣味…登山でしょうか?」
「登山、ということは自然がお好きなんですね。では、この詩人さんもオススメです。詩なので少し抽象的ですが、自然の美しさについて触れている作品が多いので、楽しみながら読めるかと。」
「成程。」

なんて本の紹介が一段落したところで時計を見ると、バスの時間が迫っていた。これを逃すとバイトに間に合わない。

「…っと、いけない!バスが来ちゃう!すみませんが、今日はこれで。」
「あぁ、忙しいのにお時間をとらせてすみません。」
「いえいえ。こちらがお誘いしたので。バタバタしてしまってすみません。それでは。」

机にカフェラテの代金を置き、席を立った。
バスには何とか間に合ったものの、冷静に今日1日を振り返り1人反省会をしたのは内緒だ。



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