比嘉 | ナノ

at home


その日は、喉と鼻の違和感と共に目覚めた。
頭がやけに重く、寒気を感じる。嫌な予感がして枕元にあった体温計で体温を計ると、37.8℃というなかなかな数字を叩き出した。
病は気から、とはよく言ったもので、熱を自覚するとどっと疲れが出る。今日の出勤は無理だと判断し、職場に休みの連絡を入れ、布団に潜り込んだ。

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あれからどれくらい時間が経ったのだろう。ふと目が覚めた私は、時間を確認しようと携帯に手を伸ばす。18:37と表示されるロック画面の下部には、彼氏である永四郎からのLINE通知が表示されていた。アプリを開いてみると

お疲れ様です。今夜は仕事が早く片付いたので、貴女が良ければご飯でもどうです?

との事だった。何で今日に限って体調を崩すのか。行きたいのは山々だが、こんな体調では行けるはずもない。断りの返事を打ち込んでいると着信画面へと切り替わった。文字を打ち込んでいた勢いで受話器ボタンを押してしまう。

「もしもし、紫苑?俺ですが、今大丈夫ですか?…紫苑?」

携帯から零れる甘さを含んだ艶やかな低い声に、内心焦りはじめる。やばい。早く答えなければ。でも、この声で電話に出たら、風邪をひいたことを気付かれてしまう。
心配性の永四郎の事だ。そうなれば、看病に来ると言って聞かないだろう。いくら金曜日とはいえ彼も仕事で疲れているのに、私の看病に時間を取らせるのは申し訳ない。何よりうつしては大変だ。どうしたものか。


「聞こえていますか?…電波が悪いのか?」

彼のその一言で、一つの案が閃いた。

「ごめん。何か電波悪いみたいで。ちゃんと聞こえてるかな?」

冷静に考えれば、聡い永四郎がこんなちゃちな嘘に引っかかる訳がない。しかし、この時の私は、熱で相当やられていたのだろう。これが名案だと思ったのだ。これなら、今のガサガサな声でも大丈夫だろうと。

「ええ。聞こえていますよ。LINE見ました?」
「うん。でもごめん。今日はちょっと無理なんだ。」
「そうですか。わかりました。忙しいところ急に電話してすみません。」
「こっちこそ、折角誘ってくれたのにごめんね。」
「いえいえ。では、また今度。」
「うん。」

永四郎は案外あっさり諦めた。気取られなかった安堵感と共に、少しだけ寂しさも感じたが、それは気づかなかった事にして、ヨタヨタと台所へ行き、水を飲む。グルグルとまわる視界の中、何とか探し出した冷えピタを首の後ろに貼った。首の後ろには血管が集まっており、そこを冷やすと熱が下がりやすいのだ。ネットの知識ではあるが、実際早く下がるので問題ない。一人暮らしをしていると、こんな知識ばかり増えるのだから、なんとも世知辛い。
そんなことを考えつつ、布団に潜り込んで眠気が訪れるのを待つ。
しばらくして、うとうととし始めた頃、カチリと鍵の開く音が聞こえた。

この家の鍵を持っているのは、私と永四郎だけ。まさか…。
そう思い、重い瞼を開けてみると、両手にスーパーの袋を提げた永四郎が部屋に入ってくる所だった。

「おや、起こしてしまいましたか。」
「何で…?」
「俺があんな安易な嘘に騙されるとでも?」
「だって、また今度って…。」
「電話で問答しても、あなたは認めなかったでしょう。ああ、こんなに顔を赤くして。熱はどれくらいあるんです?」

額に触れる永四郎の手が気持ち良くて目を細める。
「測ってないから分かんない。朝は37.8℃だった。」
「ちょっと待ってなさい。」

そう言って枕元にあった体温計が、永四郎の手で脇に挟まれる。
程なくして計測完了のアラートが鳴り、体温計が永四郎に奪われた。

「はぁ、少し上がってますね。何かあれば連絡しなさいといつも言っているでしょう。こんなに酷いなら尚更です。」
「だって、永四郎も仕事で疲れてるでしょう?それに伝染したら悪いし…。」
「こんなことで伝染るほど柔な鍛え方はしていませんよ。それに、こんな状態のあなたを放っておく方が精神衛生上よろしくない。」

言葉は少しきついが、頬をするりと撫でる永四郎の眉間には皺が寄り、目は痛ましげに細められていた。本当に心配してくれているのが伝わってくる。

「…ごめんなさい。来てくれてありがとう。」
「後でお代はいただくので、気になさらず。簡単なものを作ってしまうのでそれまで少し寝ておきなさい。」

そう言って頭を撫でられる感覚に、だんだんと瞼が下りてきて、気づけば夢の世界へ旅立っていた。ぐっすり眠っていた私は、

「…全く、無防備なのも程々にしてほしいものですね。」

なんて彼の呟きも、私の額と彼の唇の柔らかな触れあいにも気づかなかった。



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「紫苑、起きれますか?」

控えめに肩をたたかれる感覚と、心地よい声に、うっすらと意識が覚醒する。

「ん…永四郎?」
「ゆし豆腐を作ったのですが、食べられそうですか?」
そう言われ、息を吸い込んでみると、ふわりと柔らかなお出汁の香りが胸いっぱいに広がる。そう言えば今日は何も食べていない。グルグルという間抜けな音と共に、急にお腹が空腹を訴えてくる。

「…食べれそうですね。」
「…はい。有難く頂きます。」

肩を震わせ、笑いを堪える永四郎に、顔を真っ赤にしながらそう答えるしかなかった。

「少し少なめによそってあるので、足りなければ言ってください。」
「うん、ありがとう。」

そう言って渡されたお椀には、少し緩めの島豆腐と白葱、すりおろした生姜がのっていた。スプーンで掬って口に入れると、程よく醤油のきいたスープと共に、大豆の甘みが口一杯に広がる。

「…おいしい。」

その染み渡るような優しさに、思わず涙が零れた。
高熱の中1人で過ごす不安に、自分を心配してくれる人がいる安心感。様々な感情がないまぜになって、爆発してしまったようだ。熱で、色々と緩んでいたのもあるのだろう。
急いで涙を拭おうとすると、褐色の、私より一回り大きな手に阻止された。かと思うと、ふわりと暖かいものに包まれる。

「紫苑、大丈夫。今日は泊まっていくので、ゆっくりお食べなさい。」

鼻腔をくすぐるワックスの香りと、一定の早さで撫でられる背中の感覚で緊張の糸が溶けた私は、堰を切ったように泣き始めた。きっと永四郎の肩は、私の涙と鼻水でぐちゃぐちゃだ。

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しばらくして、やっと涙が引っ込む頃には、永四郎の作ってくれたゆし豆腐は冷めてしまっていた。

「温め直してくるので、これでも飲んでおいてください。」

そう言って、コップにスポーツドリンクを注いでくれる。

「ありがとう。」

ただでさえ脱水気味なのに、涙で水分を使い果たした私にはこれ以上なく美味しく感じた。

その後、結局2杯程おかわりをし、永四郎が買ってきてくれた市販の薬を飲んで寝ようとしたら、ストップをかけられた。

「大分汗をかいているようですね。寝るのは、体を拭いて着替えてからになさい。」

そう言うが早いか、勝手知ったると言わんばかりに、私の着替え1式をクローゼットから取り出し私の脇へ置くと、お風呂場へと消えていった。
程なくして戻ってきた永四郎は、ホカホカと湯気をたてる蒸しタオルを手にしている。

「ほら、これで顔と体を拭いてしまいなさい。俺は向こうでシャワーを済ませているので、何かあれば呼びなさいね。」

私にその蒸しタオルを渡すや否や、永四郎の着替えを収納しているスペースから1式を取り出し部屋をでようとする。
あまりの手際の良さに私が呆然としていると、

「おや、俺に手伝ってほしいなら、そう言ってください。丁寧に拭いてさしあげますよ?…体の隅々まで、ね。」

なんて低く色気を孕んだ声で囁かれるもんだから、たまったもんじゃない。反射的に

「大丈夫!自分でできます!」

と叫んでいた。そんな私を鼻で笑って、永四郎は部屋を出ていった。今ので絶対熱上がった。本当に心臓に悪い。そんなことを考えつつ、黙々と体を拭いていく。永四郎の用意してくれた蒸しタオルは少し熱めだったが、体を拭き終わる頃には程よい温度になっていた。これさえも計算ずくかと考えると、ほんとに頭が下がる。

「お待たせ。終わったよ。」

扉の向こうに声をかけると、静かにドアが開き、着替えとシャワーを済ませた永四郎があらわれた。動く度にいつも私が使っているシャンプーの香りが彼から香る。

「今日はもう寝てしまいましょう。水分補給は?」
「大丈夫、さっき飲んだ。」
「そうですか。では、体を冷やさないうちに。」

そう言って掛け布団をめくってくれる。

「うん。ありがとう。」

永四郎の誘導に従って布団に潜り込むと、永四郎も隣に入ってきて横になった。瞼を閉じると、しなやかな腕が伸びてきて、ぎゅっと抱きしめられる。

「貴方が眠るまでちゃんと見ておきますから、安心して眠りなさい。」

彼に包まれる安心感と、お腹のあたりでぽん、ぽん、と一定のリズムを刻む手に、だんだんと眠気が誘われてくる。明日には少し良くなっていますように。





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