「なぁレナ」


そう名前を呼んで後悔する。
返ってこない声が余計におれを惨めにさせた。
あの日から一週間。自分がどれほどレナの名前を呼んでいたのか痛感した。

三叉槍を持って日課の訓練を行うために訓練場へ向かい、いつものように三叉槍を振る。だが今日も無心にはなれなかった。

おれとレナはいつも一緒だった。三つ子であるダイフクやオーブンよりも、レナはそばにいてくれた。完璧になることを誓った日、おれがレナを遠ざけようとして武器を向けたときもレナは血塗れだったおれを恐れることなく、いつものように手を差し伸べてくれた。その時おれがどれほど救われたか、きっとレナは知らないだろう。

レナのそばでならありのままの自分になれた。
レナのとなりは普段の窮屈さが嘘のように息がしやすかった。

何よりも大切だった。
誰よりも愛しいかった。


『カタクリ』


おれの名前をまるで宝物かのように呼ぶその声は心地よかった。
そばにいることが当たり前で、それがどれだけ素晴らしいことかなんて理解しようとしなかった。
離れて、それがようやく理解できた。
レナはおれと同じ年だが弟や妹同様に守らなければいけない存在で、おれの一番の理解者。
兄弟だから大切だと思っていた。
兄弟だから愛しいと思っていた。
でも違った。
「兄弟」だからではない。

おれは、レナが「好き」だから大切で愛しかったんだ。

そうだ。おれはレナと出会ったあの日からずっと陽だまりのなかにいるレナに惹かれていた。

おれはレナが好きだったんだ。


「はは、」


自覚して、絶望した。
そもそもおれたちは家族だ。付き合うどころか自覚したこの想いを告げることさえ許されない。レナと出会わせてくれた家族という繋がりが今度は首枷となっておれを縛る。
それでも、この想いを止めることはできそうにない。レナのことを考えるたびに溢れてくるこの感情はおれが思っていたよりもずっと厄介で思考を鈍らせる。

おれたちの関係が音を立てて崩れた日の翌日、レナは意外にもいつものようにおれに話しかけてくれた。だが、その声に以前から感じていた心地よさはなかった。目の前に見えない壁があり、その壁を隔てて話している気分だった。
そして思い知った。
レナは決しておれの行動を否定しなかった。それでも心配だと思ったときは何も言わずにそばに寄り添ってくれた。それを好ましく思っていたはずなのに、おれはレナの決意をろくに聞きもせず自分の都合を押し付けて否定した。


『……ごめ、なさい』


声を震わせたレナの悲痛な顔がよみがえる。
きっと、もう前のような関係に戻ることはない。まるで空気のようにそばにいたあの心地いい時間を味わえることもない。
ゆるりゆるりと後悔と絶望が首を絞める。
息が苦しい。
レナがいなければおれは満足に息も吸えない。


「……これが罰なのか」


訓練が終わり、不快な汗が身体を伝う。
座り込んで肩で息をする。
差し出されるタオルも引き上げようと伸ばされる手もない。
広いだけの訓練場がいつもよりずっとずっと広く感じた。

おれはいつもそうだ。ブリュレの時も今回も後悔したときにはもう遅く、引き返せない。おれは大切なものを傷付けることしかできない。
おれが完璧じゃないから。
このままではダメだ。
もっと強く、より完璧に。

与えられてばかりでそのことに気付かず自分のエゴでレナを傷付けてしまったおれにレナのとなりにいる資格はない。もう、手を繋ぐことも握った手のひらから伝わるレナのぬくもりを感じることもないのだ。
だからせめて、おれはおまえを守る盾となり、脅威を打ち払う矛となる。おまえが笑って暮らせるのならおれはどこまでも孤高になろう。


ただ、おまえを想い続けることだけはどうかどうか許してほしい。



*****



カタクリは今でも当時と変わらずにレナを想っている。決して結ばれることはないと理解していながら、一途に密やかに。


「カタクリ。もうすぐ出港だ」
「分かったダイフク。すぐ向かう」
「今まで何を見て……あぁなるほど」
「?」
「今日の海はレナの色だな。懐かしい」
「……そうだな」


そう言ってカタクリは海に背を向けて歩き出す。
レナがこの国を出たのはずいぶん昔で、その時の別れの言葉が最後に聞いたレナの声。


『    』


記憶のなかのレナが微笑みながら口を動かす。
決して忘れたくない相手がいても記憶は必ず薄れていく。それは声から始まり、顔を、そして最後に思い出を忘れる。
今のカタクリは、レナがどんな声だったのか思い出せないでいた。
そんな自分をカタクリは薄情者だと蔑んだ。


君の声を聴きたい
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -