オークブラウンのぴかぴかのフローリングに、真新しい壁のクロスは柔らかなオフホワイト。大きな家具をひとまず配置し終えた部屋には、まだ開けられていない段ボール箱が山積みになっている。
引っ越してきたばかりのこの部屋が、今日からナマエがペンギンとともに暮らす新しいマンションだ。
「えーっと、グラスは確かこっちの箱に……」
今後の生活を見越して新しく買った食器棚は、とても大きく立派で。互いに持ち寄った二人分の食器だけでは、中はまだガランとしていた。
「ナマエ、ちょっといいか?」
少ない食器を種類ごとに棚へ並べているナマエの耳へ届いた、彼女を呼ぶペンギンの声。作業の手を止めて振り返れば、キッチンの戸口から覗き込む彼の姿が視界へと飛び込んできた。
「なあに? どうしたの、ペンギン」
「お隣に配る引っ越しそば、どこやったか知らないか」
「えー? 車に積んできた紙袋の中にない?」
「ああ、この袋だろ?」
そう言ってペンギンが差し出した紙袋の中を、素直に覗き込むナマエ。ふと注がれる視線が気になって顔を上げると、じーっと音がしそうな勢いで自分を見下ろすペンギンと目が合う。
「……」
「……なに? 何か付いてる?」
「いや……いいな、ソレ」
「へ?」
「エプロン姿。なんか興奮する」
「はぁ!? な、何言い出すの急に…っ!」
普段キッチンに立つ時も、面倒臭がってエプロンなんて身に着けたことのないナマエだったが……それが仇になったのか、ペンギンの脳内からはすっかり「引っ越しそば」の存在が消え去ってしまったようだ。
素早く紙袋を奪ったかと思えば、それはガサリと音を立てて床に転がる。ああもう、そんな乱暴に投げたら床に傷がついてしまう、と頭の片隅でナマエがいらぬ心配をした瞬間――彼女の空いた両手は、いとも簡単にペンギンの大きな手に掴まれてしまった。
「ちょ、ちょっと !ふざけてないで、ンっ…!」
顔の横で小さくバンザイする形で両手の動きを封じられたナマエの唇と、ペンギンのそれが柔らかく触れる。
すぐに離れた唇は、それでも互いの吐息がかかる程度には距離を保っていて。頬に集まる熱に気付くと、ナマエは気まずそうに視線を逸らした。
「なんか、いいな。こういうの」
零れ落ちるようにぽつりと呟いたペンギンが、その両腕で華奢な身体をぎゅっと抱きしめる。すっぽりと腕の中に納まった彼女のつむじに顎を乗せて笑うものだから、その振動が直に伝わってきて居心地悪そうにナマエが身を捩った。
けれど腕の中から逃げ出そうとするわけではなく、身を預けるように空いた両手をそっとペンギンの腰に回す。大きな窓から差し込む柔らかな日差しが、二人の影を長く伸ばした。
「一緒に暮らすからこそ見られる、ナマエの姿だ」
「……ん、新鮮な感じ?」
「ああ、そうだな。惚れ直した」
「!!ペ、ペンギンって、そういうこと平気で言うよね」
「ダメか?」
「ダメじゃないけど、」
「けど?」
「……恥ずかしい」
消え入りそうな小さな声で羞恥を告げる、ナマエの耳は赤い。ぐずる赤子のように額を擦り付ける、愛らしい彼女の姿。それを見つめる涼しげな目元が、優しく細められたのを、ナマエは知らない。
「これから毎日、知らなかったナマエの姿を見つけていく楽しみが出来た」
「ペンギン……」
「今日から、よろしくな」
そっと見上げてきたナマエの額に口づけを落として、ペンギンは笑う。
よぼよぼになるまで一緒にいよう朝起きてから寝るまでずっと、手を伸ばせば届く距離にきみがいる。泣いたり笑ったり、寝惚けたり。これから毎日、初めて見る表情を一つ一つ集めていこう。
それでも見飽きることはないだろうし、きっと同じ表情なんて無いから。
僕はきみに釘づけの毎日を送るんだと思うよ。
title / にやり
2011.10.26
「ネガティヴランナー」のナナさんへ捧げます