わたしはアイツが嫌いだ。
人当たりがよく仕事も正確で早い。上司からは絶大な信頼を寄せられ、同僚や後輩からも慕われている……同期のアイツが。
いつからなのか、何故なのか。そんなのは分からない。ただ、空を飛べない不器用な鳥の名前を持つくせに、何でも器用にやってのけるペンギンを前にすると……どうしてだか逃げ出したくなる。
「……っ、」
クザン部長に頼まれて回覧用のファイルを持って来たわたしは、今このタイミングで此処――営業部のフロアへやって来てしまったことを酷く後悔した。
咄嗟に隠れてしまった観葉植物の陰。その向こうから聞こえてくるのは、コロコロと鳴る鈴の音のように愛らしい女の子の笑い声と、それに応えるように落ち着いた笑い声を響かせる聞き慣れた低音。
可愛らしく週末の予定を尋ねる女の子の声に、何故だかその先の答えを聞いてなんかいられなくて。思わず踵を返し、フロアを飛び出そうとすれば。
「よォ、盗み見か?」
「っ、ロー!」
「相変わらず素直じゃねーなァ?ナマエチャンは」
「う、るさい!これ…ッ!持って来ただけだから……」
どうせまたどこか使われてない会議室で女の子とシケこんでいたんだろう。これまた同期のローが、乱れたワイシャツを整えながらニヤニヤと厭らしい笑みを浮かべ立っていた。
じとりと一度だけ憎たらしい髭面を睨み上げてから、回覧のファイルを押し付けて。今度こそわたしは営業部のフロアを後にした。
……盗み見だなんて。そんなつもり、全く無かった。ただ、女の子と二人親密そうに話すペンギンの邪魔をするのが……憚られただけ、なんだから。
カツカツと必要以上にヒールを鳴らしながら、小走りに駆け込んだ閉まりかけのエレベーター。ふう、と肩の力を抜くように息を吐き出した瞬間――
「ナマエっ」
「!!」
ホラー映画もびっくりなタイミングで大きな音を立て、閉じかけたエレベーターの扉が止まる。わたしの名を呼ぶ声はもちろんのこと、押し開くように覗く節くれだった指先にも嫌というほど見覚えがあって。
あ、と声を上げる間もなく器用に身体を滑り込ませてきたペンギンと、真正面から視線がかち合った。
「逃げるな」
「に、逃げてなんか……用が済んだから戻るだけよ」
「ローにファイル押し付けて、おれには挨拶無しでか?」
「っ、別にペンギンと話すことなんて無いもの……」
「おまえが無くても、おれにはある」
「そんなの、知らないよ」
「ナマエ」
頬に触れる骨張った感触に驚いて、首を竦めれば。少し強いくらいの力で抱き寄せられ、すっぽり納まった腕の中。咄嗟に抜け出そうともがくけど、余計に強くなる腕の拘束に知らず頬に熱が集まった。
「ちょ、っと……やめ、離してっ」
「断る。離したら、逃げるだろ?」
「当たり前、でしょっ…!」
「いい加減、無視するのはやめろ」
「……な、に……」
「おまえがおれのこと嫌ってても、絶対に諦めないからな」
チーン、と間抜けな音を立ててゆっくりと動いていたエレベーターが止まる。離れた体温を寂しいと感じる間もなく、ペンギンの大きな手のひらがわたしの背を押し出した。
耳に残る切なげな声色の意味を理解した瞬間、バッと振り返れば。閉まりかけた扉の向こう――射抜くように真っ直ぐな視線を向けながら、ペンギンが口端だけをわずかに持ち上げて笑った。
「今日、定時になったら迎えに行く」
「えっ、な、待っ……」
無情にも閉じられた、無機質な扉。ひんやりとしたそこへ手を伸ばせば、思いの外熱を孕み汗ばんだ自身の体に気付かされる。バクバクと鳴り止まない心臓が、どこか次のステージへの幕開けを暗示しているようで。
言葉ひとつ、仕草ひとつで、こんなにもわたしを翻弄してしまうアイツが――やっぱりわたしは、キライだ。
ことばがこころを締め付けるシステムtitle / にやり
2011.8.15