グランドラインに出る手前の北の海最後の島で出逢ったナマエ。
暗い路地裏で折り重なるように倒れている男たちの横――泥と血に塗れたまま蹲るナマエの姿は、幼い顔立ちに似合わず強烈な印象をおれたちに与えた。
残忍などと謳われている我が船長だが、医者の性なのか傷ついた生き物を見ると何でもかんでも拾ってきてしまう。それが自分の興味を惹く"何か"を持っていたら、尚のことだ。
まぁそんな感じでいつの間にか集まったおれたちだから、船長がナマエを船に置くと言った時も、特に反対する者なんていなかった。
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「ペンギンさーん! シャチさんがいいお店見つけたって!」
「シャチが? そりゃアテにならないな」
「あはっ何気にひどい! それシャチさん聞いたら泣きますよー?」
コロコロと愛らしく笑うナマエ。出逢った頃よりも沢山の表情を見せてくれるようになった姿に、思わず頬が緩む。だらしない顔を隠すように帽子を深くかぶり直していると、早く早くと急かすようにつなぎの袖を引っ張ってきた。
「ロー船長ももう先に飲んでるって言ってましたよ?」
「……あぁ、そうだな。急ごう」
おれの腕を引っ張りながらも、意識はすっかり船長のいる酒場に飛んでいるナマエ。分かっているさ。命を救われた船長のことを慕う、ナマエの気持ちなんて。もちろん、船長にそんな気がないことも――長年の付き合いのおれには、嫌でも分かってしまう。
それなのにナマエの前じゃいい兄貴ぶって、耳触りのいい言葉でその背中を押す自分自身に吐き気がする。
ナマエの泣き顔を見たくないから、なんて綺麗事だ。単に自分以外の男のために涙を流す姿なんて見たくないだけ。だから慰める。その時だけは、アイツに触れることを許されるから。
何に許されるかって?さぁな。強いて言うなら、この罪悪感から……だろうか。
矛盾、しているだろうか。こんなおれの気持ちを知ったら、アイツはおれを嫌いになるだろうか。そんな女々しいことを考えながら、繋がれた小さな手のひらに視線を落とすと、突然立ち止まったナマエ。
不思議に思って、顔を上げれば――
「船長」
「あァ、遅かったな。おれは抜けるから後は頼んだぞ、ペンギン」
「……了解」
派手に着飾った女の腰を抱いて酒場を出て来た船長の姿に、繋がれたナマエの手にぎゅっと力がこもる。すれ違う瞬間、女の香水の匂いが風に乗って鼻先を刺激した。
路地裏に消えていく後ろ姿を見送ってから、小さく震えるナマエの肩を抱いて衝動的に胸の中へ閉じ込める。そのまま素直に身体を寄せてくる姿に、腹の底から熱い何かがせり上がって来た。
「……もう、いいだろ?」
「……っ…ぅ……?」
「船長のために泣くのは、もう止めろ」
涙に濡れた睫毛が、潤んだ瞳を縁どる。少しだけ眉を寄せて見上げてくるナマエの頬に手を当て、そのまま呼吸を奪った。
大きく見開かれた瞳からは、溜まった涙がぽろぽろと零れる。そうだ、全部流し落としてしまえ。他の男を想って流す涙なんて。
噛みついて離れない唇に、困惑したようなナマエの表情。戸惑いに揺れる瞳に煽られて、止まらない。いや違う、止める気なんて更々ないんだ。息苦しさから、その目尻に新たな涙が溜まるまでは――
だから、おれの望み通りの雫が、赤く染まる頬を濡らしたら……
その可愛い唇でなじっておくれよ2011.2.24
2013.6.24修正