「おーい、ナマエー」
「何よもう! また怪我人!?」
「おいおい、噛みつくなよ」
「うるさいっ! 人を猛獣みたいに言うなッ」
ひっきりなしに自称患者が訪れる医務室。当番のはずのナースが風邪をひいていて、当直明けのナマエに白羽の矢が立てられたのが、昼過ぎの話。
以降、主に二番隊と四番隊の隊員を中心に、有り難くもない大繁盛を見せていた。
「ったく、しょーもない傷ばっかり作ってんじゃないわよ」
「そりゃ、白衣の天使の言う台詞じゃねェな」
「白衣の天使に夢持ってるアンタの頭の中が心配だわ、わたしは」
ハハッと邪気のない笑顔を見せるテンガロンハットの男が、そばかすだらけの頬を掻く。嫌みを言う目の前の女に構うことなく、何がそんなに楽しいのか声を上げて笑い出すもんだから、笑われた張本人のナマエはますます面白くない。
「アンタとサッチは、もう少しマルコを見習って落ち着いたらどうなの?」
「なんだァ?惚気かーナマエ! よし、聞いてやるからおまえもルフィの話を――」
「聞かねェよい」
「あ、マルコ」
エースのいつもの弟自慢が始まろうとした瞬間、開いた医務室の扉。狙ったかのようなタイミングで、眠たげな目をしたマルコがやって来た。話し出すと長いエースの弟自慢に捕まらず済んで、こっそり吐き出したのは安堵の溜息。
唇を尖らせつまらなさそうにするエースの背中をぐいぐい押し出しながら、マルコが医務室の扉をご丁寧に鍵まできちんとかけて閉めた。
「今日は大変だったな、忙しかったんだろい」
「あー…うん、まぁ仕事だから仕方ないんだけどね」
「あんまり無理するなよ? 昨日も寝てねェだろい」
「大丈夫。朝少しだけ仮眠は取ったから……って、そういやどうしたの?」
不思議そうにマルコを見上げるナマエの疑問も、当然といえば当然だ。この医務室は言わばナマエの職場。闘いの場にナマエが足を踏み入れることが無いのと同じように、特別な用が無い限り、わざわざマルコが此処へ立ち寄ることもない。
それなのに今日のマルコはと言えば、特に怪我をした風でも熱があるようでもなく、至って普通。むしろ穏やかな笑みを浮かべてさえいる。
「いや、せっかく取った休みなのに潰れちまっただろい? せめて一緒に過ごすくらいはと思ってな」
「え? せっかく取った……って、え? あれ?」
「……何だ、忘れちまってたのかよい」
当直明けの怠い身体を自室のベッドへ沈ませてから、泥のように眠ったナマエ。ぼんやりと覚醒しきらない頭のまま医務室へ引き摺られやって来て、ひっきりなしに続いた怪我の治療や病人の世話。バタバタと慌ただしく過ぎていった一日を振り返ってみて、やっと気付いた。
そういえば、当直明けの今日は一日休みの予定だった。でもそもそも何で今日、休みのシフトを入れてたんだっけ?と。
「……あっ!」
そう、そうだ。そうだった――今日はマルコと付き合って一年の記念日。
もちろん素敵なレストランで綺麗な夜景を眺めながら甘い言葉を囁き合う、なんて展開はマルコもわたしも期待していない。
ご飯なんてこの船のコックさんが作ったものの方が数倍美味しいし、潮風を浴びながら眺める星空ほど美しい景色はない。愛の言葉は二人っきりでそっと交し合えば、それで十分だから。
ただいつもお互い忙しい船上で、一緒に過ごせるのは不寝番や当直の無い夜の、わずかな時間だけ。だからこそせっかくの記念日くらいは、ゆっくり二人で過ごそうと約束していたのに。
何故今の今まですっかり意識から抜け落ちていたんだろう。間抜けな自分にびっくりする。確かに最近は忙しい日々が続いていたけれど――
「……やれやれ、やっと気付いたみたいだなァ」
苦笑いを浮かべるマルコの瞳は変わらず穏やかで、優しい。ばつの悪い表情を浮かべたナマエがごめん、と唸るように呟いた。
マルコはいつだってナマエに対して怒ることなんてない。少し歳の離れた可愛い彼女の我が儘も、時にヒステリックにぶつけられる八つ当たりも、彼にとってみれば自分に気を許している証拠。
微笑ましく思うことはあっても、それを煩わしいだとか鬱陶しいだなんて微塵も思ったことが無いのだから。
「そんな顔するなよい」
笑うと目尻に皺の出来る、ナマエが大好きなマルコの笑顔。それを見つめる彼女の眉がぐしゃりと歪む。ポンポンと頭を撫でる大きな手を振り払って、キッと睨み上げた。
「子供扱いしないでよ。ていうか約束忘れられてたのに、ヘラヘラしてるとか馬鹿じゃないの」
ハッとして口に手を当てる、ナマエの視線が床を彷徨う。
思ってもいないことが、口から零れた。仕事にかまけて恋人との約束を忘れていた自分自身を責める想い。なのにマルコは文句を言うこともなく、ただ微笑むだけ。それがとてつもなくナマエを居心地悪くさせた。
だからと言って酷い言葉を浴びせる道理はないと、自分自身でも十分理解はしていたのだが……こうなってしまっては止められない。
「ごめん、もう今日は疲れたから出てって……」
「ナマエ」
「……っ」
ぎゅっと強く閉じ込められたのは、逞しい腕の中。厚い胸板も見慣れたマークも、嗅ぎ慣れた匂いも全部全部――大好きなマルコのものだった。
「おまえはほんとに可愛げがねえなァ」
「っ!う、るさい……」
「我が儘ばっかりだし、仕事に夢中でおれのことなんてすぐ忘れちまう」
「……何よ、今更文句!?」
「だがなァ、そんなおまえに付き合えるのは……おれしかいねェよい」
別にいい彼女になろうなんて、つまらねェことは考えなくていいよい。
ただ、おれの傍でずっと笑ってりゃあ、それでいいんだ。
そう言ってまた一段と嬉しそうに笑みを深めたマルコ。少し赤くなったナマエの、眉間に寄った皺に小さく口づけを落とす。
骨張った大きな手のひらは、ささくれ立った棘を撫でつけるように、そっと髪の毛を滑っていった。
たとえ君が何になれなくてもずっと隣にいるし頭を撫でたいと思うよtitle / にやり
2011.5.4
「スパンコール・ヴァージン!」のユーキさんへ捧げます