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キラキラ、飛び散った


年末近い週末の繁華街は、どこか浮かれた様子の酔っ払いが千鳥足で楽しげに肩を組んでいる。会社やサークルの忘年会だろうか。年齢や職業も様々だが、皆一様に顔を赤らめ高らかな笑い声を上げていた。

そんな中、道端に蹲って背を丸める女が一人。



「ナマエ、アンタさすがに今日は飲み過ぎよ」

「……う、分かっ…てる……」



呆れたように腕を組んで、酔っ払い女――もといナマエを見下ろしていたオレンジ色の髪の女が、溜め息まじりにご尤もな一言を投下する。反論の余地すらない親友からの言葉に、ナマエはただただ項垂れるのみ。



「とにかく、車呼んどいたから」

「ごめ、ん……ありがとナミ」

「貸し一つね」

「……鬼」

「何とでも言いなさい」



守銭奴ナミへ借りを返すことを思うと、ぐるぐる回る視界が余計に歪んでいくような心地もしたが、兎にも角にもナマエはさっさと家に帰って窮屈な服を脱ぎ捨てベッドに寝っ転がりたい気分だった。



「おーいナマエー! 水買って来てやったぞ」

「買ったのはおれだ」

「どっちでもいいじゃねーか! 細かい男だな、トラファルガー」



ナミが呼んでくれたというタクシーの到着をナマエが待っていると、現れたのはさっきまで一緒に飲んでいたボニーと、遅くなった彼女を迎えに来たのであろう意外と心配性なトラファルガーの姿。


ぶんぶんと大きく振り回すボニーの右手に握られているのは、ミネラルウォーターのボトル。それから左手は、刺青の入った浅黒い手と繋がっていた。そんな見慣れているはずの光景にも「いいなぁ」なんて羨ましさが湧き上がるのは、人恋しくなるこの季節のせいだろうか。



「……ほんっと迷惑かけてごめんね、トラファルガーも……」

「別に構わねェよ。まァおまえがこの時期に荒れたくなる気持ちも分からんでもないしな」

「なーナマエ、今年のクリスマスも一人で過ごすつもりか?」

「……ちょ、何なのこの容赦ないカップル……うう、吐きそ…」

「ボニーの言う通りよ。アンタは何年もグズグズし過ぎなのよ」

「ナミまで……そんな!」

「だ・か・ら」

「……?」

「呼んどいたぞ!」

「へ?」

「もうそろそろ着く頃だろうな、キラー屋」

「はぁ!?」



予想外の、しかしもう何年もずっとナマエの脳内の大部分を占めていた男の名が飛び出して。素っ頓狂な声を上げて目を白黒させる彼女を取り囲んだ悪友たちは、揃いも揃ってニヤリと悪そうな笑みを浮かべた。



「おれは酔った勢いで押し倒すことを勧める」

「でもキラーの奴、ヘンなとこで真面目だからなァ」

「あら、男だったら据え膳食わぬは恥じゃない? 押し倒すくらいの気概がないと!」

「ちょ、ちょっと待ってよ。呼んだのってタクシーじゃなくて?」

「「「キラー(屋)に決まってるでしょ(だろ)」」」



三人の声がキレイにハモったところで、回る視界にいよいよ耐えられなくなるナマエ。しかし足元から崩れるようにぐらりとふらついた彼女の身体を襲う衝撃は、いくら待ってもやって来なかった。



「……何をやってるんだ、おまえは」



薄っすらと開けたナマエの視界に飛び込んできたのは、派手な水玉模様と少しクセのある金色の長い髪。背中に回されたがっしりとした腕の感触に、自然と頬へ熱が集まる。



「キ、キラー!」

「行くぞ」

「えっ、行くって……あのっ」



ニヤニヤと笑いながら手を振り見送る三人の姿と、己の左手を掴んだままズルズルと引き摺るように歩き続けるキラーの横顔とを何度も見比べるナマエ。何が起きているのか未だに理解は出来ていない様子だが、すっかり酔いは醒めてしまったようだ。



「乗れ。家まで送る」



繁華街を抜けてすぐの駐車場に停められていたのは、見覚えのある赤のクーパー。年代物のそれはキラーの自慢の愛車で、赤いボディと黒いルーフの派手なツートンカラーは寡黙な性格に反して意外と派手好みな彼にお似合いだった。



「ご、ごめんね。キラーにまで迷惑かけちゃって……」

「違いない」



押し込まれた狭い車内。何度か乗せてもらったことのある革張りの助手席は、女のナマエでもそれほど余裕はない。彼女よりもずっと大きな体躯のキラーは、その身体を半ば折り曲げるようにしてハンドルを握る。



「ほんとごめん! 今日、休みだったんでしょ?」



エンジン音だけが響く静かな車内に耐え切れず、長い前髪に覆われて表情の分かりづらい横顔をそっと窺いながらナマエが問うた。真っ直ぐ前を向いて運転中のキラーの双眸が、彼女を捉えることはないのだが。


怒っているわけではない、と分かっていてもナマエは謝らずにはいられなかった。多忙を極める彼の貴重な休みを、飲んだくれた旧友の介抱に使わせるのだから謝罪しか浮かばない。ボニーやトラファルガーのように恋人同士でも何でもない二人なのだから。



「おまえの世話をするのには慣れている」



昔からナマエとキラーの関係はこうなのだ。高校大学と学生時代を経て社会人となった今も、良くも悪くも二人の関係は変わらない。


「友達」と一括りにするには何だか物足りない。何くれとなく世話を焼いてくれるキラーはナマエにとって「兄」のようであり、共に過ごした長い年月はさながら気心の知れた「幼なじみ」のそれにも近い。そんな不思議な関係をずっと続けてきた。


だが残念ながらそれは、ナマエの意志ではあるが……彼女の本意ではない。


大好きな「兄」をずっと独り占めしていたいように、大切な「幼なじみ」の傍でずっと笑っていたいように。ナマエの胸で小さく渦巻いていたはずの感情は、いつの間にか彼女の胸に巣くうようにどっしりと根を下ろしていた。


そばに居たい、そばに居てほしい。名前を呼びたい、名前を呼んでほしい。触れたい、触れられたい。そんな欲が積み重なっていって、次第にナマエは身動きが取れなくなった。

そして決めてしまったのだ。満たされることはないけれど、傷つくことも無い、ぬるま湯のような関係に浸かりきってしまうことを。



「……キラーってお母さんみたいだね」

「おれはおまえの保護者じゃないんだがな」

「……あはは、そうでした!」



茶化すように笑いながら、でも何故かキラーの方を向いていられなくて。ナマエは窓ガラスの向こう、流れる景色を視界に映すことに専念した。色とりどりのネオンに彩られた街並みが、次第に遠ざかっていく。



「おまえにとって、おれは一体何なんだ?」

「……え?」



赤信号の手前、引かれた白線を越えないよう静かに滑り込んで停まった車。越えられない境界線のこちら側で、ナマエの呼吸も時間も止めてしまうような視線を注いでくるキラーもまた、二人の関係にどこか臆病になっているのかもしれない。


一歩を踏み出せない二人は、互いに同じ場所で留まり続ける。そうする間はずっと傍に居られるからだ。踏み越えてしまえば一人ぼっちになってしまうかもしれない。そんな恐れを抱いたまま、物言いたげな視線だけを互いに交し合う。



「ナマエ……」

「キラー…わた、し……」



シフトノブに置かれていたキラーの左手がゆっくりとナマエの肩先へ向かう。節くれ立った武骨な指先が、アルコールの所為で淡く色づいた頬へ触れるまであと数センチ……というところで、派手に鳴り響いたのは後続車からのクラクション。



「……っ」

「ぁ……」



信号は赤から青へと変わっていた。魔法が解けてしまったかのように、目の前の境界線が途端にただの白線へと成り下がる。躊躇いなく踏み込まれたアクセルが赤のクーパーをぐんぐんと加速させていく。


キラーは再び前だけを向いて静かに車を走らせる。ナマエもまた訪れた沈黙に口を噤み、フロントガラスに切り取られた夜の街をじっと見つめた。


ああこうして移ろう景色とともに、二人の時間は当たり前のように変わらず流れていくんだろう……と。何年来と突きつけられてきた現実を、ナマエが確信した瞬間――隣に座る無口な男から、思わぬ波紋が投げかけられた。



「……なあ、ナマエ」

「……ん?」

「今年のクリスマスは、一緒に過ごさないか」



このまま普段通りの二人に戻るのだと確信すらしていたナマエを裏切る一言は、だがしかし彼女の心拍数を急激に速め、僅かな期待の芽を膨らませるには十分だった。




キラキラ、飛び散った




エンジン音に掻き消されてしまいそうな程の小さな声で「うん」と頷いた女と、張り詰めていた緊張を緩めふっと柔らかな笑みを口端に浮かべる男。

踏み込んだ一歩は、二人を隔てる薄氷のような壁を破った。飛び散った破片はキラキラと空に舞い上がり、臆病で愛おしい二人を祝福するだろう。





2011.12.18
「juvenile」のつぐみさんへ捧げます


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