――コンコン、
「船長、入るぞ?」
ノックして声を掛けたところで部屋の主からの返事が返ってくること自体まれで。第一ペンギンがこの部屋へ入ることに、もともと許可なんて要らないのだ。だからあくまで他のクルーへの建前上、形式的にドアを鳴らしたに過ぎない。
その証拠に返事を待たず、薄暗い部屋の奥に鎮座するダブルベッドへと向かう。ギシギシと床が軋む音だけが静かな部屋に響いた。
床の上に積み重なる分厚い本の山。その山から崩れ、乱雑に散らばった本を一つ一つ拾い上げながら辿り着いた先には、死んだように眠る男の姿。
包まるシーツから覗く剥き出しの肩に触れると、薄っすら付いた筋肉越しに伝わる骨の感触。それよりもすっかり冷えた肩先が気になって、静かに眉根を寄せた。
「おい起きろ、ロー」
二人きりの時にだけ口にする呼び名。幼い頃から何千、何万回と紡いできた言の葉は、いつの頃からか魔法の呪文のようにこの心を甘く痺れさせる。
――いや、甘くだなんてそんな可愛げのあるものじゃないか。嵌ったら最後、抜け出せない蟻地獄のように中毒性のある猛毒だ、これは。
そんなことを思って苦笑いを浮かべながらも、眠り続ける身体を揺さぶり目覚めを促す。僅かな唸り声とともに眉を顰めた表情に、ローの頬へ指を滑らせながら思わず見入った。
眉間に出来た皺も、目の下から消えることのない隈もすべてが愛おしい。
「………」
「……ん」
吸い寄せられるように、少しカサついた薄い唇へ自分のそれを重ねれば。眠りを妨げられ、眉間の皺はさらに深くなる。ゆるゆると持ち上がった瞼から、深海のように深くて暗い瞳が姿を現した。
「やっとお目覚めか?」
「……何時だ」
「もうすぐ昼飯の時間だ」
身体を離してそう告げれば、怠そうに頭を掻くローが大きな欠伸を一つ。それから刺青の刻まれた腕が二本、ゆっくりと持ち上がった。寝起きで力の入っていないであろう手のひらが、ヒラヒラとおれを手招きする。
素直に顔を寄せてしまうのは、おれが蟻地獄に捕らわれた獲物だからだろうか。
「起こしてくれよ」
「……甘えるな」
そう言いながらも首に巻きついた腕に少しだけ気分を良くして、背中を支えてやれば。
「別にいいだろ、お前にしか甘えねェんだから」
だなんてニヤリと確信犯的な笑みを浮かべるものだから、堪らずまた唇に噛みついてやった。
抜け出せないんじゃない、抜け出したくないんだ。蟻 地 獄
2011.2.11
2013.6.23修正
「mokmok」のコロモさんへ捧げます