任務に行っていたわけでもないのに、ずっしり圧し掛かってくるような言いようのない倦怠感。それをずるずる引き摺ったまま、ヴァリアー本部へと戻って来た夜更け。わたしを待ち構えていたのは、長い前髪で顔の半分を隠した自称王子だった。
「なにおまえ、今帰ったの?」
「……そうだけど、ベルこそまだ起きてたの」
何故かカラカラに渇いたのどを潤したくて向かったキッチン。その途中横切った談話室で、スナック菓子の袋へ手を突っ込んでいるベルに捕まった。よくこんな真夜中に間食をして太らないものだと、毎回感心する。
「まあ、そんなとこ」
「明日午前中から任務入ってなかったっけ?」
「ししっ、よく知ってんじゃん」
「さっさと寝たら? 朝起きれなくなるよ」
「ガキじゃねーし、起きれるっつーの」
冷蔵庫からペリエの瓶を1本取り出して、そのまま部屋には戻らずベルの隣へ腰かけた。よく見ればソファの前に置かれたローテーブルの上には、チョコレートにポップコーン、アイスにプレッツェル。ベルが食い散らかしたと思われる残骸が転がっていた。
その量から察するに、どうやら相当前からこの場所に居座っていたらしい。子供じゃないと言うなら、自分が食べたものの後始末くらいしたらどうか。
「もう、またこんなに散らかして」
「だって王子、暇だったし」
「意味分かんない。あんたは暇だと部屋を汚すの?」
「おまえがなかなか帰って来ないからだろ」
「は?」
テーブルの上を片付けていた手を止めて、隣のベルを見れば。長い前髪の下でへの字に結ばれた薄い唇が、どうやらワガママ王子のご機嫌を損ねているらしいことを伝えてくる。一体急にどうした。
気まぐれなベルの機嫌が急降下することは、確かに珍しくはない。だが今さっきまでのやり取りのどこにそんな要素が……と疑問符を浮かべていたわたしの視界が、突然金色に染まる。ベルの真ん丸い頭だ。
「ちょっ、ベル!? どうしたのよ」
額をぐりぐり鎖骨へ押し付けてくるベルの表情は、残念ながら窺うことが出来ない。戸惑いながらも宥めるように、ボーダー柄のカットソーを着た背中をさすってみれば。
「……煙草の匂いがする」
「え?」
「またアイツんとこ行ってたの?」
肩におでこを乗せたまま、低く唸るような声でベルが小さくなじってくる。ちゃんとシャワーを浴びて帰ってきたはずなのに、王子の鼻は誤魔化せなかったみたいだ。
「……あんな弱っちいヤツのどこがいいわけ」
「……ベル、」
「なんでオレじゃダメなの」
「待って、ベル!」
「ナマエ、」
「ベル、だめ」
そこから先は言葉にしてしまったらダメだ。一度でも言の葉にしてしまえば、後戻り出来なくなってしまう。それが分かっているから、わたしはベルの言葉を遮る。ごめんね、と心の中だけで呟いて。
ベルがわたしへ向けてくる視線の意味が分からないほど子供ではない。でもだからこそ、素直に受け止めることが出来ない。当たり障りない距離を保ちながら、ただ曖昧に笑うだけのわたし。伸ばされる手のひらをすり抜ける術だけが、いつの間にか上手くなってしまった。
唇を噛むことにも慣れたそんなこの関係に、白旗を上げる日は来るのだろうか。じわりじわりと世界は金色に侵食されていく。
title / hmr
2012.6.11