Varia | ナノ
ウィスタリアの夜明け


ベルフェゴールには、とある国の王族の血が流れているらしい。らしい、というのはその国の名を彼は語らないし、事情を知っているであろうボスも同様に、このことに関して口を開くことはない。
もちろんボスの場合、大口開けるのは大好きなお肉を食べるときくらいなもので、ただ単に興味がないとか面倒臭いだとか、そういった理由からだと推察される。
いずれにせよ、わたしには真相を確かめる術がない。そもそも、王族だったからといって何だというのだ。結局は同じ人間、しかも暗殺を生業とする同じ穴の狢である。たぶんこれを言うと、ベルフェゴールはすごく嫌がるだろうけど。王子をそのへんの庶民と一緒にすんな、って。


「なーもうめんどくせーから、チャチャッと殺ってきていい?」


わたしの横でパリパリと小気味よい音を立てながら、いつの間に買ってきていたのか美味しそうなスフォリアテッラを口に運んでいたベルフェゴール。しばらく大人しくしていたかと思ったら、指についた粉砂糖を舐め取って一言。それは、この数時間の偵察任務を台無しにするような発言だった。


「なに言ってんの、今は仕掛けるための証拠集めが先でしょ」
「んなまどろっこしいことしなくても、結果は見えてんじゃん」
「……だとしても、よ。これが今のわたしたちに与えられた仕事なんだから」


教科書通り、と言えばいいのだろうか。ベルフェゴールにとっては心底つまらなく、また期待はずれな言葉の羅列であろう正論を突きつけると、わたしは彼から視線を外して数十メートル先にいるターゲットへと意識を集中させた。視界の端でベルフェゴールが口をへの字に曲げる気配がした。


「あーあ、つまんねーの」


退屈そうにため息を吐くベルフェゴールは、徐々に白み始めた明け方の空を背に、両手を頭の後ろで組む。絹糸のような金色の髪が揺れるその様子を、わたしはこっそり横目で覗き見た。
ちょうど地平線から顔を覗かせ始めた太陽が、射し込む光の筋で暗い闇を切り裂いていく。闇に紛れたわたしたち暗殺者を、無遠慮に照らし出すように。


「王子、偵察って嫌いなんだよねー」
「……だろうね。わたしは、そうでもないけど」


同じ薄暗い世界に身を置くはずの、悪魔の名を持つベルフェゴール。それなのに光を受けて立つ彼の頭上ではティアラが煌めき、痛みのない美しい金色の髪の毛は光の粒をきらきらと反射させている。不公平だ、と思う。これがいわゆる"王族"と"一般庶民"の差なのだと言われたら、不本意ながらも納得してしまうくらいには。


「ふーん、なんで?殺しのほうが楽しいじゃん」
「なんでって言われても……わたしはベルみたいに天才じゃ、ないから」
「つーか王子と一緒のレベルとか百億年はえーから」
「……うん、そうだね」
「……なに、暗殺がイヤんなったわけ?」
「ううん。好きとか嫌いとか、そういうんじゃないよ」


だってわたしたちにとってそれは、呼吸をするくらい自然なことでしょう?
でも、それでも。たまにすごく息苦しく感じるときがある。何が、なんて自分でもよく分からない。
暗殺が嫌になったわけではない。わたしにはこの生き方しかないから。これを取り上げてしまえば、それこそわたしは自分の居場所を失ってしまうことになるだろう。

ただ時折、言いようのない感覚に陥るときがあるのだ。光の射さない暗闇は、何かを掴もうと伸ばした自分の指先の輪郭でさえおぼろげにさせる。闇に紛れ込んだ自分がこのまま溶け合って消えてしまうような、そんな感覚。


「ふーん。ま、王子には凡人の考えなんてわかんねーけど……」


星だけが静かに輝いていた漆黒の夜空は、少しずつその色を変えていく。ミッドナイトブルーから次第に紫がかって、だんだんと澄んだ青空へと変貌していくのだ。そしてこの明け方の空は、ちょうどウィスタリア。


「凡人は凡人らしく、天才のうしろをついてくりゃいーんじゃね?」


にんまりと口角を上げたベルフェゴールがししし、と独特の笑い声を立ててそう言った。青みがかった淡い紫の中で笑う金色。どこか神々しささえ感じるその姿に、もう何度目なのかは分からないけれど、目を奪われてしまう。


「……そっか。そう、なの……かな」


ベルフェゴールの放った言葉を頭の中で繰り返しながら、ゆっくりと噛み締める。傲慢ささえ感じる言葉だというのに、でもそれはわたしの中へすとんと落ちてきた。
暗闇の中に居てなお、自らが眩いほどに輝くベルフェゴールのそばならば。その光のおこぼれで、闇に溶け出してしまいそうな足元くらいは照らされるのかもしれない。息苦しさにもがくわたしの、道しるべとなり得るのかもしれない。

ああ、もう夜明けだ。朝がやってきた。




2013.3.10


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