賑わうメインストリートから少し脇へ逸れると、古書店や骨董店の並ぶ路地がある。その通り沿いに佇む一軒の古びた喫茶店に通うようになって、もう何年になるだろう。
木製のドアを開ければ、控えめに鳴るドアベル。間口の狭い縦長のこじんまりとした店内に足を踏み入れれば、右手にあるカウンターで仏頂面の店主が迎えてくれる。
暇な時間帯ならば左手壁面を天井近くまで埋め尽くす本棚の整理をしていたり、はたまた彼自身がコーヒー片手に読書に耽っていることもあるのだが。
どうやら今日はお気に入りのカップたちを一つ一つ磨くことに専念していた様子。ちなみにこの喫茶店では、客のイメージに合ったカップを店主が独断と偏見で選ぶことになっている。
「よォ、久しぶりだな」
「久しぶりローさん! 相変わらず酷い隈だねぇー」
「フン、おまえは相変わらず色気がねェな」
「余計なお世話ですー! あ、いつものお願いね」
これでもたまに食事に誘われたりするんだからね! と、大して自慢にもならないことを言い張れば。「でもおまえ、男出来ても続かねェよな」だなんて、ホント余計な一言が返ってきた。
けどローさんの言う通り、何でだかわたしって男運が悪いらしい。向こうから言い寄られて付き合っても、結局いつも相手に好きな人が出来てフラれちゃう。この喫茶店で涙と鼻水を垂らしながら、ローさんに慰められたのも一度や二度じゃない。
「そう思えば……ローさんとも長い付き合いだよねぇ」
「は? 何だいきなり、気持ち悪ィヤツだな」
訝しげに眉を顰めながら、ローさんがカウンターにいつものミルクティーが入ったカップを置いた。もちろんカップもいつものヤツ。
初めてこのお店を見つけたのは確か、学生時代デート中に彼氏の二股が発覚した時だったか。泣きながら店内に飛び込んだわたしに、ローさんは何も言わず湯気の立つミルクティーを渡してくれたっけ。
「ねえ、わたしってまだこのカップ? わたしもあそこに飾ってあるような大人っぽいデザインがいい」
「あァ? 何だよ、今日はどうしたんだ」
学生服を着てたあの頃とは違って、わたしも今じゃ立派な社会人だ。なのに未だにミルクたっぷりの甘ったるいミルクティーが注がれるのは、北欧風のクローバー模様が可愛らしいカップ。
「別にどうもしないけど、ローさんいつまで経ってもわたしのことガキ扱いするよね」
「フフ、おれから見りゃおまえはいつまで経っても泣きべそかいてるガキだからな」
「……意地悪」
「そりゃ褒め言葉だな。おまえを苛めるのはおれの専売特許だ」
「何それ」
意味分かんない、と不貞腐れながらカップに口をつければ。顔にかかった髪の毛を払うように、ローさんの指先がそっと撫でる。驚いて見開いた眼もそのままに、固まるわたしへニヤリと笑ったローさんが一言。
「……だから、おまえはもう他の男の所為で泣いたりすんな」
「なっ……!」
「返事は? まあ、イエスしか受け付けねェがな」
そう言って、顔を真っ赤にして黙りこくるわたしの前に置かれたのは憧れのウェッジウッドのカップに注がれた……カフェオレ?
「鴛鴦茶、だ」
「えんおうちゃ?」
「ああ、香港式のコーヒー紅茶だな。その二つを混ぜ合わせて作るから、鴛鴦――オシドリって意味だ」
「コーヒーと紅茶……」
「男女二人で飲むお茶、って意味らしい」
苦みのあるコーヒーと紅茶の茶葉の香りに混じって白く渦巻くミルク。まるでそれはわたしよりもずっと大人なローさんと、まだまだ子供なわたしを表しているようで。
混じり合う様は悔しさ半分、でもそれよりも何だか胸の奥がくすぐったく震えた。
「おれからおまえへの、スペシャルメニューだ」
「……甘い、よ」
「当たり前だろ」
「……バカ」
カウンターの向こうでいつものように肘をつき、こちらを見つめる瞳はひどく穏やかで。ああ、わたしはこの眼差しに守られていたんだと――やっと気付いた。
スペシャルメニューを開く呪文辛いこと、悲しいこと、嬉しいこと。何かあればいつも此処に来ていた。
ローさんのそばが一番落ち着く、だなんて。当たり前すぎて気付けなかったのは、わたしだけだったのかな?
2011.2.6
素敵企画「ラテの海におぼれて」様へ提出