現代 | ナノ
そこには幸せが潜んでいる


友達に勧められてネットで大人買いした漫画が届いた週末。大好きな梅酒をロックで頂きながら、窓辺に置いたソファの上でページを捲る。適齢期の女の休日の過ごし方にしては随分侘しいのは承知の上ではあるが、残念ながら一緒に過ごす相手もいない。


いや、実際のところ"恋人"と分類して差し支えない程度の存在は居るのだが。何せお気楽なOL生活を送るわたしと違って、その相手というのは非常に忙しい男で。はっきり言って週に一度電話なりメールがあるとか、月に一度会えればまだ良い。下手すれば音信不通のまま、ひと月が経ちかねないのだ。


とは言え、それに大きな不満を抱いているわけでもなく。わりと自分一人の時間を大切にしたいタイプであるわたしとその男は、周りから見れば実に奇妙なバランスの上で絶妙に成り立つ関係をずっと続けてきていた。


「……うっわ、まじかー…」


佳境に入ってきた漫画に釘付けになりながら、グラスの中身を口に含む。カーテンをわずかに揺らす夜風とゆっくりと首を振り続ける扇風機が送る生温い風が、キャミソールと短パン姿の今のわたしには、ちょうどいい塩梅だ。


ああ、面白すぎる。予想の斜め上を行く展開に手に汗を握りながらもちょっと小腹が空いてきて、あー何かおつまみが欲しいなーなんて。でも買い置きのお菓子やら乾き物は切らしていた気がするので、口寂しさは何とか誤魔化すことにしよう。


――なんて頭の隅っこで考えながら、忙しなく紙面を追っている時だった。ガチャガチャと乱暴な音を立てて、玄関の施錠を解く気配がした。

何だ一体、と身構えた次の瞬間には、玄関から続く短い廊下とリビングとを隔てる扉が開け放たれた。


「よォ、元気にしてたか」
「っ、なんだ……ローか、びっくりしたじゃん」
「何だじゃねーよ、失礼な奴だな。合鍵持ってんだから普通に入ってくるだろ」
「だって、来るとか聞いてないし普通は驚くわ」


現れたのは約一か月ぶりに姿を見る、恋人のローだった。相変わらず目の下の隈がひどいことになっている。ちゃんと休養を取っているのか、さすがのわたしでも心配になるレベルだ。わたしの健康を問う前に、まずは自分の心配をして欲しいもんである。


「……なあ、この部屋暑くねェか?」
「え? ああ、クーラー入れるならリモコンそこにあるよ」


手に提げていたコンビニのビニール袋をテーブルの上に置きながら、眉を顰めたローがぐるりと室内を見回した。たしかにローの言う通り冷房など入っていないこの部屋は、外気温とそう変わりはしないかもしれない。

けれどじっとしている分にはそこまで不快だとは思わないし、何よりもわたしはクーラーの風が苦手なのだ。だから来客時以外は扇風機だけで過ごすようにしており、もちろんそれはローも知っている。


「……いや、いい」
「何で? いいよ、風弱めにしてくれてたら」


だからこそ、外からやって来て汗をかいているだろうローへクーラーのリモコンを指し示したのだが。何故かそれに手を伸ばすことなく、そのままわたしが座るソファの空いたスペースへと腰を下ろした。


「暑くないの?」
「暑ィ」
「じゃあ、つけなよ」
「いい、どうせじきに汗も引く」


暑いと言いながらもクーラーをつけず、さらには隣へ座るわたしの肩を抱くようにして、指先で髪の毛を弄っている。今日のローは何だか変だ。どこがと問われても、上手く説明は出来ないけれど。口数が少ないのはいつものことだが、普段ならこんなにもべったり引っ付いてこない。


「んー……じゃあ、シャワーでも浴びる?」
「何だ、誘ってんのか?」
「ばか。汗かいたんなら流してきたら?」
「ナマエは?」
「わたしはもうお風呂入っちゃった……って、ちょ…ねえ!」
「あ?」
「あ? じゃなくて、くすぐったいよ」


シャワーを浴びに行く気はまったく無いらしい。首筋へ顔を埋めてきたローの髪の毛がちくちくと肌を掠め、どうにも落ち着かない気分にさせる。少しだけ、汗の匂い。このままくっ付いていたら、そのうちはしたなく欲情してしまう気がして。パリッとしたワイシャツ越しにローの肩を押し返そうとしたのだけれど。


「……っ、ん」
「ここ、蚊に刺されてるじゃねェか」
「え、あ……ああ、うん」


鎖骨のすぐそばに残る赤い痕をなぞるよう、強めに吸われた肌に小さく声が出た。痒さに負けて掻いてしまった、数日前の虫刺されを目敏く見つけたローに思わず苦笑い。


「おまえ、昔から虫に好かれるもんな」
「あはは、そうそう。悪い虫にも好かれてるけどね」
「誰が上手いこと言えっつったんだよ」
「あれ、自覚はあるんだ?」
「うるせェ」


茶化す言葉を封じ込めようと重ねられた唇で、呼吸も奪われた。黙れと言わんばかりに深くなる口づけに、ずるずると引き摺られるようにソファへと沈み込む身体。ああもういっそ、ひと月ぶりの逢瀬にこのまますべてを委ねてしまおうか。



そこには幸せが潜んでいる



title / hmr
2012.8.21


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