現代 | ナノ
蝶と蜘蛛


※「彼女はパンク」を先にお読み下さい





「お疲れ様でしたー」
「ゴメンな、遅くまで残らせちゃって」
「やだ、そんな謝らないで下さいって!」
「いやーでもマジで助かったよ! 今度何か奢らせて!」


残業を終えて社員通用口から出れば、腕時計はあと少しで今日に終わりを告げようかという時間。こうして終電ギリギリまで、コンペの準備に追われる先輩の手伝いを買って出たのには……理由がある。


今日は週末、金曜日。きっとあのソファの上の粗大ごみは、酒を飲み歩いているに違いない。だって一昨日、スロットでボロ勝ちしたと豪語していたから。それに何より週末の繁華街は、引き篭もりなくせに意外と顔が広いらしい男の、興味を引くものできっといっぱいだから。


楽しいことや気持ちいいことに関してだけは、やたらと行動的なんだから。ああもう、本当に厭になる。だって悔しいじゃない?明かりの灯らない真っ暗な家に真っ直ぐ帰って二人分の食事を用意するなんて、こんな惨めで馬鹿馬鹿しいことはないもの。

だからこうして1分1秒でも遅く、家に帰ってやろうと思っていたのに――


「ナマエ」
「っ!……なんで、いるの……」


頼りない街灯の下でガードレールに腰掛けていた細長い影が、聞き慣れた低音でわたしの名前を紡ぐ。


「え、っと……ナマエちゃんの知り合い?」


呆然と立ち尽くすわたしに、先輩が遠慮がちに声をかけてくるけれど。こんな時にもわたしの視界と思考回路を埋め尽くすのは、たった一人だけで。


「来い、」
「ちょっ……ロー!」


どこまでもマイペースなローは、ここがわたしの職場だから…なんていう配慮は全くない。肉食獣のようにギラついた鋭い目で、わたしの動きを封じ込めてしまう。

そして不機嫌さを隠そうともせず、力いっぱい掴んだ手首を引っ張って路地裏へと引きずり込んだ。


「やっ、いたっ……離して!」
「……こんな時間まで何やってたんだよ」
「何って、仕事に決まってるでしょう? 他に何があるって言うの、ローじゃあるまいし……っ、ぅ!」
「黙れ」


ギリギリと握り潰さんばかりに力を込めて拘束された両手首が、コンクリートの壁に押し付けられる。そのまま噛みつくような口づけが何度も落とされ、暗くて狭い路地裏にはわたしの荒い呼吸が響いた。


「おまえはおれのモンだってこと、忘れんじゃねェ」
「……っな…によ、それ……」


息を整えるわたしの耳元へ、唇を寄せたローが小さく囁いた言葉。こんなにも自分勝手で傲慢なセリフを、わたしは知らない。けれどそんな言葉にどこか喜びを感じて震え出す胸が、堪えきれなかった感情を透明の滴に変えていく。


「ナマエ、帰るぞ」


頬を濡らす涙を拭う、ローの指先はどこまでも優しい。頬を包み込む刺青の入った大きな手に、自らの手をそっと重ね合わせてしまったわたしは――もうとっくの昔に、あなたに囚われたままなんだろう。



そして蝶は自ら、蜘蛛の巣で羽を休める



2011.7.19


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