現代 | ナノ
二人ぼっちの世界


※「満ち引きするココロ」を先にお読みください





来春結婚することになった――学生時代からずっと付き合ってきたナマエに、そう告げた五年前。

ついさっきまでベッドの中で繋がっていたはずの恋人から、唐突にそんなことを言われたというのに。責めることも問い詰めることもせず、アイツは長い睫毛を一瞬だけ伏せるとあっさり頷いた。


「……そう。じゃあ、お別れだね」


薄く色づいた唇が緩く弧を描きながら紡いだ言葉は、いつかこんな日が来ることを覚悟していたかのような、随分と落ち着き払ったもので。

こんな時だというのに「ああ、コイツのこういう所は嫌いじゃなかったな」なんて愛おしさにも似た甘やかな感情が、身勝手なおれの胸の中を支配した。


「へェ、お別れ……ね。フフ、何言ってんだ? ナマエ」
「……ロー?」
「おまえは、おれのもんだ」
「……どういう意味?」


訝しげに眉根を寄せたナマエの後頭部を引き寄せて、略奪者のごとく呼吸を奪った。胸を押し返そうとしてくる細腕を掴んで、噛みつくような口づけを繰り返すその合間――


「ナマエ……おまえを囲ってやるよ」


おれが告げた一方的過ぎる提案に、ナマエの黒目がちな瞳が大きく見開かれた。信じられない、そう非難してくるまなざしはそれでも真っ直ぐに、おれの姿だけを映している。


こんな風にしかおまえを繋ぎ止めることが出来ないおれの姿は、その目にどんな風に映ってるんだ?酷く情けない男だろうか、それとも身勝手で最低な男か。どちらにせよ、ロクなもんじゃねェんだろうな。


――そりゃそうか。トラファルガーの名前を守る為だけに、顔も見たことねェようなどっかの医者の娘と結婚するんだ。


なァ、それでもおれは……掴んだこの手を離してやることは出来そうにない。自分勝手なおれのことを憎んでいい、恨んでも構わねェから、それでもおまえはおれのそばに居てくれねェか?


そんな言葉には出来ぬ想いを込めてもう一度重ねた唇は、今度は抵抗を受けることなく甘く受け止められた。


*****


「……どうしたの? 考えごと?」
「何がだ」
「今夜のロー…おかしいわ」
「……」
「病院、忙しいの?」
「いや、順調だ。ただ……」
「ただ、何?」


汗ばんだ肌を摺り寄せてくるナマエの頭を腕に乗せて、束の間の温もりを確かめる。温まった身体からは嗅ぎ慣れた、バニラとローズが混ざり合ったような甘い彼女の香り。それは学生時代、たしかクリスマスプレゼントで贈った香水だ――それをナマエはずっと使い続けていた。


「……昔のことを、思い出してた」


そう、すべては昔のこと。以前のようにお互いの誕生日を祝ったり、クリスマスだ何だと理由を付けて一緒に過ごすことはもちろん、手を繋いで街を歩くことすらなくなった。

それでも身体の奥深くで繋がるこの時間だけは、昔から何ら変わることなく互いを熱くさせた。ナマエの弱い部分はおれが初めてその身体に教えた通りの反応を、今も変わらず素直に返してくる。


「昔の……?」


こうしてホテルの部屋で待ち合わせて、身体を重ねるだけの関係になって早五年。親父が倒れて以降、後ろ盾がないと自力では経営がままならなくなっていた曽祖父の時代から続くうちの病院も、この五年で何とか立て直すことが出来た。


「なァ、ナマエ」
「……なあに、ロー」
「おまえは……」
「……?」
「……いや、今夜はおれもここへ泊まってく」
「ねえ、本当にどうしたの? ロー」


帰らなくても大丈夫なの?と心配そうに何度もしつこく聞いてくるナマエの身体を、ぎゅっと強く抱きしめて腕の中へ閉じ込める。


「いいから、おまえはこうされてろ」


つむじや額、こめかみにキスを落としていくうち、次第に大人しくなった身体をそれでも離すことなく抱きすくめたまま、久しぶりにナマエと会話をした。

ベッドの中での快楽を誘う為のソレではなく、ただ純粋に恋人同士だった頃のように。ホテルの窓から四角く切り取られた空が白み始めるまで、それは夜通しずっと続いた。


「……ねえロー。どっか、行きたいね」
「旅行か?」
「そう、温泉でもいいし……あ、でも南国のビーチも捨てがたいなぁ」


繰り返される他愛無い会話の中、ナマエがぽつりと漏らしたささやかな希望。だが口にした本人は実現するとも、させようとも思っていないのだろう。どこか机上旅行を楽しむような無邪気な声色で、どこどこへ行ったらあれを食べてみたいだの何だのとはしゃいでいる。


こんなに嬉しそうに笑うナマエを見るのは、いつぶりだろうか。

このホテルでいつもコイツがおれに見せるのは、すべてを心得たような物分かりのいい大人びた笑み。それをさせていたのは、誰だ?考えるまでもねェ、おれ自身だ。何の為に?病院を守る為?……馬鹿馬鹿しい。何故、おれは――


「なァ、どっか……行っちまうか」
「……え?」


何処か――それは、ここへ戻って来ることが前提の「どこか」ではなく。ここを捨てて向かう「どこか」だ。さっきナマエが言った「どこか」とはまるっきり違う。おれの真剣な表情と声色で、それを悟ったのだろう。ナマエの笑顔が一瞬にして消えた。


「ナマエ、おれもおまえも……五年前のあの日に、全部間違っちまったんだ」
「ロー……」


困ったように眉尻を下げるナマエの頭を撫でながら、そっと柔らかな口づけを施していく。じわりと湧き上がった、少ししょっぱいそれも残さず舌先で舐め取って。


「ゼロから、やり直さねェか」


もう泣かせねェ、なんて大それたことは言えないが。せめて流すその涙を、拭い取る距離に居させてくれ。



世界にふたりぼっちだったらいいねなんて
そんな甘ったるいかなしみ




それでも世界が二人寄り添うことを拒むなら、そんなものはぶっ壊しちまおう。



last title / hmr
2011.12.12


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