ワートリ短編 | ナノ
恋はゆるやかな死を待っている


初恋は実らない。使い古されたその言葉を言い訳に、思い出として美化できればよかったのかもしれない。ただの憧れ、そう片付けてしまえれば、どれだけよかっただろう。
けれど自分自身が一番よく分かっている。この胸に巣食う想いが、そんな言葉では到底収まりきらないことを。


「どうしたの? 話って、何かあった?」


二人で過ごすための口実をでっち上げ、あまり強くはないお酒を勧めて油断を誘う俺のこと――こうしてつけこむ隙を探しているだなんて、きっと彼女は想像すらしたことがないんだろう。
そりゃそうだ。俺がまだこの人の身長を追い越せなかった頃から、二人の近くて遠い距離は、1ミリたりとも変わりはしないのだから。


「うん、たまにはね、ナマエさんと飲みたいなって……それだけなんだけどね」
「なあに、可愛らしいこと言っちゃって」


くすくすと小さく笑い声を上げながら、悪戯に覗き込んでくる表情を直視できなくて。ポケットに忍ばせた煙草に手を伸ばす。ライターと一緒に取り出したそれを、手のひらで遊ばせながら、苦く笑った俺にあなたは気付かないだろう。

マホガニーのカウンターには、二つ並んだグラス。俺のジン・トニックと、彼女のベルベット・キス。ナマエさんはカクテルを飲むとき、いつもそれを注文する。一度聞いたことがあった。そのカクテル、好きなの? って。

少し照れくさそうに、彼女は言った。「真史さんがね、二十歳になって初めてバーに連れて行ってくれたときに、注文してくれたの」って。
それからずっとバカみたいに同じものばかり注文しちゃうのよ、なんてはにかむナマエさんが、すごく幸せそうだったのを今でも覚えている。俺にはあんな顔をさせることは、きっと出来ないだろう。

ベルベット・キス、か。忍田さんもちょっと気障だよね。ずるいよなぁ。全然敵わないもんな。幼い頃から追いかけ続けた背中は大きすぎて、いつまで経っても近づけやしない。二年前、身長だけは追い越した。でも、図体だけ大きくなっても仕方ない。自分との間に横たわる距離を、立ちはだかる高い壁を、余計に痛感するだけだった。


「ナマエさんさぁ、忍田さんのどこが好き?」


取り出した煙草に結局火は点けず、定位置の左隣に座る横顔に問いかければ。不意をつかれたようにぱちりと大きく瞳を開いた彼女が、こちらを見つめる。ひとつ、ふたつ、みっつ数えたくらいで沈黙に耐え切れず、ライムの浮かんだジン・トニックを一口だけ口に含んだ。

ゆっくりと瞬きを繰り返したナマエさんが、左の薬指にはまった銀色の輪っかをゆるゆると撫でる。その仕草は、彼女が忍田さんのことを考えるときの無意識の癖。たぶんナマエさん自身も気付いていない。
俺も気付きたくはなかった。知りたくなかったよ。その光景を少しでも遠ざけたくて、こうして二人並ぶときにわざと右側に座るようになったのも、それでも目が離せないのもきっと全部、全部あなたのせいだ。


「そうねぇ……いいな、素敵だなって思うところは沢山あるわよ?」
「……はは、言うね」
「でも一番は、ああ見えて自分のことにはズボラなところかしら」


翌日着るシャツを用意しておかないと平気で何日も同じものを着続けるところとか、着古した下着の捨て時が分からなくてゴムの緩んだものをずっと着続けるところ。だらしなくて不精するところが可愛く思えてしまうなんて、我ながら末期よね? なんて困ったようにナマエさんが笑う。


「へえ、いつもきっちりネクタイ締めてる忍田さんがねぇ」
「自分にだけ見せてくれるダメな部分って、女は案外惹かれるものなのよ」


それは半分正しくて、半分は間違っている。ダメなところも愛おしいなんて、それは心底相手を愛してるから言えることなんじゃないかな。結局のところナマエさんは、忍田さんだからこそ、どんな醜態を晒しても全部を受け入れられるんだと思うけど。
この人はそれに気付いて言ってるんだろうか。俺はバカだけど、ナマエさんのことはずっと見てきたから、分かるよ。でもこれをそのまま伝えるのはちょっと悔しいから、教えてあげない。


「ふーん、そんなもの?」
「そう、そんなものなの。慶くんはいないの? イイ子」
「さあ、どうかな」
「なによ、わたしにだけ喋らせて逃げる気?」
「ナイショ」
「あ、生意気ー!」


へらり、得意の薄っぺらい笑みを浮かべて誤魔化した。
そんな俺の反応が面白くなかったのか、隣から伸びてきたほっそりとした手が、癖の強い猫っ毛をかき混ぜてくる。昔はよく頭を撫でられていた。あたたかくて懐かしい感覚。けれど記憶にある手のひらは、こんなに小さかったっけ。

今ならこのまま捕まえて、この腕の中に閉じ込めることだってきっと出来るだろう。でも、しない。俺の大切なひとは、俺の大切なひとの一番大切なひとだから。結局俺はすべてを捨てる勇気も、どちらか一方を選ぶ勇気もない、臆病者で。

ちゃんと終電までには、二人が暮らすあのマンションへあなたを送り届けるから。このくらいの意地悪と、つかの間の温もりに縋ることだけは、どうか許してほしい。



恋はゆるやかな死を待っている



title / 寡黙
2014.4.12

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