ワートリ短編 | ナノ
あなたに目を伏せて生きるだけ


もっと早く慶に出会っていれば、異世界へのゲートなんか開かなければ、なんて。たらればの話を言っても仕方がないし、どう足掻いても変えようがないのは分かっていた。
それでも、そんなどうしようもないことばかり考えてしまう瞬間が、いつの間にか増えていて。それに気付いたとき、わたしはこの関係ももう潮時なのだなと、静かに覚悟を決めた。

慶がわたしたち二人の関係をどう思っていたのかは分からない。自分の気持ちや考えを相手に伝えるという行為が、わたしたちはお互いに下手くそだったから。
もっと言葉や態度で伝える努力をするべきだったのだろう。慶の先輩の風間さんに言わせれば、わたしたちは似た者同士の、臆病で馬鹿な二人らしい。


「行くのか」
「うん。鍵、返すね」
「ああ」


高校を卒業した後、すでにボーダーのA級トップになっていた慶は、本部基地に程近いマンションで、一人暮らしを始めた。その時もらったこの部屋の合鍵は、すっかり鈍色にくすんでしまって、手にしたときの輝きは今はもうない。

大学の授業に防衛任務、いや、防衛任務の合間に授業と言ったほうがいいのかもしれない。任務以外にも自分の部隊の訓練や模擬戦、多くはなかったけれど会議や打ち合わせといったものも合わせると、ボーダーでの活動が最優先事項である慶と、ボーダー隊員でも何でもないただの同級生だったわたしとでは、時間の流れ方が端から違う。

それでも少しでも一緒に過ごせる時間が欲しくて、もらった鍵を握りしめて何度もこの部屋へ通った。静まり返った真っ暗な部屋で、慶の帰りを独り待ちながら朝を迎えたのも、両手では足りないくらいだ。
淋しさを紛らわせるために慶の匂いの残る布団に潜り込んで、余計に虚しくなって。一人分の体温では薄ら寒くて、眠りに就くなんて到底出来ない。その繰り返し。

ボーダー隊員でも何でもない、ただの太刀川慶と、もっと早く出会ってさえいれば。ううん、近界民もボーダーも何もない平和な世界で、ただの高校生のまま出会えていれば。きっとこんなにこの胸が痛むことはなかった。

わたしは嫉妬していたのだ。太刀川慶を形づくるすべての要素に。出会った時にはすでに、彼はもう、今こうして目の前で困ったような曖昧な笑みを浮かべる"A級1位の太刀川慶"だったのだから。


「その薄笑い、やめたほうがいいよ。胡散臭いから」
「ひどいな。もっと他に言うことはないのか?」
「ないよ……ない。なんにも、ない」


そうか、と言って目を伏せた慶の睫毛が、頬に影を作る。さよならを告げたのはわたしの方なのに、何でこんなに苦しいんだろう。この部屋を出た瞬間から、わたしは自由になれるのに。

次に付き合う人は、わたしを一番に優先してくれる、平凡だけれど優しい人を選ぼう。お互いの休みの日には街へ出て映画を観たり、少し遠出してこの街にはない海を見に行くのもいいかもしれない。緊急呼び出しなんて気にせずに、どこへだって行けるんだから。


「……じゃあね、ばいばい」


ああ、それでも。きっとわたしは、胸にぽっかり空いた虚を埋められないまま、明日も明後日もずっと生きていくんだろう。




あなたに目を伏せて生きるだけ




title / 寡黙
2014.3.23

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