ワートリ短編 | ナノ
きみとつながる糸なら何色だっていい


 わたしには秘密がある。わたしが好きなアイツにも秘密がある。アイツが好きなあの子にも秘密がある。みんな胸の内に秘めた思いを、こっそり抱えている。
 でもわたしはあの子みたいに真っ直ぐで強くはないから、アイツが見せる迷いだとか、ほんのちょっとの隙につけこんで縋ってしまいたくなる。でもこれは、わたしだけが悪いんじゃない。別に乗ってくるアイツにも責任はあるし、なんて言い訳めいたことを言うつもりは、ないけれど。
 むしろこの二人だけの秘密、という甘い響きが身体を巡る毒のように、わたしを麻痺させ溺れさせる。

*****

「あっれー? これ今月の月刊ボーダー?」
「……米屋。出水は?」
「佐鳥んとこ行ったー」

 ちょっと見せて、そう言って米屋がわたしの膝の上から雑誌を取り上げる。上に乗せていたものがなくなったせいで、屋上のコンクリートに投げ出した脚が、少しだけスースーした。短いスカートから伸びるわたしの両脚の隣に、米屋の黒い学生服の脚が並ぶ。
 拳ひとつ分くらいの距離、肩先が触れるくらいの近さ。ふわりと香った米屋の香水の匂いだとか、制服越しにこうして感じる肌の温もりも、わたしはすでに知っている。米屋がここに来る意味も。お昼休みはまだ半分以上残っていた。

「なんかあった?」
「なんで」
「だって米屋、なんかあった時しか来ないじゃん」
「読まれてんなー」
「米屋のことなら、分かるし」

 ぺらりぺらりと、雑誌のページを捲っていた米屋の手が止まる。今のわたしの台詞に対してなのか、見開きの特集ページに凛とした澄まし顔を見せる想い人の姿を見つけたせいか。聞かなくても分かる。きっと後者のほうだ。
 わたしの発する言葉に、米屋が揺らぐことはない。女の狡さを盾にしてわざと匂わせたこの想いすら、米屋はなかったことにしてしまう。それにほっとする自分と、胸を痛める自分との両方を行き来しながら、ほんの少し開いていた二人の距離を、わたしからゼロにした。

「ねえ、しよ?」
「女の子がそういうこと簡単に言っちゃ、ダメじゃん?」
「いや?」
「んー……と、思うじゃん?」

 覆い被さる米屋の肩の向こうで、高く昇った太陽がわたしたちを見下ろす。にやりと弧を描く米屋の薄い唇が重なって、甘えるようなくぐもった声が出た。たかだか生まれて十数年でも、ああわたしも立派に女なんだなって、こういう時に思い知る。

「いーや、最高」

 愉しげに目を細める米屋の、この顔が好きだ。吸い込まれてしまいそうな真っ黒の瞳が、わたしだけを映すこの瞬間。背中がぞくりと震えた。米屋の好きなあの子は知らない、雄の顔だ。
 心の距離は埋まらないって分かっているから身体だけでも、ってそう思うことは悪いことなんだろうか。今このひとときだけでも、この人はわたしのものだって錯覚するくらい、許してほしい。あの子の代わりだって、そんなことはとっくに知っているから。

*****

「昨日さ、本部にとりまるが来てたんだよね」
「うん」
「オレさ、ちょうどラウンジで木虎見かけて、声かけようとしたとこだったわけ」
「うん」

 ズボンのチャックを上げながら、いつもの飄々とした調子で米屋が笑った。わたしも制服を整えながら、頷いて言葉の先を促す。わたしの想いに気づいていながらこんな話をする米屋を、ひどい男だと言う人もいるかもしれない。でもわたしはこれまでの経験から知っている。米屋の口からあの子の名前が出る時が、どういう時なのかってことを。
 もしもあの子が米屋を選んだ時、米屋がわたしを手放す時、きっとこの人は何も言わずにこの関係を終わりにする。わたしにはそんな確信があった。米屋があの子の話をするってことは、まだわたしを必要としてくれているってことだ。
 どんなにみじめな役回りだったとしても、わたしが居座る場所が残されている限りは、わたしからは離れない。米屋を好きでいることを、諦められない。だから利用して利用されるわたしたちは、お互い様だ。

 それでも右から左へと抜けていく言葉たちに、ちくりと胸が痛んでしまうのはしようがない。
 うん、そっか、へえ、そうなの? 相槌を打つ自分の声がどこか遠くに聞こえた。

*****

 週に一度くらいのペースで、米屋と身体を重ねるようになってから半年くらいが経つ。
 場所はこの間みたいに学校の屋上だったり、人気のない公園だったりいろいろ。いけないことだとは分かっているけど、警戒区域内にある廃ビルでもしたことがある。ホテルはほとんど使ったことがない。学校帰りの制服姿じゃまずいし、休憩料金だとしても高校生にはなかなか痛い出費だ。米屋はボーダーの給料が出ているらしいけど、それでも毎回奢られるわけにもいかない。
 お互いの家には、行ったことがない。わたしの家は高校のある三門市から電車で40分くらいかかるところにあるから、ちょっと寄ってく? なんて誘いはしづらい。米屋の家には行ってみたいと思ったこともあるけど、それを口に出してしまうと何となくダメな気がして、本人に言ったことはないしこれからもないだろう。

 自室のベッドに寝転んだまま、手の中のスマートフォンをじっと見つめる。
 米屋、もう防衛任務は終わったかな。放課後の教室を慌ただしく出て行く姿を見送ってから、かれこれ六時間。最近の三輪隊は特別任務を与えられているらしく、米屋は公欠扱いがずっと続いていた。今日久しぶりに登校してきたものの、残念ながら二人きりになれる時間はなかった。

 彼女でもないのに鬱陶しがられるかもしれない。でもほんの少しだけ、声を聞くだけだから。そう言い聞かせて、発信履歴の一番上にある米屋の番号をタップした。五・六回の呼び出し音の後、もしもーし、といつもの軽い調子の米屋の声が聞こえてくる。ちょうど任務は終わったところらしく、今から本部へ戻って報告書を出すのだという。
 三輪隊のメンバーも周りにいるだろうし、あまり邪魔するのもいけない。そう思ってすぐに電話を切ろうとしたわたしを、珍しく米屋が呼び止めた。

「なあ、この後ちょっと時間取れねぇ?」

 米屋の言わんとすることが分かって、部屋の壁に掛かった時計を見る。時刻は十時ちょっとすぎ、今から身支度を整えて家を出れば、まだ三門市行きの電車はある。始発でこっそり戻って来れば、家を抜け出したことが親にバレることも多分ない。そう結論づけると、了承の意を告げて電話を切った。

*****

 任務終わりはいろいろと高ぶるもんなのだ、と以前教えてもらったことがある。それから何度かさっきのような誘いを受けて、夜に家を抜け出して会うことがあった。
 こんな自分を滑稽だと、そう思うこともある。都合のいい女だと揶揄されれば、確かにそうかもしれない。
 それでもわたしは、いつか米屋がわたしのことを見てくれるんじゃないか、あの子に振られた後でもいいからわたしを選んでくれるんじゃないかって、そんな夢想に縋りながら米屋の隣に居続けるだろう。

 ぐるぐると回り続ける時計の針のように、一方通行のこの想い。後戻りすることも出来ず、ただ積み重なって重みを増して、そしてこの胸をじくりじくりと痛めつける。力尽きて動きを止める、その時まで。
 電池の切れた時計と違うのは、リセットなんて出来ないってこと。とっくに掴まれ、引きずり出されたこの心は、二人が出会う前の何も知らなかった頃に戻ることはない。

 三門市へ向かう電車に揺られながら、流れる車窓へと視線を移す。まだまだ賑やかな町の明かりのずっと奥、聳え立つボーダーの本部建物が遠く向こうに見えた。




title / 寡黙
2014.5.25

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