海賊 | ナノ
意味は消え価値も失せそれでも恋しい


わたしの六人目の主となったトラファルガー・ローは、変わった男だった。
身の丈は六尺三寸ほど。すらりとした長身痩躯に、引き締まった浅黒い肌。それらを覆うように彫られた刺青は、洋服に隠れて見えない場所も合わせるとかなりの数だ。
眼光鋭く、年中眉間の皺が取れないのにはもう慣れた。世間一般での彼の呼び名は、死の外科医。最近では、そこに王下七武海という称号も付いている。
その王下七武海へ入るためだけに、海軍本部へ海賊の心臓を百個届けた残忍な男だった。あくまで、世間一般的には。

でも、わたしはそうは思わない。残忍? 本当にそうだろうか。たしかにローは目的のために手段は選ばない。必要であれば酷いことも平気でする。
だが、残忍な海賊として名の通っている彼のもとへやって来てからおよそ十年、その間にわたしのこの手が赤く染まったのは、数えるほどしかない。
こんな奴らの血でおまえを汚すまでもねェ――こんなことを言う主は、初めてだった。それこそがわたしが彼を変わっている、と思う一番の理由だ。

ローと出会う前、わたしは人殺しの道具だった。
人斬りとして物心ついた頃にはすでに、肉を裂き、骨を断つあの感触だけがわたしを喜ばせ、真っ赤な鮮血を浴びる時だけが生を感じられる瞬間だった。
冥土へと誘う死神のようだと、わたしを見た人は言う。そんなわたしを重宝した主もいれば、薄気味悪いと言って幽閉した主もいた。

飢えや渇きを満たすように貪欲に血を求め続けた結果、五人の主のもとを転々とした。そして生まれ育った国を出たあと、海で彷徨うわたしをローが手に入れた。
いわくつきなのは、ローも分かっていたはずだ。だがそれでも、彼はわたしを連れて行くことに決めた。

嬉しかった。もうその頃にはわたしの手を取る物好きなど、とっくに居なくなっていたからだ。
この人のもとでまたわたしは人を斬るのだ。物騒な刺青の入った骨張った手に触れた瞬間、そう理解した。そしてそれはすとんと胸の奥に納まり、じわりと湧き上がる喜びがわたしを満たした。

だが、話はここで終わらない。
出会った頃にはすでに悪魔の実の能力者となっていたロー。残忍な海賊という肩書きの他に、腕の立つ外科医という一面も併せ持つ彼は、とても賢い男だった。
無駄な争いや体力の消耗は、基本しない。三下海賊にありがちな、力でねじ伏せるという蛮行にはまず走らなかった。
加えて、彼の戦う姿は実に洗練されていて、オペオペの実の能力を使うことで、血を一滴も流さずに敵を再起不能にした。

故に、わたしの出番はあまりなかった。
いや、確かにわたしの、わたしだけの役目はあった。誰よりもローのそばで、彼の右腕として在り続けた。そのことに異論を唱える者はいないだろう。
またそれは、ローと過ごす月日が積み重なるごとに、わたし自身へわずかな愉悦と矜持をもたらした。

節くれ立った無骨な手、薄鈍色の鋭い眼差し、不敵に弧を描く薄い唇。
誰よりもローの近くで彼を見つめ、彼を感じてきたわたしは、いつの間にか誰よりもローに囚われていたのかもしれない。ああ、なんて、こわい人。
すべてを捧げる覚悟はとっくの昔に出来ている。命折れる時まで、ずっと添い遂げたい。そう強く願う気持ちに、嘘偽りはない。

だがそれでも、赤い血に染まりすぎたわたしは、薄い膜が張りつくように付き纏う圧倒的な物足りなさを、打払うことが出来なかったのだ。

――丑三つ時、明かりの消えた船長室のベッドの上。先ほどやっと寝付いたローの寝顔を、起こさないようにそっと窺う。
寝ている時にさえ、その眉間にはうっすらと皺が刻まれている。何でもそつなくこなすように見えて、案外不器用で危なっかしい生き方をするのだ、この人は。
何がそんなにローを生き急がせるのか。わたしを片時も離さずそばに置きながらも、その目はこちらをちっとも見ようとはしない。
どこか遠い場所、あるいは戻ることなど決して出来ない過去、だろうか。ここにはない何かに縛られ、ひたすら身を削るいとおしいロー。

ああそうだ、いっそこの手に掛けてしまおうか。

血に飢えたからからのこの身に、ローの身体から噴き出す鮮血が降り注ぐ瞬間を想像すると、ぞくりとした。
潜んでいたはずの欲がじわりと滲み出して、いけないと分かっているのに、ローの首筋に浮かぶ太い頸動脈から目が離せなくなる。

かたかたかたかたかた、かたかたかた、かたかた、かた、かたかたかたかた。

ローを求めて止まないのか、それともただわたしの本能が、赤い血を求めているだけなのか。分からない。自分でもわから、ない。震える。
抑えられない。湧き上がる衝動に目の前が真っ赤になり、震える。血を、血が、欲しい、ローの、赤い血の味。知りたい知りたい知りたい、知り、たい。

かたかたかた、かたかたかたかたかた、かたかた、かた、かたかたかたか――…ロー、わたしが見えるの?


「……おまえは、誰だ」


眠りから覚めたローは、枕元に佇むわたしを睨み付けるように目を眇めた。咄嗟に立て掛けていた大太刀へと手を伸ばしたローの動きが、ぴたりと止まる。
同時にかたかたかたと震えていたわたしの本体も、ぴたりと止まった。寝起きのローの手のひらは、いつもよりも少し温かい。

わたしの存在意義、生まれてきた目的。それは、人を斬ること。

わたしが初めて斬った人間は、わたしを生んだ刀鍛冶の男だった。
それからたくさん、数え切れないくらいたくさんの、人間を斬った。赤い血の通った、温かくて弱い生き物。
現世に未練を残しながら死んでいった人間たちの怨念が、さらに赤い血を呼び寄せた。いつからわたしは、この名で呼ばれるようになったんだっけ――そう、


「鬼哭、か……?」
はい


けれど、ロー。あなたのそばで過ごしたこの十年、わたしはその名に相応しい"わたし"でいられたのでしょうか?
血を浴びない白銀のわたしは、赤く染まることはなく、ただローのそばで錆びついた鈍らになっていたのかもしれない。
そんなわたしが今なお、妖刀・鬼哭を名乗ってもいいのでしょうか。
ほら、だってあんなにもさっきまであなたの血を欲していたのに、今はあなたをこの手に掛けることなんて、とても出来そうにないのだから。


「おれの血を、吸いに来たのか」
いいえ。あなたを、お慕いしております


伝わることはないでしょう。交わることも通うことも、ないでしょう。
死を招く呪われた刀、それが鬼哭としてのわたしの存在意義でもあった。けれども、それすら擲ってでも、ローのそばに在り続けたい。

そんなわたしはただの……ただの、何になるのだろう?
意味は消え、価値も失せて、それでもただ、あなたが恋しいだけ。




2014.3.9

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