海賊 | ナノ
あどけなく誘う首筋


昼食時のベポは今日もしつこく浮上をせがんできた。
毛むくじゃらのアイツにとって、潜水中の船内が耐え難い暑さであることは承知の上で、そうせざるを得ない理由がある。
先日停泊していた島で騒ぎを起こしたおれたちを執拗に追いかけてくる、海軍の軍艦だ。しつこいそれを完全に撒くまでは、しばらくは海中を進むことになるだろう。


「キャプテン。部屋の拭き掃除、今しちゃってもいいですか?」
「ああ、悪ィな」


日課である船長室の掃除へとやって来たナマエが雑巾片手に尋ねてくるが、その額にはうっすらと汗が滲んでいた。働き者で気の利くナマエは、他のクルー達からの評判も高く、あちこちで声がかかるたび船内を走り回っている。

最近は潜水ばかりで窮屈な思いもさせていたから、たまには宴でも開いて労ってやらねェとーーなんてことを気まぐれに考えながら、ふと見遣ったナマエの背中。
どこか頼りなさげな小さなそれを、ソファに腰掛けたまま何とはなしに眺めた。

床へ置いた水の張られたバケツに雑巾を浸し、ぎゅっときつく絞り上げる白い手。本棚、机、ベッドサイドのテーブル。濡れた雑巾が順を追って木目に沿うように滑っていく。俯いたナマエのうなじに、汗で張りついた後れ毛を見つけた。

隔てた扉の向こうでは、動力室のモーター音とシャチたちの騒ぐ声がかすかに聞こえてくる。だがこの部屋だけは、まるで切り離されたように静かだった。
ナマエが動く度に微かに音を立てる、濡れた雑巾と衣擦れの音。ただそれだけ。


「……」


何故そうしたのかは、自分でも分からない。気付いた時にはそっと息を潜めて、バケツの水に雑巾を浸すナマエの首筋へと手を伸ばしていた。


「……っひゃ!」


大袈裟に肩をびくつかせたナマエが、そろりとこちらを仰ぎ見る。頭上に大きな疑問符を飛ばしながらも、何も言わないおれを気遣わしげに見つめる姿を、ただじっと眺め続けた。

何かを言いたそうに開けたり閉じたりを繰り返す小さな唇に、自然と視線が向かう。その間もちらちらと、何らかの回答を求めるようなナマエの視線を感じてはいたが、自分自身この行動の意味を計り兼ねているのだから、答えようもない。


「ナマエ」
「キャプテン? どうしました?」
「……おまえのせいだ」
「えっ……え? あの、えっと?」


ナマエの手の中から滑り落ちた雑巾が、ばしゃんと大きな水音と飛沫を上げた。
掴んだ手首はおれの手に余るほどの細さで、引き寄せて腕の中に閉じ込めることは容易かった。しっとりと汗ばんだ首筋に鼻先を近づけると、少しだけ甘い匂いがした。




title / 寡黙
2014.2.9

戻る | *前 | 次#
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -