海賊 | ナノ
とある一つの幸福論


少しの悲しみもない純粋な幸福なんて、
めったにあるものではない




それは突然のことだった。互いの甲板を行き来しながら敵味方入り乱れての大乱闘の最中、運悪く飛んできた流れ弾。命に別状がなかったことは、幸か不幸かで言うならば、間違いなく幸運なことだっただろう。

しかし運命の悪戯と喩えればいいのか、わたしの世界はその日から無声映画のように音を失くした。

目に映る空と海の青さは、故郷の島を飛び出したあの日と変わりはしない。頬を撫でる海風の感触と潮の匂いも、この船へはじめて乗ったあの日に感じたものと同じだ。
ただ違うのは、頭上をゆっくりと旋回するカモメの鳴き声が聞こえないこと。波間から顔を覗かせるイルカの群れに、はしゃぐベポの歓声がこの耳には届かないこと。


「 そろそろ中に戻れ。風邪ひくぞ。 」
「 あと少しだけ。ダメ? 」
「 わがまま言うのはどの口だ? 」
「 わがままじゃないよ、おねだり。 」
「 じゃあもう少し可愛く強請ってみるんだな。 」



肌身離さず持ち歩くようになった、スケッチブックと鉛筆。もうすっかり慣れた筆談も、この二つがないと始まらない。少し頬を膨らませながら、ニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべるローへ、書き足した最後の一文を見せる。


「 ローのいじわる! 」


すると、フッと目を細めたローの唇が緩やかに弧を描いて、節くれ立った大きな手が海風でぐしゃぐしゃになった髪の毛を梳くように、ゆっくりと撫でていく。はじめて触れあった時と変わらぬ温かさを与えてくれる、安心できるその手。

慣れ親しんだ温もりが嬉しくて、くすぐったくて。はにかむようにそっとローを見上げた瞬間、額にあらたな熱を感じた。そして気付く。海風にさらされた身体は、思いのほか冷えてしまっていたのだと。心配かけてごめんね、ロー。


そんなわたしの気持ちが伝わったのか、離すもんかと言わんばかりにぎゅうぎゅうと両腕を巻きつけ、小さな身体をすっぽり覆ってしまったローに笑いがこぼれる。たしかにわたしの世界は音を失くしてしまった。ローの低くて落ち着いた声はもう聞けないし、会話には紙と鉛筆が必要だ。


でもそのおかげで気付けたことが、今のわたしには沢山ある。自分の想いを相手へ伝える方法は、ひとつだけじゃないということ。それは、こうして抱きしめあう力の強さや伝わる体温だったり、慈しむようにそっと落ちてくる口づけだったり。


それに、何よりの大発見が一つ。口数が多いとは言えなかったローが、白い紙の上だと饒舌に愛を語ってくれるのだ。そりゃもちろん分かりやすい言葉で、というわけにはいかないけれど……それでも目に見える形で残る、降り注ぐ愛情の欠片たちはわたしの宝物だ。



翳りさえもふたりで享受できたなら、
それはきっととても幸せなことでしょう




2012.7.11
素敵企画「人間論」様へ提出

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