海賊 | ナノ
愛、或いは哀


1分60秒、1時間60分、1日24時間、1年365日。人間は限られた時間の中で生きている。不公平で不平等なこの世界で万人に唯一等しく与えられているのは、この時間くらいなものだろう。

世界中を震撼させたあの頂上戦争から約1年、世界情勢は日々目まぐるしく変化している。そんな8760時間という長いようで短い時間の中で、最悪の世代のルーキーと呼ばれる者たちも着実に力を蓄えていた。


その最たる例こそがこの黄色い潜水艦に君臨する、ハートの海賊団船長のトラファルガー・ローではないかとナマエは感じている。

彼女自身のクルーという立場から、仮に贔屓目に見ていたとしても十分おつりが出るんじゃないかというくらい、ローは強くなった。もちろんそれだけの修羅場を潜り抜けてきたからこその力ではあるが。


「……」


今彼女が立ち尽くす目の前では、グランドラインへ入った頃と比べると数段逞しい身体つきとなったローが、黙々と片腕立て伏せをしていた。昼食の時間だと呼びに来たはずが、声をかけるタイミングを失ったまま見入ってしまうこと数十秒。


腰に引っかけるようにゆるく穿いたジーンズの上は、特徴的な刺青が入った裸の上半身。普段は隠れているはずのそれが、惜しげもなく晒されている。床についた手のひらを支えに、ゆっくりと屈伸する腕の動きに合わせ伸び縮みする骨格筋は、無駄がなく美しかった。


緩やかなカーブを描く背骨と浮き出た肩甲骨の合間を、一滴の汗が流れ落ちる。まるでコマ送りのスローモーションを見ているかのように、視線が吸い寄せられた瞬間。床を見つめたままの状態でローが口を開いた。


「……何だ」
「…あ……昼食の、時間…です」


ナマエがごくりと唾を飲み込んだ音が、静かすぎる空間にやけに響いた。カッと頬へ集まる熱を感じながら必死に言葉を紡いで、船長室へ赴いた用件を伝えようとする彼女に、ローの物言わぬ視線が注がれる。

交差した視線は、ナマエの動きをいとも簡単に封じこめてしまった。身動ぎはおろか呼吸すら困難に感じるほどに。


「すぐ行く」


いよいよ息苦しさを感じ始めた時、ようやくローが動き出す。立ち上がりナマエの前までやって来ると、その深い海の底のような瞳が彼女を静かに見下ろした。


「……っ」


血の、においがした。ナマエは鼻腔に届いた覚えのある微かな臭いに、知らず眉根を寄せる。目の前の汗ばんだ褐色の肌から漂うそれは、この船長室の奥に続く隠し部屋で行われた、彼女が唯一嫌悪するローの行為を物語っていた。


「逃げるな、ナマエ」


後退る彼女を壁際へ追いやるように、ローの腕が伸びる。あらたに右手に彫られたDEATHの文字が、真綿のようにそっとナマエの頬を撫でた。しかし頭を振ってその手を拒否する悲しげな瞳は、薄く膜を張りながら頼りなく揺れている。


「……また……ど、して……」
「……言っただろう、必要なんだ」


ナマエは知っていた。臓器、神経、生殖器に眼球、人体のあらゆるパーツが小さな隠し部屋に所狭しと並んでいるのを。もちろんローは医者だ。そういった収集品があってもおかしくはない。だがそれらはすべて、この小部屋でバラされた若い女たちの成れの果てだった。


何故どうしてと問い詰めても、ローの答えはいつも同じだった。何に使うのかナマエにはさっぱり分からない。ただ分かっていることといえば、上陸する島々で少し前からローが女を攫ってきているということ。

はじめは羽目を外した女遊びだと、クルーの誰もが思っていた。それまでにも陸に上がった際にはローが娼館へ足を運ぶことはあったからだ。ただ船に女を連れ込むことは無かったので、さすがにペンギン辺りは眉を顰めたが。


「な、んで……わたしじゃ…だめ、なんですか……」


刺青の入ったローの腕へ縋るように、ナマエの不自由な右手が添えられる。利き手だったそれは、数ヵ月前の戦闘で負った怪我の後遺症で手首から先が上手く動かない。しかし戦闘員として使い物にならないからと船を降りようとした彼女を引きとめたのは、他でもない船長のローだった。


だがそのローはというと時期を同じくして、拾ってきた女を船に連れ込みバラバラにするという奇行を見せるようになった。


「必要なら……わたしの身体から、いくらでも取って…構いませ、から……」
「……ナマエ?」


だからお願い、他の女の人は抱かないでください。絞り出すようにこぼれ落ちたナマエの声は、掠れながらもしっかりとローの耳へ届いた。その証拠に、訝しむように細められていた彼の瞳がわずかに見開かれたから。


**********


むかしむかし、あるところに海にきらわれた男がいました。
しかし男は海のむこうの世界にこがれ、生まれそだったふるさとをすてて島をとびだしました。
はじめはひとりぼっちだった男にも、旅をつづけるうちにひとり、またひとりと仲間がふえていきました。
そしてとうとう男はさいあいのひとりと出会いました。うれしいときもかなしいときも、ふたりはずっといっしょでした。
あるとき男は、ヒヨクレンリのちかいをかわそうと、きらきらかがやくゆびわをおくることにきめました。
けれどざんねんなことに、ゆびわをわたすことはできませんした。
海がまっ赤にそまったある日から、えがおがにあうさいあいの女は、男のまえからすがたを消してしまったからです。


**********


彼は知らない。彼女が自らの命を投げ打ってでも役に立ちたいと願うほど、彼を愛しているということを。

彼女は知らない。彼が渡せぬまま引き出しに仕舞ってある、彼女への永遠を約束する誓いの贈り物があるということを。

彼は知らない。彼女が船長室に消えていった女たちを憎悪と羨望の眼差しで見つめていたということを。

彼女は知らない。彼が動かなくなった彼女の右手を元通りにするための治療法を模索しているということを。


ふたりは知らない。それでも時は刻まれ、積み重なっていくことを。何度夜を越え、朝を迎えれば、互いの温もりを確かめ合えるだろうか。

きっと夜明けは近い。誰かがつくったおとぎばなしは置いて行こう。



愛、或いは哀



title / hmr
2012.4.6
2013.7.28修正
「scent」のまり緒さんへ捧げます

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