海賊 | ナノ
誘う禁忌は清らかでした


※「後悔ならば置いてきた」を先にお読みください





船が揺れている。嵐を避けるために潜航中のこの潜水艦だが、それでもわずかに船体が揺れるということは、きっとこの上は酷い時化なのだろう。


顔を真っ赤にして身体を震わせながら、産声を上げた小さな命。あいつが自分の命と引き換えにこの手に残していった温もりを守ろうと、今度こそ失くしてたまるかと――そう誓ったあの日も、こんな嵐の夜だった。


「……」


この十数年、眠りに就く前の習慣となっている"ソレ"を、今夜もまた繰り返す。

ベッドサイドのテーブル、仄かに灯る燭台の上。その揺らめく炎がぼんやりと照らす先には、水滴を纏ったグラスが一つ。

ジジ、ジ、と蝋を垂らしながら、短くなっていく蝋燭の灯りが作り出した陰影。その影をじっと見つめながら、自らも同じグラスを手に取り、氷の浮かぶ琥珀色をした液体をゆっくりと味わった。


手の付けられていないグラスの、琥珀に浮かぶ氷が溶けてなくなるまで続く、わずかな時間。それはどこか、祈りを捧げるような静かな時間だ。何に祈りをと問われれば、しいて言うなら――海に、だろうか。


彼女が静かに沈んでいった深い深い海の底。光も空気も無い其処で一人寂しくないように、暗闇の中で迷子になってしまわぬように。そんな祈りを込めて、この想いが一筋の灯りとなればいいと……ガラにもなくそう思う。


そしてそんな風に祈りを捧げながらも、おれはどこかで許しを請うているのかもしれない。――流れ移ろう月日を、心奥で息を潜める想いを。


――コン、コン


「……ロー? 起きてる?」


小さな音を立て、船長室の扉がノックされる。続いて聞こえた声は、静かな部屋へするりと滑り込み、甘い響きを伴って鼓膜に届いた。


「どうした、入れ」


そう促してやると寝間着代わりのワンピースを着たナマエが、ドアの隙間からひょっこり顔を見せる。形のよい眉をわずかに下げながら、傍へとやって来た少女。


もう一度どうした?と問うてやれば、腰に腕を回しぎゅっと抱きついてきた。母親がいない分を埋めるように、つい甘やかし過ぎてしまったのかもしれない。

幼い頃からこうして時折、船内が寝静まった夜更けにやって来てはベッドへと潜り込んでくるのだ。


「怖い夢でも見たか? デカいガキがいたもんだな」
「……違う、ガキじゃない…もん」


からかうように低く笑えば、座るおれの腹にぐりぐりと頭を擦り付けてくぐもった声で小さく反論する。

触れた場所から熱が伝わり、ふいに香ったシャボンの匂いに腹の奥が熱くなるのを感じた。疼きにも似たその熱を逃がすようにポン、ポンと二回、頭を撫でてやると。


「……子供扱いしないで」


幼子を窘めるようなそれに、むくりと頭を持ち上げたナマエが不服そうに唇を尖らせる。じっと見つめる小鹿のようなつぶらな瞳の中に、欲に濡れた"オンナ"を見たような気がして、堪らず目を逸らした。


剥がされた視線の先に飛び込んできたのは、ベッドの上へ無防備に投げ出されたしなやかな身体。丸みを帯び、滑らかな曲線を描くそれは、やはりおれの中で燻る熱を煽るだけ。


「知ってるでしょ? もう生理だってきてるし、赤ちゃんだって産める身体なんだよ? わたし」


静かに起き上がったナマエが、顔を背けるおれの腕を素早く掴むと、丸く膨らんだ胸へ押しつけた。きっと今のおれの顔は、苦虫を噛み潰したような酷いものだろう。


「バカ言ってねェでさっさと寝ろ。寝ねェなら、部屋へ戻れ」


あいつと同じ顔で同じ声で、おれを誘うナマエの小さな身体を、いっそ骨が軋むくらいの力で強く掻き抱いてしまえば……この胸の疼きも収まるのだろうか。


「……嫌い、大嫌い……」
「ナマエ、」
「こんな血なんて、大嫌いっ!」
「……っ、う」


鋭い犬歯が皮膚を裂く音がした。少し遅れて指先を襲った、じんじんと痺れるような感覚。気付いた時には、形良い小さな唇から覗かせたナマエの舌が、滴る赤を舐め取っていた。


「……ローが、ほしいの……」


自らが傷付けたはずの指先を、悲しげに顔を歪ませながら丹念に舐め上げるナマエ。ぴちゃぴちゃと音を立てながら一心不乱に口に含む姿は、止血というよりどこか拙い愛撫のようで、酷く厭らしかった。


「っ、ナマエ……」


ほろり。おれと同じ灰色の瞳から零れ落ちた大粒の珠が、ナマエの頬をゆっくりと撫でていく。それがきらりと光って弾け飛んだ瞬間――いくつもの罪を重ねてきたこの手は、禁断の果実をもぎ取った。



誘う禁忌は清らかでした



title / hmr
2011.9.12

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