海賊 | ナノ
ずーっと可愛がってあげようね


PM14:00...そろそろ女がベッドから這い出してくる時間。壁掛け時計から視線を外したおれは、読みかけの医学書に栞を挟む。そして真っ赤なソファから立ち上がると、徐にキッチンへと向かった。女への目覚めの珈琲を淹れる為に。

ぽたぽたとドリップされた黒檀色の液体が溜まっていくのを眺めていると。キッチンに広がる独特の香りに混じって、甘い匂いが近づいてきた。顔を上げようとした瞬間――落ちる影と、視界の隅に映る、真っ赤なネイルが施された細い指先。

丁寧にやすりをかけて形を整えたソレはおれの自信作だ。女には、燃えるような赤が実によく似合う。妖艶で気高く、群がる男共を微笑み一つで手懐ける、孤高の魔女のような女が、おれは嫌いじゃなかった。


「おはよ、ロー。珈琲淹れてくれたの?」
「ああ、今カップに……」
「ふふ…いい子ね、ありがと」


化粧をしていない魔女は、おれよりもずっと年上のはずなのに、どこか幼く柔らかな印象を与える。普段はアイライナーでキュッと上がった目尻も、目を細めて笑う今は緩やかに弧を描いていた。

今朝届いた新聞をじっくり時間をかけて眺めながら、珈琲を口に運ぶ女。その女の少し乱れた長い髪に、ゆっくりと櫛を通していく。絹糸のような髪の毛は日頃の入念な手入れのお陰か、痛んだ箇所は見当たらない。


コトン――ダイニングテーブルに硬い音が鳴り、コーヒーカップが女の手を離れた。

さあ今から、ただの女から気高き魔女へと変わる為の儀式が始まる。


洗面所へ向かった女の背中を見送ってから、おれも寝室のドレッサーの前へ移動する。大小様々なガラス瓶や容器を一つ一つ鏡の前に並べていく。


「お待たせ、ロー」


ドレッサーの前に並べた二つの椅子にそれぞれ腰かけた。向かい合い、そっと瞼を閉じる女の白い肌。手に取ったコットンに化粧水をたっぷり染み込ませてから、軽く叩くように肌に馴染ませる。美容液や保湿クリームを塗り込みながら、吸い付く肌の感触を密かに味わった。


気持ち良さそうに口角を上げる女の表情にどこか気分を良くしながら、丹念に化粧を施していく。この時間だけがおれと女がゆっくり向き合える、唯一と言ってもいい時間。毎日夜明け前に帰ってくる女は昼過ぎまで起きてこないし、こうして夕方の"儀式"が終われば、毒々しくも煌びやかな花街へと向かうのだから。


勿論こんなこと、この女以外にしたことはない。路地裏で転がっていた小汚いガキのおれを、仕事帰りの女が拾って以来与えられた、おれだけの仕事だった。

最初は化粧の仕方なんて知るわけもない。手取り足取りで、女好みの化粧を教え込まれた。上品に光るアイシャドウの陰影、丸く広がる頬のチーク、大きな瞳を縁取る少しキツめのアイライン――これしか、知らない。


「……上手くなったじゃない、ロー」
「そりゃこんだけ毎日やらされてたら、上手くもなる」
「あら、そう?」


仕上がりを鏡で見ながら女が微笑んだ。最初はラインなんてガタガタで、パンダみたいな目にされちゃったのにね――そう言いながらくすくすと思い出し笑いを続ける女。少し睨み付けながらも、最後の仕上げに口紅とブラシを手に取る。

おれの行動に気付いた女がどうにか笑いを抑え(……少し肩は震えているが)目を閉じ、すまし顔を向けてきた。女の唇の輪郭よりも少しだけ大きく赤を乗せていく。目の覚めるような真っ赤、だというのに下品さは微塵もない。


「……出来た」
「ん、ありがとう。これ夕飯代ね、面倒でもちゃんと食べるのよ?」


傍らに置いてあったクラッチバッグから取り出したベリー紙幣。それをいつものようにおれに渡しながら、女が玄関へと向かう。

女が働いて稼いだ金で、メシを食うおれ。医学書を買うおれ。寝床を与えられ、養われるおれ。そんなおれを置いて女は今日も仕事へ出掛けて行く。


「……行ってらっしゃい」
「ふふ、行って来ます。じゃあねロー」
「ナマエ、さん……」


背を向けた女の腕を思わず引っ張ってしまった。滅多に呼ぶことのない名前を声に出してみると、大きな瞳を一際真ん丸にしてこちらをじっと見つめてくる。

瞬間――目に飛び込んできた赤が、やけに濃く浮いて見えたから。


「……ん、っ」
「……口紅、丁度いい濃さになった」


導かれるように衝動的に重ねた唇。すぐに離れた後、誤魔化すようにそう言えば。


「……ふぅん。そんなの、どこで覚えてきたの?」


悪戯に笑みを深めながら、ナマエさんがおれの肩に手を掛ける。じりじりと再び近付く距離、鼻腔を擽る甘い匂いに身体が痺れそうになった。やっぱりこの人は――立派な魔女らしい。



ずーっと可愛がってあげようね。
きみが大人になるまで。わたしが子供にもどるまで。




――でも、まだキスは下手くそね。いいわ、またゆっくり教えてあげる。大丈夫よ、ローってばさすが医者を目指してるだけあって器用だもの。楽しみね。



title / にやり
2011.3.17
「Midnight Party」のミジュさんへ捧げます

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