気違い発明家


 僕の祖父は一部で名の知れた発明家だった。祖父の家には毎日の様にクレームと近所の糞餓鬼どもが悪戯をしに来た。
 銅を金槌で叩く音。レーザー音。機材が爆発した破裂音。釘を地面にばら蒔く音。金属を地面に投げつける音。コンクリート壁を思いっきり蹴る音。のたうち回る音。叫び声。
 祖父が研究所と称して使っているシャッター付きの少し大きなガレージからは,色々な音が聞こえた。
 他にも,家のチャイムを連打する音。餓鬼の笑い声。近所のババアの怒鳴り声。ドアを叩く音。
 家は朝から夜中まで無音は存在しなかった。
 そんな中,父と母は気が狂っていた。
 両親の部屋からは毎日,物を投げる音。人の肌を叩き殴る音。壁に叩き付けられる音。頭を地面に叩きつける音。のたうち回る音。母の嗚咽する声。父の怒鳴り声。二人の叫び声。僕は毎日眠れない日々を過ごした。布団を頭から被り,目をきつく瞑った。

 そんなある日の夜,けたたましいプロペラ音が研究所から轟く。プロペラは鈍い音や鋭い音を暗い夜に響かせ,少しすると静かになった。
 祖父はどうしたのだろうか。普段は厄介人扱いしかしない祖父を今日だけは危惧する。たとえ鬱陶しくとも身内故に,研究所で死なれでもしたら堪らない。夜も遅かったし,何より今外に出ると近所の奴らに殺されかねないので,研究所の様子を見に行くのは延期にした。
 日がうっすら登り始めた頃に,僕は部屋の窓からこっそり研究所に向かった。研究所の重たく立て付けの悪いシャッターを無理矢理抉じ開けると……。
 あまりに汚い研究所に二の足を踏みそうになるが,口元を片手で被いながら中に入る。自然と眉間に皺を作り,目を細めてしまうのは止むを得ない。
 歩く度にネジやら金属片やらを踏みしめる音が煩い。研究所は少し中に入るだけで,部屋の全てが見渡せた。そんな小さな研究所なので,祖父を見つけるのは簡単だった。
 今日の祖父は雑音を響かせてはいなかった。その代わり,というのもおかしな言い回しだが,祖父はぐちゃぐちゃの肉片になっていた。祖父は”祖父の遺体”と呼ぶべきか迷う程,祖父の形はしていない。
 昨日聞こえたプロペラ音は祖父の肉を切り刻む音だったのだろう。プロペラは祖父の肉片を巻き込み停止していた。
 ふと我に変えると,嫌な脂汗が背中を伝う。体が硬直して息がしづらい。そこから逃げ出そうにも,叫ぼうにも体が本来の役割を成していないのだからどうする事も出来なかった。
 胃から何かが這い上がって来そうな,脳味噌が口から出そうな何とも言い難い気持ち悪さに狼狽していると,踏ん張ろうと付き直した足が何かを踏んだ。
 恐る恐る足を上げ確認してみると,べちゃりと潰れた目玉だった。

 ……………………。

「ああああああああ、ああああああああああああ!」

 あああああaaaこわい子わい虚わい古和い故歪恐い怖い
 うわあああaああaあaあああaaあaあああああああ

 ここでやっと声が出た。
 気がおかしくなるくらいに。
 そのまま僕は,意識を奪われるように手放した。

 気が付くと視界を暗闇が覆っていた。
 そこで自分が目を瞑っていることに気付く。目を開けようとするが,開く気配がない。無理矢理に抉じ開けようと目を擦ると,目ヤニが瞼の縁からボロボロ取れた。僕は随分眠っていたのか。
 やっとのことで目を開くと,そこはリビングだった。
 体を起こすとありとあらゆるの神経と筋肉が痛んだ。原因は……思い出したくもない。
 ここに運んでくれたのは僕の叫びを聞いた両親だろう。普段から育児放棄が当たり前で,親らしいことは産んだ以外ほぼしていないと言える程度の両親を余り好んではいなかったとはいえ,ここに運んでくれた事にほんの少しだけ感謝した。
 両親への礼も程々に,祖父や研究所はあれからどうなったのだろうと思い返す。
 痛む体を無視して,二度目の研究所見学を実施することにした。時計を確認すればまだ早朝だ。誰かに見つかる事はないだろう。
 今日はトイレの窓から脱出を試みる。トイレの窓は少し小さいが、両親や近所の奴らに殆どばれることがないので僕は脱出手段として普段からよくここを使う。その日々の慣れにより体を折り曲げ窮屈な窓を通るのは容易いことだった。
 早朝とはいえ,奴らに見つからぬよう細心の注意をはらいながら進むと,早速奴らは現れた。少し遠くから近所のババアたちが話しながらこちらに来る。近くの茂みに隠れて様子を窺う。

「本当,清々したわ」
「やっと死んだのかー,て感じよね。此で静かに眠れるわ」

 どうやら祖父の話らしい。

「でも,あの気持ち悪い息子はどうするのかしらね」
「一人でも大丈夫なんじゃないの? あそこはご飯もまともに作ってなかったみたいだし」
「金も食料も尽きて餓死ってところかしらね」
「ざまあみろって感じだわ。あんな気持ち悪い餓鬼,知ったこっちゃないわ」

 ババアたちは下品に笑い合っていた。
 家の悪口は置いといて,僕は奴らの会話に違和感を覚えた。
 一人でも大丈夫? 何の事だ。死んだのは祖父で……。そこまで考えて何となく分かった。
 もっと話を聞こうと思うが,既にババアたちは,近所の育児ノイローゼになった若い母親を冗句たっぷりに揶揄していた。
 一先ず来た道を引き返す事にした。だが,トイレの窓からは入らなかった。
 その代わり玄関から堂々と入った。二階への階段をゆっくり上る。手入れのしていない階段が軋む。これ以上進まない方がいい気もしたが,リズム良く進む足は止まらなかった。
 息を詰め部屋を見渡す。
 あぁ,やはり……。
 もう何もかもどうでも良くなった。
 やはり,両親は死体に成り下がっていた。それも祖父と同じ,遺体と呼べない遺体に。きっと両親は祖父のこともあり,揉めに揉めてこうなったのだろう。
 金属バットがぐにゃぐにゃに曲がって血みどろだ。後はベコベコのフライパン,真っ二つに刃と取っ手の折れた包丁,母の手に握られた鋭利な窓ガラスの破片。
 父の遺体の手は,首本のガタガタの大きな切口の傷を止血しようとしていた。左足は可笑しな方向を向いて折れていた。腕はベッドの上に千切れている。胸元は切り裂かれモツがこんにちわしている。どうもこんちには,モツ。普段見えないものが居る代わりなのか知らないが鼻は不在である。頭部にはクロックの秒針が刺さっていた。母がやりそうなことだ。と言うのも,僕も以前にやられた経験があるからだ。母が気に入っていた硝子細工の小さな置物が割れていた時があり,お前が壊したのだろうと狂った母に頬目掛け凄まじい力で刺されたのだ。実を言うと僕はその犯人を知っていた。勿論僕ではない。その昨晩,母はいつもの如く酒を浴びるように飲み頭のてっぺんから爪先まで完全に泥酔した際に母自ら大量の硝子細工が飾ってある棚にぶつかり割ったのである。でも僕はこのことを言い出せなかった。「言い訳をするどころか,それじゃあなんだね。お前は私自らが割り,それをお前の所為にしているというのかい。人を苔にするのもいい加減にしな!」。と更にぶたれると分かって居たからだ。
 過去の話は置いておくとして,母の遺体は服を見に纏っておらず,沢山の痣があったが,きっと以前から付いていた物だろう。右耳と右乳房は千切られ,口に突っ込まれている。白目を向き,泡も鼻から鼻血と共に噴き出していた。右腕は折られ,左手足の指は無かった。これも以前からだろう。膣にはテレビのコンセントとデッキブラシが貫通していた。
 母の膣から繋がっているテレビは画面は割れており,中はくり抜かれていた。あ,父の黒ずみ大きな団子鼻がいらっしゃった。
 この二つの遺体の共通点は,右も左も手足の爪は全て無い事だ。さらに言えば,僕の爪もない。辛うじて左手の小指だけは爪があるが。
 父の癖だったのだ。何かあるとペンチで爪を剥ぐという。癇癪を起こす度にすぐに剥ぎ,自らもストレスに犯され出すと剥ぐの繰り返しだった。
 そのうち,自分の爪は全て剥がし終えてしまい僕らの爪まで剥ぎだした。三人の唯一の共通点はこれだけだった。
 僕はぐちゃぐちゃになったベッドに横たわる。気が狂いそうだ。先ほどから笑いが止まらないのだ。

「はははははははははははははははははははは!」

 もう手遅れだったみたいだ。
 僕は血だらけの床を這いずり回り,窓ガラスにダイブした。
 耳元で仰々しい音をたてて,僕を外へ追い出す。
 一瞬空を飛んだと脳が認識する頃には,僕はすぐ真下の街灯に腹から突き刺さっていた。顔は笑顔のまま戻らない。

「は、はははは、ははは……」

 消え行く意識の中,先程話していたババアたちが通りかかりバッチリと目があった。

「お前ら皆死んじまえ!!!!!」


2012/5/3