(ここは・・・?)
浅く浮かび上がった意識の中に、パチパチと火の爆ぜる音が響く。
辺りは暗く、たき火の炎がゆらゆらと揺らめきながら周りを照らしていた。
まだぼうっとしている微睡みの延長のような感覚の中、私は自分の身に起こった事を振り返る。
(私は・・・任務中に敵の奇襲を受け負傷してしまい、それでも何とか追跡を振り切り仲間との合流地点へと向かって―――)
そこまで思い出した瞬間に、背筋がひやりと冷え、一気に頭が冴えた。
私は直ぐさま周囲を警戒し身構えようと身体を起こし―――
「ぐッ・・・!」
途端に脇腹に激痛が走った。
「おー。ダメだよそんな勢い良く起きちゃぁ」
間延びしたような緊張感の無い声がして、そちらを向くと浪人風の男がたき火を挟んで座り、私を見つめていた。
「な、何者・・・くッ!」
「ああ、だからダメだってば動いちゃ」
飛び退き間合いを取ろうとするも痛みで身体が自由に動かない。
何とか起き上がりはしたものの、私は脇腹を押さえてうずくまる形になってしまった。
「まあ警戒するのもわかるけど、とりあえずあまり動かない方が良いと思うよ?」
男がゆっくり立ち上がり私に伸ばしたが私はその手をはね除ける。
すると男は「一応私が手当てしたんだけどなぁ」と少し眉を顰めて困ったように笑った。
・・・確かに。そう言われて脇腹を見ると、真っ赤に開いていた傷口は包帯でしっかりと覆われていた。
(包帯・・・?・・・こいつが手当てしてくれたのか・・・?)
自分で言うのもなんだが、どう見ても怪しい奴な私を通りすがりで手当してくれるなどとは・・・こいつは馬鹿か余程のお人好しか。はたまたどこかの保健委員だったりでもするのか。
(偶然を装って近づいて、実は敵方の間者で、何かしら探りを入れようとしている可能性もあるしな―――)
とりあえず私はこの男とどう接するべきかと、気取られないよう勤めながら思案していると―――
「因みに私のほっぺも。痛かったんだけどなぁ」
上からわざと少し拗ねたような声がかかる。
顔を上げると、私の顔を覗き込み「ほら」と、困り顔のまま自分の頬を指差す男と目が合った。
色白のその頬にはきれいに一文字、赤い筋が刻まれている。
「・・・・・・・・・ぁ」
「・・・ね?」
ああ、そう言えば手裏剣投げた気がするな。純粋に助けてくれたのならば流石に少し気まずい。
沈黙―――
こうして見てみるとこいつは男というよりはまだ少年という感じだった。線も細く、美少年と言って差し支えないだろう。
尊奈門よりも年下、もしかすると忍術学園の五、六年生くらいでもおかしくはなさそうだ。
だがその割には随分落ち着いているようにも思え、年齢や表情こそ似つかないが、話し方や雰囲気がどことなくうちの上司に似ている気もする。
「・・・手当をしていただいた事は礼を言います。それと助けていただいたにもかかわらずご無礼を失礼致しました」
なんだかあまりにも緊張感の無い少年の態度に毒気を抜かれてしまい、一応の警戒はしつつも私は頭を下げた。
「うんうん。ま、頭は別に下げなくても良いから。悪かったと思うならとりあえず横になろう。せっかく手当したのに傷開いちゃうから」
「はぁ・・・」
(敵ではない・・・のか?というか微妙に上から目線な気が・・・。助けてもらったとはいえ何故私の方だけ敬語なんだ。明らかにあっちの方が年下じゃないか・・・)
再び差し伸べられた手を私が戸惑いながら取ると満足そうにこっと笑うと、そのまま手を引っ張って横から手を回すようにして私の肩を支えた。
傷に触らないよう体勢に気をつけてくれているようで傷は痛むがそれほどではなかった。
(しかし・・・手、小さいな。華奢だし。女みたいだ―――)
「湊だよ。十六夜湊」
「は?」
じっと少年を見つめてしまっていた私は、唐突に口にされた言葉に思わず間の抜けた声をだしてしまった。
少年はくすくすと笑いながら「名前だよ。私の名前」と言った。
「―――私は・・・」
「ああ。名乗らなくて良いよ。」
私にも名を名乗れと言う事だと思い、『流石に敵か味方かも定かではない相手に馬鹿正直に名乗れぬ』と、偽名でも口にしようとした矢先。少年が言葉を遮る。
「忍者さん、なんだよね?知らない人にあんまり色々喋っちゃまずいんでしょ?」
たき火の側に私を横たえながら、穏やかな笑顔で「だから良いよ」と言う少年に、安堵といくらかの罪悪感を覚えた。
「・・・すみません」
私は謝罪の言葉を口にしながら大人しく彼の促すままに横になる。
傷はやはり浅くは無かったのだろう。無理に動いたせいでずきずきと痛みを増した傷口が、身体を横にした事で少しはマシになる。
色々と確認したい事や聞きたい事はあったのだが、なんだか話しにくくなってしまい、またしばしの沈黙が流れた。
「一応周りは確認したけど、追っ手とかそういうのは居ないみたいだよ。あんたを見つけてから一刻ちょっとは経ってると思うけど誰も来てないし」
私が気になっている事を察してか少年・・・十六夜はたき火に枝を焼べながら話し、「まあ本気で気配消した忍者とか居たら私にはわからないから実際の所何とも言えないけどもね」と肩をすくめてみせた。
彼の言う事は本当だろう。私を追って来た忍びがもし私を見つけていたならとっくに殺されていただろうし、私の仲間達が探しに来ていたなら十六夜はここにはいなかっただろう。
今も気配に気を配ってみても十六夜と私しか居ないのは確かなようだった。
「火も本当は起こさない方が良いかとも思ったんだけど熊とか猪とか出たら困るし、何より明かりが無いと処置できなかったからさ。心配だったらごめんね」
「いえ・・・その、お気遣い痛み入ります」
まだどう接するべきか戸惑いはあったが、十六夜は純粋に私を気遣ってくれているように思えた。
情に絆されて迷うとは忍びとしては失格なのかも知れないが、少なくとも彼が敵であるかもという考えは既に私の中から消えていた。
そもそもこんな所で手当までして味方の振りをするよりは、捕まえて拷問でもした方が相手のやり方らしいだろう。
そう思うと張り詰めていた緊張が解れたのか一気に頭と身体が重くなり、無意識に深く長く息を吐いた。
そんな私の様子を横目で見て、十六夜はまた「ふふ」と小さく笑った。
(よく笑うな・・・)
そんな彼を見ていたら自然と口元が緩んで来ている自分に気がつく。
「・・・五条です。五条弾」
「ん?」ときょとんと目を丸くして私を見る十六夜に「名前ですよ。私の」と先ほどのやり取りと同じように返してやると、驚いたように目を見開いたあと、「教えてくれてありがと!五条くんか!」と思い切り破顔した。
『にぱぁ』っと効果音が付いて背景に花が咲いたんじゃないかってくらいだ。
(本当に変わったヤツだ・・・)
傷を手当してもらったとはいえ、出会って間もない人間に随分と馴れ馴れしくされているとは思うが、不思議と悪い気はしなかった。
「・・・どういたしまして十六夜さん」
少しだけ、この時を心地良いと感じてしまったのはきっとこの傷のせいだ。
(出血の影響か、傷が熱を持って判断力が鈍っているんだ。そうでなければ―――)
目が覚めると十六夜がすぐ横で片膝立てで座ったまま眠っていた。
私もいつの間にか少し寝入ってしまったらしい。月の位置でだいたいの時刻を察する。
「お。起きたね。五条」
全く気配を感じられなかった背後からかけられたのは良く知った声だ。
「・・・いつから見ていらしたのですか?組頭」
「ほんのちょっと前だよ。五条と湊ちゃんが仲良く自己紹介してるあたりから」
私などが気配に気付かなくて当然だ。そこにいらしたのは私が勤めるタソガレドキ忍軍の組頭、雑渡昆奈門その人だった。
「結構前からじゃないですか。何故すぐにお声掛け下さらなかったのですか」
十六夜と私のやりとりからだとすると半刻ほどは経っている。その間ずっと見ていたというのはやはり十六夜を警戒しての事だろうか。
「だってその子、お前が寝た後も傷が開いてないか確認して痛み止めの薬草貼ったり、火の番してたりで、寝入ったの割とさっきだったんだもん」
組頭は「お前が居るから寝ないつもりだったんじゃないの」と視線で十六夜を指す。
私は思わず十六夜を見る。焚き火の火はもう消えていたが既に目は暗闇に慣れて来ているので子細までは見えずとも様子はうかがえた。
十六夜の脇には焚き火に焼べるつもりであったろう枝が積まれていた。確かに日の出前までの分ぐらいはありそうだった。
寝ずの番をするつもりでうたた寝してしまったのか。
「組頭、十六夜―――その少年は・・・」
温情に厚い組頭の事、私の姿を見られた故に十六夜を始末するなどという事はよもや無いだろうとは思うがそれでも一瞬不安になる。
「大丈夫。別に何もしやしないよ。むしろ本当なら可愛い部下を助けてくれたお礼をしたいくらいだけどね。言っちゃなんだけど私達忍者なんて如何にも怪しい奴じゃない。そんな奴を行きがかりで助けてくれるなんて、どっかの保健委員さんみたいだと思わない?」
頭巾から覗く隻眼が愉快そうに弓なりに歪められる。
良かった。組頭も十六夜に悪い印象は抱いておられないようだ。
(なんでこんなにほっとしているのだ私は・・・)
十六夜に害が及ばない事に何故自分がこんなに安堵したのかに戸惑いながらも、ゆっくりと身体を起こす。痛みは先程よりもだいぶ退いている。
わざわざ組頭が十六夜が寝入るのを待って出て来たのだ。それは則ち、十六夜が目を覚ます前に我々はここを立ち去らねばならないという事だ。
「一人ではキツそうだな」と組頭が脇から支えてくださる。
もう痛みは強くはないが、流石に普段と変わらぬようには動けそうも無かった。
「組頭にまでお手数をお掛けしてしまって、申し訳ありませんでした・・・」
私は恐縮しながらも組頭に肩をお借りした。
「怪我しちゃったもんは仕方ないでしょ。お前だけ帰還しないって聞いた時は私も肝が冷えたよ。まあ無事で良かった。湊ちゃんに感謝だね」
組頭はまだ良く眠っている十六夜に向かって小さく手を振り「じゃあね」と小声で言った。私も、頭を下げた。ありがとう。・・・さようなら十六夜。
「さて、じゃあ―――行くぞ」
「はい」
次の瞬間。私達は飛び上がり、木々の枝葉の間に紛れるようにしながらその場を後にした・・・。
「名残惜しい?」
木から木へ飛び移りながら組頭は私に、そう問われた。
駆ける速度は私を気遣われているようでいつものそれよりは遥かに遅い。
「え。いや、そんな事は・・・」
何故返答に詰まるのか、自分でも良くわからない。恩義が出来たとは言え、十六夜とはほんの二刻ほども一緒に居なかったではないか。会話らしい会話など二、三言交わしたかどうかだ。
そんな相手に、何故私が―――
「若いねぇ」
そう呟く組頭の意図する所は私には測りかねた。一体何を―――
「あ。お前、多分気付いてないと思うから教えてあげるけど・・・」
組頭は私の顔を見てにやりと愉快そうに笑うと言った。「あの子、女の子だよ」と。
―――な。
その瞬間の私はどれだけ間抜けた顔をしていた事だろうか。
これでは尊奈門の事を笑えたものではない。
ニヤニヤと楽しそうに私の表情を伺いながら更に組頭は続ける。
「あとお前のしてるその包帯、多分湊ちゃんの晒だから」
その後、どうやって帰って来たかは良く覚えていない。
タソガレドキに帰ると壮太と勘介が泣きついて来て、『プロの忍者のくせに仲間の負傷程度で大騒ぎし過ぎだ』と思ったが、『自分が同じ立場であったならばやはり同じように心配しただろうな』と思い直し、反省し、また感謝した。
高坂さんと小頭にはお叱りと労いとをいただき、尊奈門には顔を合わせる度にしつこいくらい「傷の方は大丈夫ですか!?」と心配された。
組頭は十六夜の件については誰にも話されておられないようで、あれ以来時折ニヤニヤとなにやら生暖かげな視線を私に向けて来られる。
私はというと、傷は思った程は深くは無く、一週間程安静にしていれば治るという事だった。
経過も順調で、その辺りは特に応急処置が良かったお陰だと後に聞かされた。
回復期間は組頭の計らいで出勤扱いにしていただき、減給などの処分は一切無かった。
・・・その代わり「あの晒どうしたの?」とか「湊ちゃん可愛かったよね」とか、暫くの間、組頭から度々セクハラを受ける羽目になった。
あの包帯はこっそりと葛籠の一番下にしまってある。勿論組頭には内緒だが恐らく持ち続けていることはバレているであろう。
・・・勿論ちゃんと洗ったし、やましい事は何もないが。
時折あのほんの二刻程度の時間と十六夜の笑顔を思い出しては包帯を眺める事はある。・・・それだけだ。
(十六夜湊・・・。いつかまた、会えるだろうか・・・)
―――もしもまた会えたら・・・私はどうするというのだろうな―――
黄昏に染まる空を眺めながら私は一人佇んでいた。
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