ずっと階段の天井を眺めていた気がする。いい加減起きないと制服に皺が着いてしまう、そう立ち上がろうとして自分の体を見れば、制服は既に皺だらけで汚れていた。

出鼻をくじかれたような思いで立ち上がる。軋む身体にふらつく足元、揺れる視界に映る天井には大きな蜘蛛の巣があって、さっきまでの私はただ天井に顔を向けていただけだった事に気付いた。


「だっせー」


私の下から声がした。蜘蛛の巣から視線を下げれば、眠気のする私にとって目に悪い赤髪と黄色いジャージ。ちなみにガムは緑。多分、丸井は信号になりたいんだと思う。


「馬鹿にしに来たの?」
「死んでねえか見に来てやった」
「わざわざ部活抜けて?」
「あとで一緒に怒られようぜ」


一緒に怒られるのは嫌だけど、見に来てくれたことはちょっとだけ有り難いと思った。なんとなく、今一人だったらこの空気に負けてしまいそうだから。


「まじだせえ」
「うっさいなあ、痛いんだよ、口の中とか」


それに、私のせいじゃない。
どこのクラスかも知らない同級生に一目惚れしたって言われて、何通かメールして、電話して、デートしただけ。
でもそいつには彼女が居た。もちろん私がそんな事知ってる訳が無い。でもそいつの彼女だって私の事情を知らないし、どうでも良いんだろう。今日、その彼女が付き添いを五人引き連れて私の元へ来た。暴行目的で。

この一人の男を中心に広がる私達は何かに似ている。それが何かはわからないけど。


「ちょー痛い?」
「うん、死んじゃうかも。」
「じゃあこれやるよ」


リスペクト信号機はポケットをがさがさと漁りながら階段を上がり、目線が並んだところで薄っぺらいガムを手渡された。


「厭味?」
「まあそんな感じ?」


死ねば良いのに、その言葉は唾液と一緒に飲み込んだ。ひっぱたかれたて切れた口の中で血と混ざって鉄の味がする。唾液が傷口に染みることを知ってて、丸井はガムを渡して来たのだ。


「でも私、男子テニス部じゃなくて良かったよ」
「なんだそれ」
「だって負けたら殴られるじゃん。そんなの絶対無理」


騒動の原因となった男子が可愛いと言った八重歯が、ビンタされた時に口の中を切った。最初から最後まで忌ま忌ましい思い出をくれた男だ。大して格好良くも無いくせに。

俺だって耐えらんねえよと丸井が笑う。別に丸井のことは好きじゃ無いけど、絶対丸井の方が格好良い。悲劇のヒロインみたいで嫌だけど、なんで私がって、言いたくなる。


「なんか馬鹿みたい」
「なまえ?」
「あの男子も女子も意味解らないし、勝手に信じた私も悪いし」


せめてもう少し、女子の情報網を駆使していればこんな事にはならなかったんだろう。

思わず握った手の平の中で、さっき貰ったガムが形を変える。…ああ、私達はこのガムに似ているんだ。あの男子の好奇心も、女子のプライドも、私の悔しさも、このガムみたいに薄っぺらい。
ぐちゃぐちゃになったそれは上手く飲み込めず、それでも捨てたら捨てたで寂しくなる。

丸井はそんな事を考える私をよそに、ものが散乱した私のバッグの中身を乱雑に元に戻してくれている。
手伝おうとして隣にしゃがみ込めば、丸井が口を開いた。


「お前ってまじ残念」
「なにそれ」
「あー違う、勘違いすんな、馬鹿にしてる訳じゃねえから」


気まずい訳では無いのに丸井が言葉を濁したのは、なんて言うべきか言葉を探しているからなんだと思った。
がしがし頭を掻く丸井が拾った鏡は割れていた。割られたって言った方が正しいんだけど。


「なんつーか、赤也から話聞いて来てみたらまじぼろぼろだし」
「うん」
「すげえ心配した」
「…うん」


丸井は私の方を振り向いて、林檎の匂いのする指で私の頬を撫でた。ひんやりして気持ち良いと感じるってことは、殴られたところが腫れてるんだろう。鏡を割られたせいで確認出来ないのがもどかしい。


「私、丸井が友達で良かったよ」
「お前が言うと胡散臭え」


まじないわー、なんて、髪をぐしゃぐしゃにされる。言葉と行動が矛盾してることが可笑しくて、いーっと笑ってやれば不細工と返された。

いつも通りのやり取りなのに、笑った拍子に肋骨がずきずきと痛んだ。顔には出さなかったそれを、丸井は目敏く見付けて怒ったような顔をする。


「見るからに怪我人のくせに無理すんな、馬鹿」
「馬鹿じゃない」
「はいはい、手当してやるから部室行くぞ」


保健室じゃなくて部室と言ったのは、これ以上話が大きくならないように気を使ってくれたのか。自惚れてしまいそうだ、信号機のくせに。

今日一緒に帰ろうぜと私のバッグを持って立ち上がった丸井は、柳生くんより紳士だと思った。抱えていた悔しさや悲しみなら、想像より簡単に吐いて捨てられるらしい。


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