ホワイトムスク、ペパーミント、イランイラン、プルメリア、それとも早摘みの薔薇の花?―――アイドルと作曲家を目指す人たちが集まる学校の中は、いつも夢が覚める前のにおいがする。

そのにおいは小学生の頃、夕方の鐘が鳴ってしまった時を思い出す。楽しい時間が終わってしまう事を知らせる音、夕焼け。あの頃の呼吸の仕方はもう覚えていない。

思い返せば四月、パートナーが真斗くんになった時は思わず目眩がした。目敏いオンナノコが猫の瞳で見付けたその人は、入学前のオリエンテーションより前、入学試験の時から噂になっていたんだから。


――でも、パートナーが真斗くんで良かった


その真斗くんは、連日の疲れから机に腕も顔も付けて、チープなキャラクターの膝掛けを肩に掛けて眠っている。腕に乗せた左頬の反対側、右側の顔は髪が影になっているせいでいつもより暗い。

レコーディングは難航していて、どうにも私と真斗くんが望んでいる形になってくれない。
いっそ曲自体を編集してしまおうかと提案し、彼もその案に乗ってくれたので作業を始めれば、糸が解けるように彼は眠ってしまった。今日の朝、隈が出来ていると話したばっかりだ。


「…………ん、」
「真斗くん?」


もぞもぞと真斗くんは狭い机の中で身をよじり、ぱさりと膝掛けが落ちた。その音でいよいよ彼は起きたらしい。相当疲れていたようだし、私としてはまだ寝ていて欲しかったのに。


「寝ていた、のか」
「四十分だけだよ」


しかし真斗くんがそう思う訳もなく、すまないと私に謝る。そうして落ちた膝掛けをたたみ、もう一度同じ言葉を繰り返しながら私にそれを返すのだ。
真っすぐなのは視線だけじゃない。手元に返ってきた膝掛けと一緒に、音楽への情熱や愛情まで伝わるようで少しだけくすぐったい。


「レコーディング、また始める?」
「ああ、そうだな」
「曲も手を加えてみたんだけど、どうかな?」


書き加えた楽譜を真斗くんの方に向けて、さっきまで機材に差し込んでいたイヤホンを引き抜く。掛けるねと一言掛けて曲を流せば、彼は起きぬけとは思えない顔で聴いていた。やわらかく強い瞳の色。決して馬鹿にしているわけではなく、こどもみたいだ、と思う。
前は、真斗くんのこの瞳が苦手だった。目の奥がつんとするにおいは、まさに夢が覚める前。香水だとか、そんなものじゃない。きっと本当はにおいなんて無いのだから。郷土感にも似ているそれは、いつも胸をいっぱいにしてしまうから、困る。


「…流石だな」
「本当?」
「原曲は崩さず、それでいて前より親しみ易い。懐かしい、と言う方が正しいか」
「じゃあ、この形で」
「ああ。この曲に歌で応えるのは大変そうだ」


嬉しそうにそう言う真斗に、私の胸の奥では嬉しさと驚きがぱちんと音を立てる。

早速歌うとレコーディングルームに向かう彼を見送りながら、真斗くんが寝てから改めて曲を聴いた時のことを思い返した。
あの時、現在と未来を歌ったこの曲には夢と努力は詰まっていても過去が無いように感じた。だから、懐かしさの色を付けられれば良いと思いながらアレンジをしたのだ。

伝えなくちゃ、なんて思ったわけでは無いけれど、レコーディングルームに繋がるマイクのスイッチを入れる。無意識の事だった。


「真斗くんってすごいよ」
「なんだ、唐突に」
「唐突じゃない。いつも思ってたの」


この曲には、彼と同じくらいひたむきな歌になって欲しい。ううん、きっとなるだろう。日にちにすればすごく近いのに、望む結果は遥か遠い卒業オーディション。夕方の鐘を聴きながら思った夢に向かう私の呼吸は、真斗くんが居るから止まらない。


「私、真斗くんが歌ってくれるから曲が作れるの」


やわらかいところだけ残して、弱いところには蓋をしてしまおう。不安な気持ちも私の糧になる、だから決して捨てないで、だけど負けないように。
流れるように過ぎてしまう毎日が恐かったのはもう昔の話。彼の真っすぐな瞳を正面から見れるようになったのは、間違いなくその彼のおかげ。――ああ、でも。


「時間取ってごめんね。でも、それだけ言いたくて」


とても、恥ずかしい事を言ってしまった。
言いたい事だけ言ってマイクの電源を消した。両手で頬を触れば普段よりも熱を持っていて余計恥ずかしい。一拍置いてレコーディングルームの中で真斗くんが「お互い様」だと言っていたらしいけれど、マイクの電源が入っていない今、私が知るはずもなく。

ややあって硝子越しに目が合うと、二人して笑みが零れた。


「…音楽、掛けるね」


むずむずと動く心臓と、いつもみたいに真一文にはならない唇。決してふざけている訳じゃない。きっと、良い歌になるだろう。


「ああ、頼む」


機材を操作して、流れ出す前奏に空気を目一杯吸い込む。私は凛と背を伸ばす彼をにどうしても夢を見てしまう。夕日を背に家へと向かう私が知らない、緊張と期待の混ざった夢の先のにおいがした。



よいこの呼吸


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