00.

その人はお伽話の世界から出て来たかのように美しく優しくて、私は彼に感謝する反面、どこか苦手だった。




01.

犯罪者はヒーローや警察が捕まえる。―――ならば、血の無い悪は?

貧困、飢餓、社会。それらを誰が断罪してくれると言うのだろう。私はずっとそれが不思議で堪らなかった。貧困も飢餓も社会も、金や名誉の為に動かし使うのは人だ。ならば金とは何か。金で命は買えないが、金の為に命を奪う事なら出来る。

そんな事を思うのも、私が捨て子だからだった。一夜の恋に溺れ、子は出来ても金が無い。困った母親は私に名前だけを与えてこの町を去った。もしかしたら、もうこの世すら去ってしまったかも知れない。
施設の人間は表では優しい顔をするものの、一度玄関のドアを閉めれば豹変する。字の如く獣のようだった。自らの手が傷付く程子供を殴り、擦れた靴底で蹴る。食事は一日に一度。それでも与えられるだけマシだった。

施設の主人は「お前らが居るから金が無い」と口癖のように言っていた。そうか、金か。金がいけないのか。幼い私は都合よく解釈する。身より無く、施設を追い出されれば飢えか寒さに死んでしまう事を知っていたから恨みきれず、怨む事にも疲れてしまった。
しかし、そんな生活もついに終わりを迎えた。施設の主人が死んだのだ。元より夫婦が経営する小さな施設であったから、夫が死んだ事をきっかけに妻の方は家財を持ち出していなくなってしまった。保健所や市の職員と子供だけの葬式は何の感慨も湧かなかった。
新しい受け入れ先が決まったと聞かされた夜、私は施設を抜け出した。なぜかは解らない。ただ施設の主人の妻が夜逃げした事に触発されたのかも知れない。


「目が覚めましたか」


目が覚めると嘘みたいに綺麗な男の人が居た。起き上がった私に気付き、暖かいミルクを出してくれた。綿毛みたいに柔らかいベッドは雲みたいに白い。果たして綿毛なのか雲なのか。男の肌もベッドも牛乳も白い中、自分だけが浮いている。


「昨日マンションの前で倒れて居たんですよ。貴方はここの住人で?」


何も喋らない私に彼は言葉を続ける。何を言えば良いか解らず、私は首を横に振った。こんな広いマンションに住める人間も居るのか、そんな当たり前の事を夢を見るように考えた。


「家出ですか」
「出て行く家もありません」


それまで止まっていた声は驚くほどすんなりと出た。男の眉が上がり、それから納得したような顔をする。「傷が」ぼそりと呟かれた言葉に、私が納得した。出て来た時と服が違う。雨に濡れていたから着替えさせたと彼は言い、肌を見た事を謝ったけれどそんな事はどうでも良かった。霞が掛かったような、実際はカップから上がる湯気だったのかも知れないけれど、この白い世界は夢みたいで、ただ困惑した。


「頼りになる人が居ますから、その人に話してみましょう」
「頼りに、なる」
「優しい人ですよ。ああ、僕はバーナビーと言います」


彼は私が家に、施設に帰る気が無いのを解ったみたいだった。きっと暴行についてもあらかた把握したのだろう。恐ろしく頭の回る人だと思った。「貴女は?」と聞かれ意識が戻る。猫舌だからミルクはまだ飲めなくて、手がじんじんと熱い。


「なまえ、です」


親から渡される初めての宝物は貰っているのです。だからまるで私が不幸だなんて目で見るのは辞めて。憐れまれるのは初めてで、私はそれにどう触れて良いか解らない。「ありがとうございます」と言えば、霞の中で彼が笑った。

暫くして、優しそうな女の人がやって来た。サマンサと名乗るその人と入れ違いにバーナビーさんは学校に向かった。彼女は見た目を裏切らず優しく、私がここに来た経緯は何も聞かなかったが、変わりに後日バーナビーさんが口を開いた。


「失礼ながら貴女について調べさせて貰いました」
「母の事ですか?それとも施設の?」
「どちらもです。現状は厳しいですが、変わりに、貴方を養子に迎えたいと言う人が居ます」


そんなお伽話みたいな話があるのかと思ったけれど、考えてみれば彼に出会った日からお伽話のようだった。

彼の話から更に何日か後、本当に私を養子にすると言う人が現れた。養子などは金のある人にしか出来ない。私には金なんて無いのに、周りにはいつもその円と札が巡っている。血の通わないそれを私は恐れ、養父となる男も恐かった。
その人の家に行くように話が進んだが、私は首を縦には振らなかった。出会ってから私が初めて口にした希望に一番驚いていたのはバーナビーで、彼は暫く僕の家で預かると言ってくれた。


「一つ質問して良いですか」
「なんですか」
「なぜマーベリックさんの家に行くのを躊躇った?」


表情や口調こそ普段と変わらないものの、少なからず彼は怒っているようだった。彼は養父を、マーベリックをとても信頼していたから。家に残ることより、私の養父に向けた態度が気に入ら無かったらしい。


「…お金が、好きになれないんです」
「お金、ですか」
「あの人からはお金の匂いがしました。気配と言った方が正しいのかも知れません」


バーナビーさんは眉をしかめる。さっきとは違い、不快から来るものでは無く私の言葉について考えているようだった。


「人はお金の為に人を傷付けます。貧乏も拗れれば力に訴える」


はっと息を飲むのが解った。傷を見たからこそ彼はそれを大袈裟にはしなかった。だけどこのまま言葉を紡が無ければ彼は施設の主人を否定されるだろう。曲がりなりにも私を育てた彼を。


「血の通う悪は警察やヒーローが捕まえます」
「金銭は血の通わない悪だと?」
「そう思わないと生きていけなかったんです」


人を恨みたくは無かった。変わりに血の通わない金を恨み、恐怖を覚えた。どんなに綺麗事を言っても仕方が無い。絶対的な幸福値とは人それぞれでも相対的な幸福値は金によって決まる。頼まれた訳でも無いけど、頼んで手にした命でも無い。私は自分の命までも否定したくは無かった。


「我が儘言ってごめんなさい」
「今更ですね」


皮肉の押収に心は傷付かない。彼は彼がタヨレル人、ヤサシイ人と形容する人よりも私に向き合っていたから。私の世界には現状バーナビーさんしか存在しない。だけどそれも一時的な物だろう。子供はいつか暖かい毛布から出なくてはいけない。同情などされているのは私がまだ子供だからだ。




02.

養父となったアルバート・マーベリックは、私を大学に行かせてくれた。著名人の養女が大学も出ていないとなれば体面も悪いのだろう。
私は相変わらず金が嫌いだったけれど、どんなに毛嫌いしたところで生活していくには金がいる。アルバイトを始め経済学を先行したものの、幼い頃に刷り込んだ金への価値観はそう変わらない。

この頃になるとバーナビーさんは私に対して敬称を略すようになった。親密とは違う気がしたけれど、彼に存在を許されているような気がして胸がくすぐったい。


「学校はどうですか」
「楽しい、と思います」
「それは良かった。マーベリックさんも…」


言ってから、彼はしまったと言う顔をする。養父も仕事が忙しく月に一度会えば良い方で、それを彼は気にしていた。彼自身、私がここ以外に行くところが無いことを知っているのだ。


「…すまない」
「大丈夫です。私も、ちゃんと向き合わないといけないと思っているので」


そもそも身も知らぬ女の事を養父から金を渡されてるとは言え面倒を見るなんてよっぽどのお人よしだと思う。
だけど、今の関係が単純に彼の人柄から来ているのかと言えば答えはそうでは無い。


「焦らなくて良い」
「はい」
「自分のペースで構わないから」

私はこの、彼の同情するような顔が苦手だった。私は置いていかれた子供じゃないのに、バーナビーさんは私をそういう目で見る。彼の本心を知らないまま、私は目を合わせることを避けた。
しかしそれが間違いだったと、私は彼の部屋を掃除していた時に知る事になる。

几帳面な彼に限ってどうしてその日ばかりパソコンの電源を点けたままにしていたのだろう。どうしてマウスに腕が当たってしまったのだろう。
明るさを取り戻した画面には、昔の新聞が写されていた。なぜこんな記事を?廃墟となった家の写真の次に目に入った家族写真。一目で分かった。その家族が幼い頃のバーナビーさんとご両親だと。だけど、この内容は―――。

愕然、という表現が一番しっくりくる。

パソコンなんて、昔の新聞なんて見なかったことにして彼の部屋から逃げるように飛び出した。後ろ手に扉をしめてその場に座り込む。手は震えていた。どくどくと音を立てる心臓が痛い。
血の通わない悪とはなんだ。そんなものはあるのか。自分の価値観が、彼に対する今まで抱いていた思いが塗り変わろうとしている。

私はとんだ思い違いをしていたのだ。
彼は同情などで私を家に置いていたわけでは無かった。

動機が落ち着いて来ると、無性にバーナビーさんに会いたくなった。彼の影に触れる勇気も影も無いけれど、ちゃんと顔を見て話したいと思った。


本当に寂しいのは、あの人だ。





やさしくなれないひとたちの塔




続きます。
title:にやり



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