04
扉の先にあった光景に、思わず息を呑む。
眼下に広がる海と大地。
この城がよっぽど高い位置にあるのか、はたまたここは島国なのか。果てしなく続く水面は太陽の光を受けてきらきらと輝いている。
部屋の中にいた時間はほんの僅かだったように感じられたが、外にはいつの間にか夕陽が浮かんでいた。ただただ言葉もなくそれに魅入っていると、隣に立ったシンドバッドさんが微笑む。
「君の居たところとは違うかい?」
「…はい。とても綺麗です」
自然と緩んだ表情を彼に向ければ、彼もまた柔らかく笑う。
細められた瞳は夕焼けに染まっても綺麗な黄金色だった。
さぁこちらへ。歩みを促されて彼の後に続く。
ジャーファルさんは執務に戻ると言って先に部屋を出ていた。
シンドバッドさんは案内役をかって出てくれたのだけれど、一国の王にそんなことをさせてしまうなんて、と申し訳なく思う。
しかし眼前の彼はそんなこと微塵も気にしていないのか、赤い靴を鳴らして颯爽と廊下を進む。
時折交じる説明に耳を傾けながら、前を行く彼を見詰める。
深紫の長い髪が風に揺れて夕焼けの橙と混ざり合う。
彼の髪は夜空の色。強い意志を秘めた瞳は月の色。
夜のような人だと、思った。
出会ったときから彼の周りにあるきらきらとした輝きは、さしずめ夜闇に瞬く幾粒もの星。不思議な人。彼は人を惹き付ける何かをもっている。だからこそ、彼が王になったのだろう。
ぼんやりとそんなことを考えていたら、少し先を行くシンドバッドさんが足を止めていたことに気が付く。
「シンドバッドさ、」
「王様!こんなところでなにやってんですか?」
「ああ、丁度良かった。昨日の子が先程目を覚ましたんだが」
「えっマジですか!」
「昨日の、ってあの修行中に降ってきた…?」
彼以外の人の声が聞こえて恐る恐るシンドバッドさんの横から顔を出せば、そこには褐色の青年と金髪の少年。
褐色の人はわたしを見た途端人懐っこい笑顔を浮かべてひらひらと手を振った。無事で良かったなと付け足しながら。
もしかして、この人がわたしを助けてくれた人なんだろうか。
困惑しながらシンドバッドさんを見上げるとにこりと笑みを返される。
「シャルルカン、彼女との出会いの件は他言無用で頼む」
「え、はぁ。王様がそう言うなら誰にも言いませんけど…
あ、俺シャルルカン。王様の護衛とかやってんだ」
「あっ、みょうじなまえと言います」
「こっちはアリババな!俺のパシ…弟子なんだ!」
「ちょっと師匠ねぇ今パシリって言おうとしましたよね!」
シャルルカンと名乗った彼の、下がり気味の目尻が悪戯に笑みを作る。
アリババさんはじとりと目を据えてそれを見てる。年が近いのか、どこか似たような空気を感じる二人は息が合っていてとても面白い。
緊張しながらも頬が緩んで、親しみ易そうな人達で良かったと安心した。
「シャルルカンだよ、君を助けたのは」
「あ、やっぱりそうでしたか…」
言い合いを続ける二人を前に、隣に立っていたシンドバッドさんがこっそり耳打ちしてくれる。
それならお礼とお詫びを、と身を乗り出そうとすると、さりげなく、あくまでさりげなく肩を抱かれて二人の横をすり抜ける。
あの、と声を掛ければ、礼を言うのは後でも良いだろう、と返ってきた。
あの二人はあれが始まると長いんだ。わざとらしく大きな溜め息を吐いてシンドバッドさんが肩を竦める。
肩を包むように乗った掌が温かい。
緊張の所為かいやに心臓が騒いだのだけれど、それもそうだ美人さんに肩なんて抱かれたら誰だってドキドキする。
その音に気付かれてしまわないように、強張らせた肩から力を抜こうと息を吐く。
(クスクス…)
「…?」
どこからか聴こえた笑い声に首を傾げると、長い廊下に付けられた柵に、数匹の小鳥の姿が見えた。
(貴女の心配をしてるのよ、)
(王は気遣いがお上手だから、)
(一度に詰め込みすぎるのは良くないでしょう、)
チィチィと囁くように聴こえる声に目を見開く。
うそ、いま、たしかにしゃべった。
ぶあ、と全身に鳥肌が立って体が強張る。
ぎこちなく足を動かしてなんとか隣の彼の歩みに合わせた。
しばらく歩いていたような、それからすぐだったような、気付けばわたしたちはその扉の前に居た。
「なまえ?」
「はっ、はい!」
勢い余って無駄に大きな声を出してしまう。
それにぶ、と噴き出したシンドバッドさんがお腹を抱えだしたあたりでかーっと顔に熱が集まってきた。
「あ、その、すみません…」
「いや、いいんだ、元気でなにより…」
ひとしきり笑った後、彼は扉を開けてわたしを中へと促す。
その時、またきらきらと彼の周りを光が包んで、わたしの元にまで届いた。
温かい、不思議な色の、鳥のような。
「あの、この光は、」
「今日はここまで」
「えっ」
「続きはまた明日。
君の物語はまだ、始まったばかりだ」
彼の言葉の意図が汲み取れない。
夕陽を背にしている所為で、目の前の人がどんな表情をしているのかわからない。
ぱちん、ぱちんと視界の内で光が弾けて、瞼が重くなる。
「おやすみ、良い夢を」
この声、わたし、何処かで―
ぐらりと視界が傾く。
意識が途切れる直前に見えたのは、夕焼けを飲み込んでいく、夜の色だった。