02



通っていた幼稚園のお遊戯会で初めて感じた緊張感とも、近所の犬に思い切り噛まれて感じた痛みや恐怖心とも違う。
今わたしに突き刺さるそれは、記憶の中で最後に感じた両親の、冷たい、体温に似ていた。



言葉を紡ぐどころかろくに呼吸さえままならない。
押さえた心臓が飛び出してきてしまいそうなくらい胸を叩いて、酸素を欲しがる肺がじりじりと痛む。
声にならない声が喉の奥で引っかかる。
当たり前のことが、何もかも上手く出来ない。
かろうじて合わせていた金色の瞳から視線を落とすと ジャーファル、と咎めるような声が掛かった。


「でもシン、この女は」

「お前がそう殺気立ってたら話をするどころか、彼女の呼吸が止まってしまうぞ」

「、…」


短い会話が切れた瞬間、きつく締め付けられていた糸が解けるように、張り詰めた空気が和らいだ。
ぶわ、と汗が吹き出てきて、軋む体を抱きこむように背中を丸める。
お嬢さん、と心配そうに小さく呼び掛けられた声があまりにも優しくて、思わず泣きそうになった。
浅く何度も呼吸を繰り返して、やっと弱々しく笑顔を作ることができたのだけれど、だいじょうぶです、と返した声は僅かに震えていた。


「怖い思いをさせてすまなかったね。職業柄、なにかと危険な事と隣り合わせだから、こいつも心配性になってしまって…」

「あなたがしっかりしないから私達がそうするしかないんでしょう、」

「ジャーファルお前な…」


つん、と言い放った言葉におそるおそる視線を向けると、ばつが悪そうに顔を逸らされてしまった。
呼吸を整えながら、未だ少し怯えるように騒ぐ心臓を落ち着ける。見知らぬ場所と人と、向けられた疑問にいよいよ混乱してきた。一体此処は、どこなんだろう。
再び重苦しい空気が部屋の中を包む。お互いなんと声を掛けたら良いかわからずに言葉を探しているみたいだった。

君は、とわたしのものではない声が沈黙を破った。


「昨日うちの王宮に現れたんだ。 空から、突然、ね」


今度はわたしが驚く番だった。空、から、と無意識に小さい声が洩れた。
昨日の、今と同じ時間の頃、たまたま外で剣の稽古をしていた人がわたしに気が付いたのだと言う。
ゆっくりと落ちてくるそれを受け止めたら、頭のてっぺんから爪先まで水浸しだったと。
拾ってくれた人からその話を受けて彼はわたしを医者に見せた後此処に運んだらしい。そしてそのまま丸1日、意識を失ったわたしは目を覚まさずにいて、漸く今に至る。
そこまで聴いて愕然とした。わたしの記憶は、水の中に落ちたところですっかり途切れてしまっていたから。

俺達が君について知っているのはそれだけだ、と言葉を切って、金色の瞳がわたしを見据える。
多分、次はわたしが知っている事を話せということなのだろう。
ごちゃごちゃとまとまりきらない思考をなんとか繋ぎ合わせながらこくりと頷いて、ひとつ、咳払いをする。


「仕事から帰る途中、近所の子供たちと川原で、遊んでいました。
 そのうちの一人が、川に落ちそうになったので、助けようとして、逆にわたしが落ちてしまって…」


途切れ途切れに話す言葉を彼らは真剣に聞いてくれている。
でも申し訳ないことに、目を覚ます前の記憶はこれが全てだった。
川に落ちて、それからは全く分からない。そう言えば彼らは困ったように顔を見合わせた。


「…カワラって聴いたことあるか?」

「いえ、というか、川に落ちたのに空から降ってくるってかなり無理があると思うんですが」
 
「ジャーファル、いい加減疑うのはやめろ。お前だってわかってるんだろう、このお嬢さんはそういう生業の人間じゃない」


交わされる会話に、段々と憶測が確信に変わっていく。
そんなの、物語の中でしかありえない話だと思っていた。でも、これが仕組まれたものでもなんでもないのだとしたら、それ以外に思い当たる節が無い。
わたしの世界の常識を覆す何かがあればもっと早く気が付けたのだろうけど、生憎それはまだ見付かっていない。
…わたしが空から降って来たっていうところは、予想を遥かに上回る現象なのだけれども。
言い争いを続けている2人にあの、とおずおず声を掛ける。


「東洋に、日本という国は、ありますか?」


ぴたりと、会話が止む。静かな時間が短く流れて、2人は首を横に振った。
おそらくこれが確信への第一歩。
不思議そうな顔をしてわたしを見る彼らの視線が少し痛い。わたし、仲間内では常識人で通ってたのにな。
でも多分、此処ではわたしの常識は通用しない。
ここは、わたしの知っている世界とは違うのだから。


「わたし、たぶん、こことは違う世界から、来たんだと思います」

  
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