人もまばらな夕方のバトルサブウェイ。
一定の間隔を保って置かれているベンチに座るひとりの女性の姿を見付けて、わたくしは思わず足を止めました。

少しだけ見覚えのある面影を頼りに記憶の箱をひっくり返せば、思いの外直ぐにその人は見付かった。


「(確か、ヒトモシを連れた…)」


考えるより先にひょっこりと彼女の陰から顔を出したヒトモシに、憶測が確信に変わった。
ここのところ頻繁にバトルサブウェイに現れてはシングルトレインに挑戦しているトレーナー。
トレインに乗り込むところを何度か見掛けた事がある。
自身の記憶力の良さに感心しながらも、バトル前の爛々としたふたつの瞳が、俯いた陰になって見えない事が気になった。

まだまだ幼く小さなヒトモシがおろおろと彼女の周りを行き来する。
モシモシッ、と懸命に声を掛けながら膝に飛び乗ると、ぼとり、大きな滴がヒトモシの体に落ちた。
ひとつこぼれ落ちたが最後、ぼろぼろと止め途なく落ちる滴に、ヒトモシはおろかわたくしまで驚いてしまう。
トレインを見据えるように上げた顔に浮かぶのは、悲しみや怒りではなく、悔しさ。


「ごめん、ね、すぐ、泣き止む、から」


眉根を寄せて咳込むその姿に、口を開けて固まっていたヒトモシがぶるりと震えた。
まるで彼女を励ますように、小さな体を精一杯動かして跳ね回る。
しばらくして漸く落ち着いたのか、はたまたヒトモシの動きがぎこちなさすぎて可笑しかったのか、彼女の表情が少しだけ和らぐ。

ホームに響くアナウンスとインカムから聴こえるそれが重なり合って、結構な雑音になっていたのだけれど、その空間だけすっかり切り取られてしまったようにわたくしと彼女の間には、音の隔たりがまるで無かった。


「痛かったよね、ごめんね」


ふわりとヒトモシを抱きしめる彼女に、自然と腕の中の表情も穏やかになる。
腰に付いたいくつかのボールも、何かを感じ取ったのか小さく揺れた。


「早く、強くなりたいって、サブウェイマスターと、戦いたい、って。
 目標が大きすぎたのかな、空回り、しちゃったね」


ヒトモシを抱きしめたまま彼女が顔を向けた先は、長く続くトレインの、先の見えない暗闇。
緑のラインが指し示すその視線の終着点は。紛れも無く、わたくしの居場所。
先程のヒトモシよろしく、ぶるりと身に震えがはしる。
涙を流して敗北を悔やむその表情に。手持ちに対する愛情と誠意を湛えたその瞳に。バトルへと注がれる情熱の深さを物語るその心に。
どうしようもなく、胸の奥が熱くなる。


気が付けばわたくしは、彼女の傍らに立ち、洗い立てのハンカチを差し出しておりました。
黒のコートを見留た瞬間弾かれたように立ち上がった彼女の服に、落ちないようにとがっちりとしがみついたヒトモシが目を丸くする。


「お客様、もうじき日が沈みます。
 夜道は大変危険ですのでなるべく早いご帰宅をお勧め致します」


出されたハンカチと告げられた言葉がちぐはぐだった所為か、濡れたままの瞳が戸惑いがちに揺らぐ。
よじよじと彼女の肩を目指すヒトモシがそこにたどり着かないうちに、小さな手にハンカチを握らせる。


「急ぐ必要はございません。
 貴女様は貴女様のスピードで良いのです。
 長く掛かっても構いません。
 ですがいつか必ず、わたくしの所までいらしてくださいまし。
 その時はサブウェイマスターノボリ、全身全霊でお相手致します」


いつの間にか肩へたどり着いていたヒトモシが不思議そうに体を傾ける。
そっとその手を離して深くお辞儀をすると、アイロンで整えられたハンカチが、彼女の手の中でくしゃりと歪む。


踵を返し、切っていたインカムに手を伸ばしながら動き出した足を、凛と響く声が呼び止める。


「いつか必ず、返しに行きます!」


ああやはり、貴女様はそちらの方が似合っておいでです。
きっと彼女は今、トレインに乗り込む前と同じ、雄志を秘めた瞳をしている。

その決意を背中に受けながら、久しく感じていなかった高揚感に小さく身震いをして、お待ちしております。と呟くように告げた。






新米トレーナーちゃんとバトル廃人ノボリさん
(120715)
 
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