07



彼…ではなく、彼女の頼んだコーヒーに、困ったように眉を歪ませるわたしが写った。
カップを手渡した時に触れた指先には、シャーベット色の丸い爪。
相変わらずの女顔負けの女子力です流石です恐れ入りました。
もちゃもちゃと口の中で言葉を捏ね回していると、隣から拗ねたような声。


「どういうことか、ちゃーんと説明してよね、」


林檎さん、目が笑ってません。
わたしは再び、口から出かけた言葉を寸でのところで飲み込んだ。

この間の電話から数日。
やっと時間の都合が付いて、りんちゃんとわたしは行きつけのコーヒーショップに来ていた。
昔からなにかある度にここでおしゃべりした。
でも、懐かしいな、と思い出に浸る余裕なんて、今のわたしにはない。
向かい合って腰掛けたソファーで、テーブル越しに彼女の探るような視線が突き刺さる。


「レンくんは、その、言うなれば保護した、と言うか…」

「なまえ、自分の意見ははっきりと、でしょ?」

「家の前でぐったりしていたのを介抱してからなぜか家に住み着いていますそれだけです誘拐とか監禁とかそういうのじゃないです断じて」


ふうん、とりんちゃんの綺麗な唇から呟きが零れる。
それと、何やってんだか…、なんて付け足しながら、呆れ顔で溜め息。
掻き上げたシャンパンピンクの髪がふわりと揺れて、陽光にきらきらと反射する。綺麗、だなぁ。


「あの…ちなみにりんちゃんとレンくんは…」

「ああ、元教え子で事務所の後輩」

「え!?りんちゃんってアイドルさんじゃなかったっけ!?」

「そうよぉ、っていうかなまえ、その口ぶりだと俺の出てるドラマ…見てないね?」

「林檎さん戻ってます、性別元に戻っちゃってます」


低められた声に驚いて、誰より先にきょろきょろと周りを見回してしまう。
そんなことお構いなしとでも言いたげに長い脚を組み替えてコーヒーを口に含む彼女には、もう参りましたと白旗を上げるしかないようだ。




「彼も出てるのよ」


カップを口に運ぶ手が止まる。
何時もの間延びした調子を取り払ったそれは、確かな重みを持って鼓膜を震わせた。
彼は、彼女の、教え子で、後輩。
よくよく考えてみればそういうことか、とようやく理解することができた。
つまるところ、彼もアイドルなのだ、と。

思い当たる節がなかったわけではないのだけれど、まさかもうその世界の人だったなんて。
この間テーブルに広げられていたあれは、いわゆる台本というもの、なのだろう。

あまり驚かなかったのは多分、彼について知っていることは少ないんだろうなと踏んでいたから。
たとえば、背が高いところ、人を惹き付ける声。朝が弱い。あと、ひとりで眠るのが嫌い。
思い返してみればただそれだけ、それだけ知っていれば一緒に居られる。なんだか不思議。
ただ、新しく彼について知れるのは嬉しかった。本当は本人から聴けるのが一番なんだろうけど。
すっかり冷めてしまったカフェオレを口に運びながら、ひとり納得する。


「春ちゃんと離れて、彼はまた行き場をなくしてしまったの」

「情熱の注ぎ先を失って、彼は、レンちゃんは行方をくらましてしまった」


「はる、ちゃん」

「七海春歌。学生時代に彼とパートナーだった女の子のこと。彼女の才能は半端なものじゃないわ」


七海さんが曲を書いて、レンくんが歌う。そうして出来上がった作品で彼らは事務所に所属する権利を手に入れた。
だけど、七海さんは作曲家でレンくんはアイドル。プロとして仕事をするのであればふたりの都合に予定を合わせるわけにはいかず、組んで曲を作るということも難しくなってしまう。
七海さんの影響を受けることができなくなってしまったレンくんは目に見えて元気をなくし、徐々に受ける仕事を減らして、気が付けば事務所の寮からも姿を消してしまった。


「いろんなとこを転々としながら細々と仕事を受けてたみたい」


ああ、それについては聞き覚えがある。
前のところにいられなくなった―出会ってすぐの頃、確かに彼はそう言っていた。

そこまで一通りの説明を受けて、また少しだけ、彼に近付けた気がする。
詳しいことは本人から、と言ってくれたりんちゃんに感謝しながら、噛み締めるように声を絞り出す。


「神宮寺…レン、…」


初めて呼んだ彼の名字。
思えば名前さえ知らなかったんだなと実感させられて、苦い気持ちになる。
砂糖を入れ過ぎたカフェオレからふ、と顔を上げれば、先ほどまでとは対照的に、大きくてまあるい瞳が楽しそうに細められる。


「で?あなた一体どうやってあの子を攻略したの?」

「は、はい?」


思いもしない問い掛けに、思わずこうりゃく?と聞き返してしまう。
テーブルに肘を付いて両手に顎を乗せ、上目遣いにわたしを見る彼女は、心底楽しそうな笑顔を浮かべている。
その笑みとカフェオレを交互に見ながらゆっくり考えると、なんとなくりんちゃんの言いたいことがわかってしまって、言葉より先に苦笑いが浮かんだ。


「わたしは何もしてないよ」

「いやいやいやうそおっしゃい!」

「ほんとほんと。だってレンくんがアイドルだなんて思いもしなかったし
 それどころかわたし、今日まで名字も知らなかったんだよ」


目を伏せながら告げたわたしの言葉に、落胆の意を見せる彼女の表情が少し面白い。
彼を元の道に戻したのはわたしじゃない。彼がそれを望んで、然るべき行動をとったまでだと、わたしは思う。


「黙ってるってことは、知られたくないってことでしょ
 わたしはこれ以上の余計な詮索はしないし、彼から話してくれるまで今まで通りでいるつもり」

「なまえ…」


空になったカップを、音を立てないようにテーブルに置く。
目の前のりんちゃんは、言葉を探してるみたいに口を開閉させていたのだけれど、諦めたのか溜め息を吐き出した。
つまんないの、なんて言ってるけど、彼女は彼女なりにレンくんを気遣っているんだろう。
やっぱり先生、なんだなぁ。ふふ、と小さく笑った。


「そういうところ、なのよね、きっと」

「ん?」

「なんでもなぁーい!」


どこか納得したように頷く彼女につられて、それを不思議がりながらわたしも頷く。

あの子をよろしくね。
穏やかな声で告げられた台詞に、思わず言葉に詰まってしまう。
すっかり忘れていたことを無意識に思い出してしまって、ひとり、視線を泳がせる。


彼は一体、いつまで家に居てくれるのだろう。


歯切れの悪いわたしを見て小首を傾げる彼女に、いまいち上手く返事を返すことが出来なくて、ただ一度、大きく頷くことしかできなかった。




そうしてまた、長い一日が終わる。
気付いてしまったタイムリミットまで、彼が家からいなくなるその時まで、あとどれくらいの時間が残されているのだろう。
 
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