彼より少し早く起き出して、彼の目が覚めるまでその寝顔を見詰めてみたり、悪戯してみたり。そんないつも通りの朝。
カーテンを閉め切って、一人暮らしの部屋にはもったいない大画面のテレビで恋愛モノの映画を見た昼下がり。
二人肩を並べて準備をして、彼の好きなレシピでゆっくり時間をかけて作った夕食。

なんてことない一日だったけれど、二人にとっては特別な一日。いつも通りのおはようの後に、誰よりも早くおめでとうを伝えた特別な日。
街中はピンクと茶色のモチーフで溢れかえっていたけれど、わたしたちの特別はそれだけじゃない。


「事務所は今頃レンくんあてのチョコで埋まっちゃってるかもねぇ、」

「いや、そんなことないんじゃない?
 ファンの子は俺がチョコ苦手だって知ってると思うし」

「あ、それもそうか…」


ワインの入ったグラスを傾けながら彼が笑う。
早乙女学園を卒業して早数年、毎年こうしてふたりで彼の誕生日を祝ってきた。
トップアイドルへの道を邁進している彼と、一応作曲家の端くれをしているわたし。忙しくて中々一緒に過ごす時間がとれないけれど、毎年この時期だけは無理をしてでも時間を作る。
でも、今はそれが出来てもこれからは出来ないかもしれないなぁ。

少しずつ少しずつ、彼が家にいる時間が少なくなってきている。
こういう仕事に携わっていて忙しいということは、本来なら喜ぶべきところなんだろうけど。
あくまで口には出さないけれど、なんとなく寂しいなと思う時間も増えてきた。一昨年辺りから一緒に住むようになって、多少は改善されたはずだったのに。
もやもやと胸の辺りに燻る感情を振り払いながら、目の前に並んだ豪勢な料理たちに舌鼓を打つ。


家に届いたプレゼントは3つ。レンくんがいたSクラスの一之瀬さん、来栖くんからのものがひとつ、わたしがいたAクラスの春ちゃん、なっちゃん、音くん、まぁくんからのがひとつ。そしてもうひとつは、彼の一番上のお兄さんから届いたもの。
宅配のお兄さんに連れられてその包みが届いたとき、彼は嬉しそうな恥ずかしそうな、なんとも言えない表情をしていてとても新鮮だった。
あとでお返し送らないとね、ってからかうみたいに言ったら額を小突かれてしまったのだけど。
まだ中身は見てないけど、きっとすごくいいものが入ってるんだろうな。
わたしからのプレゼントは日付が変わった直ぐ後に渡してしまったからもうそこには見当たらない。多分開けたまま寝室に置きっぱなしになっているはず。

彼に習って少しずつ上達してきた料理に自分で感心する。
ここの味付けはもう少し濃い方が良かったかなぁなんて思っていたら、なまえ、と正面から声が掛かった。
料理の入ったままだった口元を押さえてん?とそちらに顔を向ければ、どこか狼狽したような空色がこちらを見てはどこかへ泳いでいた。
どうしたの?と今度は此方から尋ねる。持っていたフォークをお皿の端に置いて話を聴く体勢になった。彼が言葉に詰まったら先ずはこうして受け止める姿勢を作ることが大事。これもここ数年で身に付けた技のひとつだった。


「…なまえには真っ先に誕生日プレゼントをもらっちゃったんだけど、」

「うん?そうだね、」

「…もうひとつ、欲しい物が、あるんだ」


年を重ねるにつれて減ってきた我儘が久しぶりに返ってきたのかと少し懐かしく思った。もちろん断る理由もないので身を乗り出してその内容についての次の言葉を待つ。
彼がひとつ咳払いをしてごそごそとポケットをあさった。
昨日私がアイロンをかけたばかりのぱりっとしたボトムから、小さな小箱が顔を覗かせる。ことりとそれをテーブルの上に置くものだから、ついつい凝視してしまった。
これは?と口を開く前に、彼が恭しくその小箱の蓋を開けて、わたしは酸素と一緒に言葉をまるまる飲み込んだ。



「なまえの名字、俺にくれるかい?」



どくどくと心臓が薄い胸を叩いて、今にも飛び出してきてしまいそう。テーブルの上で握った掌に、じわりと汗が滲んだ。
生憎その言葉が理解できないほど子供じゃないし、増して憧れていたその台詞を憧れの彼に言われるなんて、まるで夢の中にいるみたい。
ふるふると震えだす口元を覆うと、生温い雫が止め処なく掌を濡らした。
言葉よりも先に涙が溢れて止まらない。困ったような彼の声がわたしを心配しているけれど、上手く声が出なくてわたしまで困ってしまった。


「そんな顔させるつもりじゃなかったんだけどな…
 それが悲しい涙じゃないことを願うばかりだよ」


ほんのりと目元を染めて眉を下げる彼に、胸の奥がぎゅうと締め付けられた。
濡れた掌を手元のクロスで拭いて、言葉にならない分を体温で届けようと彼の掌に重ねてみる。
上手には出来なかったけどぎこちなく笑顔を見せて、目元を擦りながらなんとかありがとう、と声を振り絞った。

ゆっくりと彼の表情が和らいだ。
何も付いていないシルバーの指輪がきらりと光って、静かに彼の手に掬い上げられる。
重ねたわたしの右手を取って、薬指にその輝きを散らす。
測ったようにぴったりと収まった指輪は、まるでずっと昔からそこにあったみたいにわたしの手に馴染んだ。
嬉しくてまた涙が溢れる。綺麗な指先が目尻を拭ってくれた。


「まだまだ駆け出しで未熟な俺だから、まだ左手の約束には早いかなと思ったんだ。
 だからこれは誓いの印。
 これから先どんなことがあっても、俺はこの手を離さない。

 ベタな台詞しか出てこなくて申し訳ないんだけど、
 俺と、ずっと一緒にいてくれませんか」


優しく握られた手から体温が溶け出して、じわじわとひとつに混ざり合う。
これじゃあどっちの誕生日なんだかわからないね、って震える声で言えば困ったように微笑まれる。
どうしようもなく嬉しくて、このままふわふわと体が浮いてしまうんじゃないかと思った。
わたしの返事を待つ彼の心臓も、わたしと同じように浮き足立っているんだろうか。
想像したらまたふわふわと嬉しい気持ちが溢れて、思わず笑ってしまった。
涙でぐちゃぐちゃになった顔を整える余裕なんてなかったけれど、精一杯彼に応えたくて大きく頷いた。



「わたしで、良ければ」



薄っすらと涙の膜が張った彼の瞳が優しく揺れる。
立ち上がってテーブル越しに送られた口付けは、開けたばかりのブルゴーニュ・ルージュの味がした。



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靜祁さま!

企画参加ありがとうございます!
レン様とお家デートとのリクエストだったのですが…あれ、これってお家デートってことでいいのかな、と途中何度も筆が止まりました!←
期待に副えているか不安でなりませんが、少しでも気に入っていただけたら幸いです…!

(稲村)

 
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