いつもの制服とは違う、私服に袖を通して肌寒い外へと一歩踏み出す。
マフラーも巻いてくれば良かったな、と少しだけ後悔しながら買い物のメモをぎゅっと握った。
わたし達使用人の中には、自宅から通勤してくる者も居れば、わたしの様に住み込みで働く者もいる。
そんなわたし達に不自由がないようにと、それぞれに自室を割り当ててくださったのは一番上のお兄様だった。
雇ってもらって、その上身の周りの心配までしていただけるなんて、本当に良い職場に就職できたなぁと改めて実感する。
住み込みで働いているのはわたしを入れても片手で数えるくらいしかいないのだけれど、皆とても気の良い方ばかりで、快適な生活を送っている。
と、まぁ今日は、神宮司家御用達のお砂糖が切れたのをきっかけに、自分や他の方のお買い物も合わせて買出しに出て来た次第です。
「(少し買いすぎたかも、…)」
あれもこれもとついつい手が伸びて、いつの間に増えたのか帰る頃には両手にいっぱいの袋を提げていた。
心なしか指が痛い気がするけれどそう遠くはない道程、少し我慢すればお屋敷なんてすぐそこに見える。
よし、と気合を入れて袋をしっかりと持ち直す。
「なまえさん?」
「! 一ノ瀬様!」
聞こえた声に振り返ればそこには、わたしも坊ちゃんも良く知る方。
一ノ瀬トキヤ様。Sクラスに所属している坊ちゃんのご友人です。
坊ちゃんとはまた違った綺麗な声をしている方で、今をときめくアイドルのHAYATOさんとは双子にあたるらしい。
お屋敷で何度も顔を合わせているので、それなりに話をする機会も多いし、ついつい頼ってしまいがちな事も多々ある。主に坊ちゃん関連で。
「今日はお休みですか?」
「いえ、お屋敷の備品が切れたもので…買出しに」
「…随分買い込みましたね、」
「…自分でも買いすぎたと思います…」
彼の言葉に苦笑いを浮かべると、呆れた様な溜息が返って来る。
一ノ瀬様はどうにも年下とは思えない雰囲気を持っていて、わたしがあまりしっかりした性格ではないのもお見通しのよう。
まるで小姑みたいだ、と坊ちゃんは仰っていましたが、彼のそれはむしろ心配性というか彼なりの優しさなのではないかと思います。
そんなことを考えていたら急に右手が軽くなって、気付いたら荷物は彼の手に渡っていた。
状況が飲み込めないうちに行きますよ、と声を掛けられてすたすたと歩き出してしまう。
「いっ一ノ瀬様!重いですから!元々わたしが買い過ぎた所為でこうなったわけですし…!」
「トキヤ、」
「えっ」
「一ノ瀬様は止めて下さい、トキヤで良いですと前にも言ったでしょう
貴女の方が年上なのですから、もっとちゃんとしてくれないと困ります」
「うっ、す、すみません、でも…一ノ瀬様は坊ちゃんの大切なご友人で…」
「…私はレンの友人でもありますが、貴女の友人でもあるつもりです
そう思っていたるのは私だけでしょうか?」
「い、一ノ瀬様…」
「敬語も止めて下さい、距離を感じます」
つらつらと言葉を並べる一ノ瀬様は言い返す暇も与えてくれない。
こんな時自分がもっとしっかりした性格だったら、と悔やまざるを得ないです。
観念して小さくありがとう、と返せば小さく、でも確かに満足そうな笑みが返って来た。
他愛もない話をしながら、お屋敷までの短い距離を並んで歩く。
使用人の皆は歳の離れている方が多いから、同じくらいの年代の新しい友人が出来るというのは新鮮で少しくすぐったい。
話すのはもっぱら共通の話題である坊ちゃんの事。
わたしの目の届かない学校での彼の事をたくさん教えてもらえる貴重な時間だ。
お互い苦労しますねと笑いながら歩いていると、目的地までなんてあっという間。
そろそろ見えるかなというところまで来たので、荷物を、と彼に手を伸ばした。
「なまえ?」
はた、と時が止まったように3人共静止する。
お屋敷の方から現れた坊ちゃんは、わたし達を見るなり不機嫌そうに眉を寄せた。
「(お、怒って、いらっしゃる…!?)」
また何か粗相を仕出かしてしまったのかと、さっと血の気が引いていく。
窓の鍵は閉めたはずだし、出てくる前に坊ちゃんの部屋の掃除もした、よく遊びに来る黒猫の餌もちゃんと用意して出て行ったはず。
なにをしてしまったのかとぐるぐる考えているわたしの横、一ノ瀬様は一ノ瀬様で機嫌を悪くする坊ちゃんが珍しいらしく目を丸くしていた。
とにかく謝らなければと口を開けば、今度は急に左手が軽くなる。
そのまま腕を引っ張られて、目の前いっぱいに坊ちゃんの、背中。
「これうちのだから、手出さないでくれるかな イッチー」
これまた状況が掴めずに坊ちゃんの後ろでぽかんとしていると、ぴりっとした空気の中にくすくすと小さな笑い声が響いた。
「それならそうできちんと見ていてください、
彼女は危なっかしくて放っておけない」
その言葉を聞くなり目の前にあった背中が遠ざかって、彼の方へ向かっていった。そのまま荷物をひったくって片手に纏め上げる。
ぼ、坊ちゃんどこにそんな力隠し持ってたんですか、あるならあるで有効活用するべきかと思うのですが!
されどどうすればいいか分からずにおろおろとしていると、空いている方の手でまた腕を掴まれて、ずんずんとお屋敷の方に引きずられて行く。
転びそうになりながらも小走りでなんとか付いて行きつつ、振り返った。
やれやれと肩を竦める一ノ瀬様にもう一度ありがとう!と大きく言えば彼は手を振って応えてくれた。
「…いつの間にタメ口…」
「えっ 坊ちゃんなにか仰いました?」
「何も言ってないよ、」
ようやく岐路に着いたわたしが、坊ちゃんの部屋の窓が開けっ放しになっているのに気付くのはもう少し後の話。