03
「へぇ、案外大きいね、」
愛車の軽に揺られて20分。
わたしたちは、最近出来たショッピングセンターに来ていた。
結局いいように言いくるめられて、彼の滞在が決まったのはつい先程のこと。
彼が一体どれほどの期間うちにいるのかはわからなかったけれど、調べてみれば我が家には、住人が一人増えるには日用品のストックが少なかった。
元々買い出しに行く予定だったしなぁ。
寝起きでぼさぼさの髪を手櫛でとかしながら、ソファーでくつろぐ彼に出掛けようと提案する。
その言葉と一緒に、洗濯していた昨日の服を渡して。
「君ってさ、」
「みょうじなまえ」
「…なまえさんってさ、…結構お人好しだよね、」
「……お帰りはあちらです」
にっこりと微笑んで玄関を指差せばうそうそ、冗談だよ、って焦ったような声。
してやったり、なんてこんな些細なことで優越感にひたりながら、彼の着替えに合わせて自分も寝室で仕度をして、軽く朝食を済ませて家を出た。
ぽけっと思い耽っていたら、風になびく彼の髪からした僅かなシャンプーの匂いで我にかえる。
目を離せばふらふらとまるで猫のようにどこかに行ってしまうような気がして、咄嗟に服の裾を掴んだ。
「目を離しても迷子にならないこと。
うちにいる限り家主の命令は絶対ですからね!」
はい、と車に乗せておいたマイかごを押し付けて言えば、かしこまりましたご主人様、なんて悪戯っぽく微笑まれてどきりとした。
きちんとした服を着た彼を改めて見ると、何故最初に気が付かなかったのだろうというくらい本当に整った顔をしていて。
年下とはいえそんな綺麗な笑みを向けられると、免疫力の少ない我が心臓はそわそわと騒ぎだしてしまう。
「(これじゃどっちが年上なんだか……)」
迷子になられても困るけど、目立つのも考えようだなぁ。
僅かに熱くなる頬をぺちぺちと叩いて、小さく溜め息を吐いた。
買出しと言ってもそこまで大荷物になるわけでもなく、まして彼の日用品なんて片手で事足りる量で済んでしまった。
自分のは自分で、と取り出したカードはきらりと光るブラック。
別に見たことがないわけじゃなかったけれど、一般人の、まして自分より年下の人が持てるような代物じゃないはず。
あからさまに訝しげにしてしまったのが伝わったのか、彼はそそくさとそれを財布に戻してしまった。
「(ますます謎だなぁ……)」
少し高めの背中を見詰めても答えがわかるはずもなく。
車に戻るために来た道を戻っていた、その時。
「か、かわいいいい…!!」
丁度目に入った雑貨屋さんに飾られていたのは、カラフルなマグカップ。
パステルカラーの色合いといい、少し大きめのサイズといい、わたしの好みどストライク。
これはぜひ全色並べて飾っておきたい。
「確かに可愛いね、」
「並べて置いたら絶対可愛いよ…!」
「買う?」
「え、いや、揃えて買っても使ってくれる人居ないし…」
「…恋人いないの?」
「…いたら君のこと家に上げてないと思うけど、…」
驚く彼を少し恨めしく思いながら見詰めていると、そう怖い顔しないで、と小さく笑われた。
まぁ彼に愚痴を溢したところで仕方がないし
、お財布的にもふたつ以上買うのはちょっと厳しい。
並んだそれを眺める彼をその場に残して、店内に陳列されていた箱のオレンジを手にとってレジに並んだ。
その僅か数十秒。
その短時間目を離しただけで、店の前に居るはずの人はすっかり居なくなっていた。
きょろきょろと周りを見回してみるけど、あの目立つオレンジは見当たらない。
迷子になるな、って言ったのに。
はぁ、と大きく溜め息を吐いて近くの壁に寄り掛かる。
そういえば携帯の番号知らないんだった、とポケットのスマートフォンを探りながら思い出す。
「(早速逃げ出したかな、)」
暗くなった画面を見詰めながらそんなことを思っていると、ふ、とディスプレイに影が落ちた。
「ごめんねレディ、お待たせ」
さらりと揺れるオレンジが綺麗だ、なんて、場違いなことを思う。
一瞬ぽかんとしてしまったけれどなんとか持ち直して彼を見上げた。
文句のひとつでも言ってやろうかと思ったのだけれど、どこに行っていたのかすら聞く暇もなく目の前に小振りの可愛らしい包みを掲げられて、ああ、と納得。
「何買ったの?」
「ふふ、内緒。家に帰ってからのお楽しみ、」
いやに楽しそうな彼に首を傾げつつ、またふたりで並んで歩き出した。
その後帰り際に立ち寄ったファーストフード店で昼食をとって、無事帰宅。
荷物を彼に丸投げして、わくわくしながらマグカップの包みを開けてキッチンに置く。
明るい色のそれはひとつでも十分に可愛く、シンプルなキッチンによく馴染んだ。
我ながらいい買い物をしたと満足感に浸る。
「じゃあ、ついでにこれもね、」
いつの間に傍に来ていたのか、すぐ横から伸ばされた手には、今置いたばかりのオレンジと同じ形をした黒のマグカップ。
目を丸くするわたしに、彼はまた喉を鳴らして笑う。
その笑い方がなんとなく、悪戯が成功して喜ぶ子供みたいに見えて、驚きも呆れもすっ飛ばしてなんだか可笑しくなってしまった。
「コーヒーでも淹れようか」
「濃いめのブラックでね、」
ふたつになったマグカップは、物の少なかったキッチンに色を添えて、寂しかった部屋が、なんとなくだけど明るくなった気がした。