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5.


月曜日の仕事は憂鬱でしかない。

結局飲む事のなかったミルクティのボトルは自分のデスクの上に置きっぱなしだった。思い出したくもないのに昨日の尾形のあの表情、口元だけのあの笑みが浮かんでくる。

腹の中では何を考えているか分からないだけに、尾形の存在は私にとって脅威の対象だった。今も同じ社内のどこかに奴がいると思うだけで憂鬱だ。そんな私の気持ちを知ってか知らずか、同じ部署内の女子達が聞こえるようなひそひそ声で奴の話をしているのが耳に入ってくる。
やれかっこいいだの、声だとか所作がスマートで素敵だの。あいつだって子供の頃は無愛想で何を考えてるか分からない不気味な奴だったんだと教えてやりたい。

それにしたって、なんであのタイミングで尾形に出くわしたのか。こっちは制作部で、奴のいる営業部なんか階が違うというのに。なんでわざわざこんな所まで、そう考えると途端に寒気がしてきた。昨日のあの時は偶然の再会だと思ったが、本当に偶然なのか?
あんな子供の頃にほんの少し会って話をした程度の私を見て、ああもすぐに思い出すものだろうか。あいつは私の事を忘れてなんかいなかったのではないか。
ぞわりと背中が粟立つ感覚。思わず両手で自分の肩を抱いたと同じくらいに、部署内がわっと賑やかになった。

「ーーご挨拶が遅れましたが、この度営業に入社しました尾形です。」

声がした方に向くと、営業の三島くんの隣に尾形がいた。尾形は周りを見渡して、私と目が合うと昨日と同じように口元だけに笑みを浮かべる。同じように三島くんも私の方を見て、小さく会釈をした。もしも二人がこちらまで歩いてきたらどうしよう、そんな動揺が多分顔に出ていたと思う。頼むから、そいつを私のところに連れて来ないでくれ。
そんな私の願いが通じたのかは分からないが、二人は足早に去って行った。二人は五分もいなかったけれど、部署内で今度は三島くんと尾形の話で盛り上がり始める。私はそれには混ざらず、尾形のあの顔を見て確信した。奴は何らかの目的があってここにいるのだと言う事に。



定時になってすぐに私は帰り支度をしていた。デスクの上には相変わらずミルクティのボトルがあるが、やっぱり手をつける気にはなれない。もう捨ててしまおうか、乱雑にカバンにしまいこんで残っている数名に声をかけて足早に立ち去る。エレベーターを普段なら使う所を階段にして、出くわすかもしれない可能性を避けたつもりだったのに。まさか今降りていこうとした先に奴がいるとは思わなかった。

「よう」

よくそんな風に声をかけられたものだ。私は咄嗟に声が出せずに後ずさる。

「昔馴染みの再会だって言うのに、冷たいんじゃないか?」
「…そんな間柄でもないでしょ」

カツンカツン、と足音を響かせて奴は階段を一歩一歩上がって来る。私はエレベーターの方まで走って行こうか、忘れ物をしましたとでも言って制作の部署に戻ってもいいのに。そう思うのに何故か足が動かずに尾形が私の前に立つ。尾形を見上げる形になってしまい、奴はよそ行きのわざとらしい笑顔を貼り付けて髪を撫で上げた。

「あんた、本当にあの尾形さん家の百乃助くん、なの?」

奴の顔を見上げて当時の面影を探す。背丈だって体格だって、あの頃は同じくらいだった筈なのに。そりゃ10年以上も経てば男女の体の作りを考えたら当然の事だけど、当時の姿から今の尾形の姿に対しての違和感が拭えない。可哀想な子なのよ、と母の言葉が頭に浮かんだ。

「俺は忘れてなかったのに、なんでお前は忘れてたんだ?」
「…どういう意味よ?」

いい加減に距離が近いし相手が何を考えているのか分からないから、押しのけてでも階段を降りようとしたら腕を掴まれて制止させられた。思いの外力が強く、指が腕に食い込む。

「忘れてたから何だって言うのよ。私の事なんか迷惑な奴としか思ってなかったくせに」

そう言った途端に尾形は作り笑いを忘れたみたいに、じっと無表情で私を見つめた。私はこの目を知っている。黒々とした目は何を考えているのかが分からなくて、あの夏の日の事を嫌でも思い出してしまう。あの時、尾形は何をしていたのか?足元にバラバラに散らばった黒い蝶の羽根、あれは尾形によって引き千切られたのだろうか。


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