レモン







圧巻。語彙の乏しい私には、まずその単語しか浮かんでこなかった。

「す…ごい、」

大きな体育館であるため四面あるコートの中で、奥のコート二面を使い行っていた試合は終盤も終盤。残り五分を切って、会場の勢いは更に留まる事を知らなかった。

「行けーッ!!」
「時間がないっ、攻めてけっ!!」
「最後まで気ぃ抜くな、お前ら!!」

これは正式な試合ではない。あくまでも練習試合だ。だけど、このコートの中にはただの練習試合と、簡単に割り切っている人は一人もいない。それほどまでの本気さが、少し離れたこの観客席にまで伝わってきた。本当に空気に飲まれるということがあると言うなら、それはきっとこんな感覚だ。
バスケというスポーツは、こんなに大変で、キツくて、そして…こんなにも面白そうなスポーツだったのか。そう思うほど有季はこの試合に引き込まれた。

「…と…ちょっと、有希?」
「…?ああ、何?」
「何?じゃないよ。何ぼーっとしてんの。帰るよ」
「…!ゴメン、ちょっと考え事としてた」
「?ふーん」

気付けば私達は体育館の外。先程の試合の迫力に慄いている内に、私はチームメイトに外に引っ張られてきたらしい。少し前の方で皆は私を今か今かと待っていた。それを見て、少し足を速める。

「…そう言えばどうだったの?黄瀬涼太と」
「それがさ有希!せっかくいい感じで黄瀬クンと喋ってたのに、今度は別の先輩が黄瀬クンを引っ張ってっちゃったの!酷くない?!」
「ああ…まぁ向こうも部活で来てんだし。それはしょうがないんじゃない?」

と言うか、皆の反応からすると、黄瀬涼太は先輩に助け舟を出してもらったんじゃ…。
有希は咄嗟にその事が頭に浮かんだ。
黄瀬涼太もこのメンバー相手に大っぴらには会話は断れないだろうし、このメンバーならたとえ相手が誰であろうとも、何時間でも会話を続けることができる。
それもあり得ない可能性ではないので、また数十分前に感じた汗が吹き出た気がした。

「ねえ有希。あんたラケットは?」
「へ?…ああっ、ない!」
「そう言えば、二階に置き忘れてたかも」
「気付いてたなら持って来てよ!」
「だって、有希が後で取りに来るって…」

それは覚えてるんかい!

「あー…じゃあちょっと取りに行ってくる!」
「一緒に行こうか?」
「いや、いいよ。なんなら先帰ってて」

時間ももう夕刻。もう少しすればきっと今ある太陽も隠れてしまうだろうから、私はそう言い残して一人、駆け足で先程の体育館へ戻った。…流石にまたあの坂道を登る時は、チームメイトを恨みそうになったが。

「…あー、あったあった」

駆け足で体育館にいけば、どうやら閉館時間もギリギリだったらしい。慌てて事情を説明してラケットを見つけ、入り口を出る頃にはちょうどドアの鍵が閉まる音がした。

「……あ、アンタさっきの…」
「え?」

フゥ、と一息つけば後ろから聞きなれぬ声。誰か知り合いだろうかと振り向けば…そこには予想通りの身長で、制服姿のモデルさんがいました。驚きで固まれば、相手も少ししまったという表情を浮かべた。

「あー…。えっと、さっき少し話したっスよね?あの女の子達のグループでいた」
「え?ああ…まぁ、はい…じゃなくて、うん」

身長から来る迫力から思わず敬語が出た。が、確か私の記憶が正しければ黄瀬涼太は私と同い年。それなのに敬語はおかしいかと慌てて戻した。それより問題なのは。

「…(私の事覚えてるくらいなら、煩くした事も当然憶えてるよね…)」

今日、何度か出た嫌な汗が再び出てくる。これは先手必勝だとばかりに、重い口を覚悟を決めて開いた。

「えっと…あの、今日は本当にごめんなさい!」
「…え?」
「私達煩かったでしょ?まだ奥で試合やってたのに。それにそのせいで黄瀬…君も先輩に怒られちゃったし」
「?…あ、その事か。いいっスよ!分かってたなら」
「…ゴメン、皆には後でちゃんと言っとく」
「はは…あの子達は気づいてなかったったっスか。まぁキミが気づいてくれたのはすぐ分かったけど」
「え?」
「それに!先輩に蹴られるのはいつもの事なんで。気にすることないっス!」
「へ?いつものことなの?」
「そうなんスよ、あの先輩ホント容赦なくて。まぁ誰でもあんな感じなんだけどね」

ドカドカと何処でも場所に限らず足蹴にするんスから!
黄瀬涼太、改めて黄瀬君は、例のカサマツ先輩を真似するように足を少し上げた。チラッとしか本人を見てないから断言はできないが、そのモノマネは意外とうまいんじゃないかと思う。

「…意外と、普通だ」
「え?」
「ああいや、こっちの話」

思わずポロリと漏れた本音。それは、モデルである黄瀬涼太の印象の事だった。
有名人と会話なんて初めてで、しかも後ろめたいことがあるから気を張っていれば…何かこう、良い意味で脱力した。何と言うか、芸能人と言うより同い年の男の子に話しているような。モデルという付加価値は後付けのような。…まぁそれが普通なんだろうが。先輩について話す時。彼から学生らしさが少し染み出てる気がする。
まぁそうだよね。黄瀬君も言ってしまえばただの男子高校生なんだし。つい先ほどまで黄瀬の事をモデルだからと考えてた自分が少しバカらしく感じた。

「…そのラケット。キミってテニス部なんスか?」
「うん。これ、帰ってる時に忘れてることに気づいて戻ってきたの」
「えっ、ラケット忘れちゃダメでしょ!」
「あはは…言い返す言葉もないです」
「キミも練習試合とか?」
「そう。海常高校ってとことなんだけど、そこかなり強豪校で。知ってる?」
「は?」
「…え?」

黄瀬君は何を言ってるんだ、というように私の顔を見た。モデルにそんな顔をガン見されたら標準顔の私は慌ててしまうのだが、今はそうではなくて。あれ、なんか私おかしなこと言っただろうか?
黄瀬君と同じようにはて?と首を傾げた時、丁度自分のポケットが振動で揺れるのに気付いた。この音は電話の時の音だ。

「あ…ちょっとごめん」
「あ、ああ。いいっスよ」

快く出た黄瀬君の了解をありがたく受け取ると、私はずっと鳴り響いている、オレンジのストラップがぶら下がった携帯を取り出して押した。結局、さっきの奴は何だったんだろうかと気になったが、この電話で流れてしまいそうだ。
電話の相手はテニス部のメンバーだと画面から分かっていたので、ちょっと意地悪のつもりで少し間をおいて電話に答えた。

「あー、もしも…『ちょっと、有希?私!ラケットはあったの?』…あー、うん」
『なら早く帰ってきてよ。次のバスが三十分後しかないんだから』
「え?!それは嫌だ…」
『でしょ?分かったら五分以内で』
「げ。それは走ってこいって…?」
『分かってんじゃん。時間過ぎたら皆にアイスね!』
「…こうなるのが分かってたから、先帰ってていいって言ったのに…」
『じゃーねー!』
「…聞いてないし」

しかも勝手に切れた。切る直前に電話の向こうで笑い声が聞こえていたから、もしかして私が五分以内で帰ってこられるか賭けとかしているのかもしれない。あのメンバーだからあり得る…。何度も言うが、あくまでこれはいじめられてるのではない。このメンバーだとこれが普通なのだ…って言う事がなんか虚しくなってきた。

「チームメイト達からっスか?」
「うん…五分以内に戻らないとアイスだって」

一番安い奴でも百円。うちのチームは九人だから…簡単に見積もっても九百円。私も食べたいし、彼女らが百円アイスで満足してくれるかも不明だから…。あ、下手したら帰りのバス代無くなるかも。しかも悲しいかな、あのメンバーはやると言ったら本当にやる人達だ。そこまで考えて、私の顔色が一気に変わった。

「ははっ…なんかそっちもいろいろ大変そうなんスね!」
「分かる?…ってこうしてる場合じゃないや」

私は慌てて携帯をポケットにしまう。すると、丁度手に当たる感覚で、そう言えば最後の一個はここに入れていた事を思い出した。どうしようか。と、一瞬迷ったが、よく考える必要もない。別にこれくらいはいいだろう、どうせあげなくても向こうで皆に取られる羽目になるんだから。有希はゴソッとポケットから手を出した。

「はい、これ」
「?何スか…」
「飴。本当は試合の後食べようと思ってたんだけど。あ、レモン大丈夫?」
「え?それは全然…」
「良かった。…じゃあ私はこれで!」
「あ、ちょっと…!」
「ゴメン、そろそろ本当に時間やばいから!」

私はそう言い残すと、ちょっと名残惜しく感じたが走ってその場を離れた。少し離れた所で黄瀬君が何か叫んでるように聞こえたが、その時の私は本腰を入れて走っていたので、気付くわけもなく。取り残された黄瀬はただ有希の後ろ姿を見送った。

「…あー、行っちゃった」

黄瀬が手で顔の前まで上げて摘まんでいたのはオレンジのストラップ。先程まで有希の携帯についていた物だった。携帯の出し入れの拍子に落としたのだが、余程アイスを奢りたくなかったのだろう。部活の後で疲れ切っているとは思えない速さで行ってしまったので、黄瀬の声は届かなかった。

「プッ…!オレンジのストラップ…って、どんだけ柑橘系好きなんスか」

それに、彼女からは少しだけグレープフルーツの匂いがした。スポーツ後から言って制汗剤の匂いなのだろう。柑橘系が彼女のお好みらしい。

「あっ、こらてめぇ黄瀬!こんな所にいやがった!何やってんだ、帰っぞ!!」
「あっ…先輩!」
「何こんな所で惚けてんだ…ん?何だそれ。オレンジ?」
「…なーんか、面白い子と会っちゃったんスよ」
「面白い子?」
「んー、森山センパイ語で言うなら…運命の子?って奴っスかね」
「何言ってんだ。ってかなんだよ、森山語って!」
「あだっ!ちょ、先輩!何かある毎に蹴るのはマジ勘弁してくださいっス!!」
「オメーがちゃんとすりゃあ俺だって怒鳴らなくて済むんだよ!」

再び降ってくる…今度は足ではなく鉄拳制裁。事ある毎に威力が増していっているのはきっと気のせいではない。日夜行われる海常のハードな練習の成果はどうやらこんなところにも現れるようだ。そんな鉄拳を受けながら、黄瀬の手にはしっかりとストラップが握られていた。

次いでに有希は、黄瀬に声を掛けられても気付かない程猛ダッシュしたお陰もあって、本当にギリギリ五分という制限時間に間に合うことができた。チームの大半がその結果にブーイングを漏らしたのだが、流石にそのブーイングに腹を立てた有希は黄瀬と少し話してたんだと自慢することで憂さ晴らしをしたとかなんとか。

その自慢が余計な種を巻いたと気づくことになるのは、結構早かった。








*****


部活の後、やっぱレモンが食べたくなるよね!って事で。…あれ、私だけ?←
黄瀬クンやっと出てきましたね。ワンコの黄瀬君ならきっと、人の匂いにも敏感な筈。


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