「かごめ」

 「かーごーめ」

 背を向けるかごめに呼びかけ続けて、はや幾度目か。
 いつもの笑顔は欠片もなくて、犬夜叉の声に応えるのは、無情にも今宵の寝床を探す烏ばかり。
 つり上がった眉に犬夜叉がぎくりと胸を縮めたのは、まだ夕焼け空には早い頃だった。
 応える声もカァと鳴く烏ではなく、まだ枝葉で囀る小鳥たちだった。
 今はもう沈み始めた太陽を山の向こうに見ながら、犬夜叉は静かにため息をついた。


 訊ねられた質問に、はっきり答えることができなかった。
 少しばかり言葉に詰まった行間を、思わぬほうへと取られてしまった。
 元来、素直に言葉や気持ちを伝えることは苦手なのだ。
 弥勒のように好きだ惚れたと言うなど、犬夜叉にとっては闇夜に針の穴を通すよりも難しい。
 その不器用さが、今回は悪いほうへと転がった。
 少しのやきもちであれば可愛らしいと思えるものの、こうも意固地になられては、もう頭を抱えるしかない。
 あれくらいで≠ネどと思わなくはないが、では例えば今ここに鋼牙が現れ、かごめに触れなどしてみたら――――などと想像しては、その胸の歪みに口を噤むしかなかった。
 そして、それに加えてかごめの機嫌の取りかたもわからない。
 好きだ惚れたと、お前だけだと伝えればよいのだろうが、それがわかったところで肝心の言葉は喉につかえたまま、居心地悪く居座るだけだった。
 そもそも想いなら、言葉にせずとも伝えている。
 例えば、眼差しの柔らかさだったり、名を呼ぶ声の甘さだったり、触れる指先の繊細さだったり。
 少なくとも犬夜叉はそう思っているのだが、弥勒に言わせればそういうものでもないようだ。
 結局、犬夜叉は為す術もなく、ただただ森の中へと突き進む背中を追いかけてきたのだった。


 「おい、いつまでむくれてんだ」

 いくら呼びかけても覗き込んでも、ぷいと背を向けられる。
 なんとも幼稚な仕草だが、延々と続けられては犬夜叉も膝を揺らし始めるほかなかった。
 少しばかり苛立ちを含ませながら肩を鷲掴むと、半ば強引に面と面を突き合わせる。

 「……なによ」

 ようやく見えたかごめの頬は、見事にぷっくり膨れていた。
 綺麗というより可愛らしいその顔は、仕草も相まって幼さを醸し出す。
 声を聞き安堵したのも束の間、合わせた目をふいと横に反らされて、たまらず犬夜叉は片手で両頬を掴んだ。
 向き直された顔は、もう背けることなどできない。
 かごめも徒労だとわかったようで、今度はただ犬夜叉の眼を睨みつけた。
 つり上がった眉尻は犬夜叉の眉間の皺を見ても、当然ながらぴくりとも動かない。
 挑むような瞳に犬夜叉はもう一度ため息すると、突き出された唇に触れそうなほど近くへと顔を寄せた。

 「お前なぁ、いい加減にしろよ」

 僅かに落とした声の低さが、唇に触れる。
 ぎらりと光る眼に、瞳は揺れる。
 湿度が薄皮にまとわりつくのを感じながら、かごめは鋭い視線を保った。

 「いい加減にしねぇと、喰っちまうぞ」

 揺らぐ瞳の奥を見つめながら、犬夜叉はわざとらしく口を開ける。
 かごめは剥き出しになる牙の意味を正しく理解して、頬の膨らみをそのままに、目尻にほんのり色を乗せた。
 熱く射貫く眼差しに、睫毛が静かに影を落とす。
 萎んだ頬を、指先が優しく辿る。
 項に絡む腕に、唇は尚も濡れる。
 胸の歪みの理由など、奥深くへと溶けて沈んだ。


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