日暮れも早くなった師走の末。
色鮮やかに茂っていた木葉は錆色に変わり、土の上でくるくると踊る。
村の周りの山々も灰色がかった空も、いくらか寂しげで、雪は降らずともさすがに肌の上を撫でる風は、もう刺すように冷たくなっていた。
どことなく忙しない空気の中、犬夜叉と弥勒が今年最後の仕事から帰ってきたのは数刻前のこと。
報酬と称したものを分けに楓の庵へ立ち寄ると、そこにはりんと共にかごめや珊瑚がいたものだから、犬夜叉もそのまま弥勒共々上がり込んだ。
入口近くの壁に寄りかかる犬夜叉の、直線上にある厨に立つかごめの指先は、遠目にも分かるほどに真っ赤だ。
珊瑚やりんとはしゃぐ様は楽しげだが、その声が纏う息にはかごめが何か話すたびに白く靄がかかっていた。
それでもきゃっきゃと夕餉の支度に勤しむかごめを見て、犬夜叉はその手を包んで抱きしめ、温めてやりたい気持ちをぐっと堪える。
かごめがこちらへ来てから数ヶ月。
まだ季節は一巡りもしていない。
当初は向こうの国で使っていた道具もなければ調味料も充分でないと、鍋を焦がし定まらない味付けに気を落とす彼女の姿を何度も見てきた。
それが今では道具も火も食材の扱い方も慣れてきて、楽しげに厨に立つ。
犬夜叉はそんな姿が好きだった。
以前、その楽しげな理由を聞いたとき、ふたりで拾った栗の皮を剥きながら『だってあんたが美味しそうに食べてくれるんだもの』と頬をほんのりと染めて、嬉しそうに話していた。
考えもしなかった答えに犬夜叉が狼狽え、心悶えさせたのはまだ比較的記憶に新しい。
その桃色の頬や恥じらう唇、幸せそうな目尻を思い出す。
そしてむずむずとする感覚を誤魔化すように、昨日かごめが作った煮物を口へと放った。
しゃくしゃくと蓮根が小気味のいい音を立てながら、もう馴染んできたかごめの味付けが口の中いっぱいに広がる。
慣れた様子で動くかごめを、細めた目で見つめながら次は人参へと箸を伸ばした。
するとふと陰って見上げた先には、白くつるりとした酒瓶とお猪口を手にした弥勒が立っている。

「お前は相変わらずだな」

「何がだよ」

「かごめ様馬鹿だと言っているのです」

『うるせぇ』とも『違う』とも言い返せず、代わりに口に入れた人参をゆっくりと咀嚼する。
隣に腰をかけた弥勒が酒瓶の栓を抜くと、酒精の香りがふわりと漂った。
いつもの酒よりも芳醇な香りに、先日、弥勒が『頂きました』と和かな(にこやか)表情で、それを掲げていたのを思い出した。

「いくら愛しいからと言っても、人様の家でそのように見つめるものではありませんよ。そもそも厨に立つ姿など幾度も見ているだろうに」

「ちが、ばっ、そんなんじゃねぇよっ」

真っ赤になりつつ慌てて返す言葉を軽く流しながら、弥勒は犬夜叉へとお猪口を差し出した。

「まぁ一献」

「……おれはいい」

「そう言わず付き合え。今宵は除夜だぞ」

様々な理由をつけられ、何度こうして弥勒と酒を共にしたことか。
確か最初はふたりの祝言のときだった。
至極幸せそうに微笑む弥勒から差し出された酒を断ることもできずに、何度か盃を煽った。
その次は珊瑚のめでたい報せを聞いたとき。
いつになく喜びを溢れさせながらも、数滴の不安が滲む横顔を見て、結局その夜は朝方まで付き合った。
その後も、大きな仕事を成し遂げたと、いい酒が手に入ったと、果てはただ呑みたいのだと、何度も盃を交わしてきた。
毎度振り切れぬ誘いは今回も同じで、当然のように押し切られる。
渋々手にしたお猪口に並々と注がれた酒は、たまに飲むものよりも透き通っていて、ふわりと漂う香りもその上等さを窺わせた。
弥勒が軽くお猪口を掲げたのを合図に、犬夜叉も酒を喉奥へと流し込む。
とろりとした舌触りに次いで円やかな香りが鼻から抜ける。
僅かに喉が熱くなる感覚は、いくら飲んでもあまり好きにはなれないと、犬夜叉は半分ほどに減ったお猪口の底を見つめた。

「お前は普段もそうなのか?」

藪から棒にかけられた言葉の意味がわからずに首を傾げると、それを見て弥勒は呆れたように笑い返した。

「お前はいつもかごめ様をそのように見ているのか、と聞いたんだ」

『そんなに見つめられては、かごめ様も穴が空いてしまうだろうに』と揶揄い杯を進める弥勒は、いつになく楽しげだ。
この男は旅していたときからそうだった。
かごめと犬夜叉のふとした仕草や表情を目敏く見つけては、微笑みながら声をかけ『分かりますよ、お前の気持ちは』とか『おなごと言うのは――――』などと要らぬ(時には為になる)知識を授けるのだった。

「……知るか」

否、と否定しない辺り、見つめる視線の熱さに自覚があるのか。
犬夜叉は残った酒をぐいっと煽ると、微かに熱くなった息を吐き出した。

「まぁまぁ、そう不機嫌になるな」

「なってねぇよ」

酒瓶を差し出し空になったお猪口を満たしていく。
犬夜叉はその酒にちびりと口をつけ、次いで漬物を運ぶ。
酒精に混じる程よい塩気に、かごめが今回は上手に漬かったと言っていてたのを思い出した。
なるほど確かにと犬夜叉は自分でも気付かぬ程度に口元を緩め再び酒を煽ると、その一連の動作を見ていた弥勒が静かに口を開いた。

「よかったな」

「あ?」

父となった彼のその眼差しは、なんとも温かくて擽ったい。
なぜ自分にそんな眼差しを向けるのか。
その理由を考え始めた矢先、合った目が奥にいるかごめに移されたのに気がついて、犬夜叉は頷き口元を引き締めた。

「……あぁ」

「犬夜叉。皆、嬉しいのだ」

弥勒は細めた目で、犬夜叉のかごめを見つめる視線を思い出す。
深い深い愛しさの奥に、千切れてしまいそうな切なさを潜ませ、それでも幸せに融けた視線を。

「そりゃあ……」

────嬉しいだろう。
ここに集う者たちは、皆かごめがいたからこそ繋がり紡がれてきた縁だ。
各々の中にあった寂しさも悲しさも苦しさも、いろんなものをかごめは受け入れ癒してきた。
それが突然、別れの言葉もなく消えてしまったのだ。
あの時、一番苦しみ切望し葛藤したのは、他でもない犬夜叉であったが、他の者たちにそれがないわけではなかった。
それでもやはり、皆が先へ先へと歩みを進める中で、犬夜叉だけはどこか時間が止まったように、先へも後へも、右へも左へも、どこにも行けずに、道をなくし佇んでいるかのようだった。
弥勒と共に妖怪退治へと出向き、双児の相手をし、時折七宝と言い合う姿は、旅をしていたあの頃となんら変わりはなかったが、ふとした横顔や揺れる瞳がどこにも行けない苦しさ表していた。
それが、かごめが帰ってきてからというもの、揺れる瞳はしかと前を見つめ、所在なさげな横顔もただひとつの方を向いていた。
犬夜叉の光を零す瞳や、時に戸惑いながらも幸せに緩む頬を見て、どれほど弥勒たちが救われ心満たされたことか。
ふたり寄り添い微笑み合う姿に、いまだに胸は熱くなる。
弥勒は井戸の前で抱きしめ合うふたりを思い出し、うっすらと光る液面を見つめながら言った。

「かごめ様が戻ってきたこともそうだが、そうではない。お前が幸せでいてくれることが、です」

それまでの揶揄うような笑みではなく、ただひたすらに優しく嬉しいと、そう語る柔らかな笑みを向けられて、犬夜叉は運んだお猪口を口元でぴたりと止めた。

「……なんでぇ、それ」

そして弥勒から初めて向けられた表情に戸惑いつつも、照れを隠すようにして酒を煽った。

「かごめ様はもちろんですが、犬夜叉。お前も私たちにとっては仲間であり恩人なのですよ」

「……そんなの、」

『おれだってそうだ』と言葉にはできなかった。
それでも弥勒は察したように微笑むと、さぁと残り少なくなった御猪口に今宵の美味い酒を注いだ。

***

「ねぇ、さっき何話してたの?」

さっきとはいつの事かと首を傾げると、少しばかり過ぎた酒が頭を揺らした。
それにかごめは眉を垂らしてくすりと笑うと言葉を続ける。

「もう、大丈夫?……ほら、弥勒様とお酒飲んでたとき」

「あー……なんでだ?」

「んー、なんか犬夜叉、幸せそうだったから」

『何かなって思って』と微笑んだ後、探るように金色の瞳を覗き込む。
闇夜にも眩い笑みは知らない。
彼女を取り巻く者たちが、その姿にどれほど救われ癒されてきたのかを。
彼女がいたからこその今だということを。
しっとりと冷えた空気が頬を刺す中でも、柔らかな身体が絡む腕はどこよりも温かい。

「……なんでもねぇよ」

「なぁに、私に言えないようなことなの?」

「そんなんじゃねぇ」

「じゃあいいじゃない、教えてよ」

寄り添う身体を更に近づけ、かごめが子どものようにねだる。
きらきらと好奇心に輝く瞳に犬夜叉はうっ、と息を詰めて下手くそな嘘を吐いた。

「……………忘れた」

「あー、やっぱり言えないようなことなんだー。やらしいことなんだー」

「ばっか!ちげぇよ!」

じとりと細めた目と揶揄うような声に慌てて言葉を返す。
今日はなんだか遊ばれてばかりだとため息しても、諦めの悪い丸い瞳に『じゃあなぁに?』と見つめられる。
それにも犬夜叉は言葉を詰めることしかできないで、居心地悪く視線を反らした。

「……今度な。今度、教えてやるよ」

少しだけ耳を垂らしたその姿は、悪戯をした幼子のようにも見える。
どちらかと言えば悪戯しているのはかごめの方なのだが――――。
仕方ないなぁというふうにかごめは笑うと、空いている方の小指を結んでふたりの間に掲げた。

「約束ね」

きゅっと絡む冷えた小指に、犬夜叉は温めるようにして唇を落とす。
何かにつけて約束≠ニ小指を結ぶそれが、じわりと胸に沁みて、温かくも擽ったい。

「あぁ、約束だ」

犬夜叉はまたひとつ増えた約束をしかと胸に刻む。
微笑み頷く声がふたりの唇を湿らせた。
吐息が白く消えていく。
遠く山の向こうでは、もういくつ目かの鐘の音が鳴り響いていた。



   

















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