『待て』を言い渡されて、はや幾日か。 犬夜叉は何を思うわけでもなく、ぼうっと空を見上げていた。 こんなにも腑抜けたようになっているのは、きっと再び出逢えたからだ。 井戸の向こうに見えた青空に、心を震わせたかごめの手を取ったことが、つい昨日のことのように思い出される。 その手に余る小さな温かさに、通じ合った揺れる瞳、ふわりと濃くなった匂いに、抱きしめた華奢な身体の柔らかさ。 どれもこれも、一瞬一瞬の光の粒のきらめきまでをも覚えている。 とはいえ、さほども経っていないのだが。 犬夜叉は思わず指折り数えてみてると、確かに十の指では足らないが、かの三年を思えば微々たるものだった。 けれども、その膝が揺れ、眉根には皺がより、口をへの字にするには理由がある。 ぼんやりとそのときのことを考えていると、鬼さえも背を向けそうな渋面と雰囲気をふと自覚して、犬夜叉は顔を覆った。 日暮れも待たぬうちから始まった宴は、月が姿を見せて尚も賑やかで、声も熱も冷めらやない。 その輪の中心でお猪口を持ちながら顔を赤く染めるのは、ひと口だけと酒を口にしてしまったかごめだ。 ほんの少しだけ席を離れればこれだ。 その姿に犬夜叉は眉を顰めると、すぐ傍らで周りに睨みをきかせる。 まさに番犬さながらだとからかわれながらも、再び口をつけようとしたお猪口をかごめの手から奪い取り、そのままぐいっと煽った。 「あぁっ!」 「ったく、飲めねぇもん口にすんじゃねぇよ」 酒精とともにそう言えば、かごめは真っ赤な頬をぷくっと膨らませる。 「飲めるわよ」 「何言ってんだ。んな真っ赤になって」 「少しなら平気だもの」 なぜ、酔っ払いというものは、皆揃いも揃って自覚がないのか。 お猪口を奪い返そうとする手から逃れるように腕を上げながら、犬夜叉は呆れた視線を投げた。 「馬鹿言ってんじゃねぇよ」 戯れるようにくっつく身体は発熱しているかのように熱い。 幼子のように拗ねる姿にため息すると、犬夜叉はその身を抱え、冷えた風が柔らかく吹く外へと連れ出した。 村人たちからの揶揄や不満を背に受けながら、目指した先は木が鬱蒼と生い茂る森の入り口だった。 熱い身体を木の根にそっと降ろす。 青く苦い、若い匂いが夜の空気に混じりながら、息するたびに身体の内を冷やしていく。 けれどもそれが、かごめにはちょうどいいようで、さわさわとそよぐ風に、気持ちよさそうに目を閉じた。 「寒くねぇか?」 「ん、大丈夫。涼しくて気持ちいい」 火照った頬がゆるりと微笑む。 いつも以上に無防備なその姿に、犬夜叉の腹の奥底がむずむずとざわめいた。 その正体がなんなのか、もちろん知っている。 けれども駄目だと首を振る。 酒に酔ったかごめを手篭めにするようなそんなこと、してはいけない。 犬夜叉はきゅっと口許を結ぶと、腹に力を入れてざわめきを押し込めた。 そしてゆるゆる微笑みながら、ふにゃふにゃと話をするかごめに付き合い、ぽつりぽつりと言葉を交わす。 何気ない話だ。 されどもそれが今は愛しい。 逢えずの時間は、彼女がいなくとも進み行き、犬夜叉の記憶に残ることも多々あった。 ただ、やはりそこに望んだ存在がないということは、こんなにも憂うことなのだと、犬夜叉は隣のかごめを見つめた。 相変わらずの彼女であったが、会わねば気づくことも多くある。 例えばあの頃より、ほんの少しだけ伸びた髪だったり、ほっそりとした輪郭だったり、丸みを帯びた身体の線だったり。 ふと、先ほど抱えたときの身体の柔さを思い出す。 ついでに舌っ足らずな言葉を紡ぐ唇を目にしてしまっては、もう再び震えた理性をどうにかするなど難しかった。 星が綺麗に瞬く下で、ふたりきり。 辺りには誰もいない。 きっと見ているのは、そこらで鳴く鳥や虫くらいだ。 かごめが昔言っていた雰囲気≠ニやらもよいだろう。 まだ熱そうな頬をそっと手で包む。 「犬夜叉の手、気持ちいい……」 邪気なくそう呟きながら、手のひらに擦り寄る姿に堪らないものを感じて、犬夜叉はまだ酒気を零す唇を親指で撫でた。 「……」 つやつやとしたそこは、記憶の中よりほんのり赤い。 薄く開いた奥に見える小さな舌に誘われるようにして、半ば無意識に犬夜叉は唇を寄せた。 そっと触れて離れても、引き寄せられるようにまた触れ合う。 ほのかに充血して潤んだ瞳が丸くなり、ふるふると揺れる。 それが目蓋の奥に隠れて、息つく合間に再び微かに姿を見せるのを、犬夜叉は身体を熱くしながら見つめた。 すっと伸びた睫毛の奥の潤みが増せば、もう止めようがない。 息継ぎに開いた唇の隙間から、するりと舌を滑り込ませて絡め合う。 拙くも情熱的なやり取りは、ただでさえ離せないでいる唇をよりいっそう引き寄せる。 「んん、っ、ふ……ぅん……ん、」 鼻にかかった吐息が零れ、甘さを匂わす。 熱の上がった身体は口づけのせいだけではない。 強く香り始めたかごめの匂いに、犬夜叉は頬を包んでいた手をそろりと首筋へと移した。 そのまま爪先だけで触れていけば、滑らかな肌はひくりと震える。 服の上からでも分かる豊かな膨らみを揉みしだいたのは、ごく自然なことだった。 ふわふわとした柔らかさを堪能しようとすると、かごめはそれまで蕩かせていた目を見開き、細腕で犬夜叉の体躯を押し返した。 「っ、なっ、なにして!」 「何って……ダメなのかよ」 何を、など言葉にするのは無粋だ。 言外にそれを匂わすと、かごめは元より赤い顔を耳まで真っ赤にしながら、ふるふると唇を戦慄かせた。 恥じらう姿に、染まった目元や艶めく唇はいたく扇情的だ。 つい、剥き出しの太腿に手を添えると、かごめはびくりと反応し、その手を制した。 「だ、だめ!!」 「…………なんでだよ」 「なんでって、だって、だって……」 「……」 「そんないきなりなんて、」 慌てながらかごめが紡ぐ言葉は、犬夜叉にしてみれば言い訳にしか聞こえない。 こちとら三年も待ったのだ。 身体を繋げればいいわけではないが、募るのは何も想いだけではない。 「いきなりじゃねぇ」 「っ、」 とはいえ、犬夜叉にかごめの気持ちを無碍にすることなどできるはずもなく。 後退りする腰を引き寄せて、鼻先をくっつける。 そのままこつりと額を合わせて、ぼやける瞳を覗き込みながらぽつりと呟いた。 「……どうしたらいいんだ?」 「え?」 「お前を、おれのものにするには、どうしたらいい?」 静かに問うたそれに、かごめが答えたのは、犬夜叉にしてみれば至極当然のことだった。 『ずっと傍にいてほしい』 むしろ犬夜叉自身が望むことを、かごめは言った。 簡単なことではないのだと、この三年をもって理解はしているが、握った手を離すことなど、もう到底できなくて、指と指とを絡めあった。 当たり前だ、と言った唇を再び寄せようとすると、それを止めたのはかごめの小さな手のひらだった。 ふに、と触れたものは柔らかいが、ほしかったものではない。 不満を露わにする犬夜叉に、ようやくかごめが言ったのは、夫婦となる証がほしいとのことだった。 要は祝言を挙げたいと、そういうことだ。 なんだそれしきのこと頷けば、かごめはぱぁっと表情を輝かせ犬夜叉に抱きつく。 その愛らしく無邪気な反応に、犬夜叉は華奢な背に腕を回すしかできなかった。 そうして気づけば、もう幾日か。 三年も待ったのだから、たった数日、なんならひと月やふた月くらい、なんでもないと思ったのは間違いだったようだ。 触れられるほどの距離に好いた女がいるというのは、思っていた以上に理性や気力、その他もろもろと、いろんなものを削られる。 なぜ昔は平気だったのか、信じられない。 犬夜叉は指折った手を見つめて、深々とため息する。 『待て』を言われただけが理由ではない。 あれからかごめは犬夜叉とふたりきりになると、そうっとその距離を開けてくる。 遠くもなく、近くもなく、微妙に。 それを察して手を伸ばし腰を抱きはするものの、それ以上へと進もうとすると不自然なほどの言葉数で阻むのだ。 (避けられてる……よなぁ……) 原因など明白だ。 あのとき急いでしまったことを悔やみつつも、仕方ないではないかと言い訳する、もうひとりの自分が顔を出す。 それに、触れ合わせた唇に後悔など微塵もあるわけがないのだ。 悶々と思考する犬夜叉がたまらず頭を掻きむしると、微妙に離れていたかごめが首を傾げた。 「どうしたの?」 「……なんでもねぇ」 どうした、などどの口が言うのか。 拗ねた眼でちらりと見たかごめは、ただただ愛らしい。 惚れた欲目だと言われても、ただただ愛しく可愛いのだ。 それを認めてしまえば、想いは止まない。留まることがない。 ふたりの間に置かれた手にそっと指を伸ばす。 わずかに先が触れ合えば、過剰なまでに身体を震わせる。 けれども無視して、絡めて、握って。 そのまま引き寄せ、手の甲に口づける。 「い、犬夜叉っ!?」 慌てふためくかごめを細めた眼で見遣ってから、今度は指先に唇を寄せた。 「味見だけだ」 「なっ、あっ、」 桜貝を思わせる爪先をほんの少しだけ食んで、ちゅうと吸う。 途端に熱くなる肌に犬夜叉は口許だけで笑いながら、そっとかごめの身体を抱いた。 眇めた眼に映る唇は熟れた果実のようだ。 まだ鮮明なその味を思い出しながら、犬夜叉は甘えるように濡れた鼻先を擦り寄せた。 触れ合えば恋の味 |