白く透き通る月が西の空へひっそりと身を寄せる頃、あんなにも瞬いていた星々も次の夜へと静かに隠れる。
甘やかな梅雨の匂いはまだ遠く、青苦さを残した空気をすぅ、と胸いっぱいに吸い込むと、途端に感じる冷たさに犬夜叉は清々しさを覚えた。
ここらで一等大きな木の上は、遠い向こうの地平線までよく見える。
姿の見えない陽の影が、光を連れて空を淡く照らしている。
心地のよい、微かな葉擦れを聞きながら犬夜叉はぼんやりとそれを眺めていた。
極々浅い眠りから醒めたのは、つい先ほどのことだ。
少し離れた、けれども犬夜叉の脚でひと飛びふた飛びすれば辿り着くところにある廃寺には、まだ皆がすやすやと眠っている。
別に、何があったわけでもない。
ただなんとなくあの場で陽が昇るのを待つには、長すぎると思ったのだ。
とは言えここでひとり、見なれた夜明けを見ることが面白いと言うわけでもないのだが。
きっとまだ夢の中を揺蕩う彼女であれば、この柔らかく色を変えていく空を見て、その瞳を輝かせるのだろう。
綺麗だと喜び微笑んで。
できることなら今、隣に寄り添い眺められたらいいのだが、深く眠りを貪るかごめには到底無理なことだろう。
万が一にも目が覚めて、犬夜叉の姿を探したとしても、緑豊かに生い茂るこの中は、きっと誰にも見つけられない。
だから、また今度、いつか見せてやろう――――そう夜遅くまで細い灯りを頼りに書物を読み耽っていたかごめを想うと、ふいに鼻先が嗅ぎなれた匂いを見つけた。
まさかと面を上げると、聞きなれた声で名前を呼ばれる。

「犬夜叉ー」

声を辿り下を見遣れば、まだ寝巻きのままのかごめが木の根の上でこちらを見つめていた。
朝の空気は冷えるからと、その身に置いてきた火鼠の衣を細肩にかけながら、ひらひらと手を振っている。

「お前、何やってんだ」

「おはよう。犬夜叉がいなかったから」

犬夜叉は眼を丸くしながらかごめの元まで降り立つ。
ふにゃりと笑い律儀に朝の挨拶をするかごめは、よくよく見ればまだほんのりと眠そうだ。
彼女が自分を探していた理由を浮かべるが、ゆるゆるとしたその表情にそれも掻き消え、犬夜叉は口元を緩めた。

「ね、何見てたの?」

「……別に、なんでもねぇよ」

つい先ほど彼女のことを想ったはずなのに、素直に言葉が出てこない。
決して柄にもないと照れているわけではない。
きっと明け始めた夜のせいだと、犬夜叉は口篭りそっぽを向いた。
けれどもかごめはそれを気にも留めずにふわりと微笑むと、知っていたようにねだった。

「ねぇ、連れてって」

そう、犬夜叉へと伸ばされた腕が首に絡む。

「犬夜叉が見てたもの、私にも見せて」

少しばかり冷えた指先が銀糸を絡めて項に触れる。
冷たさが肌に染み入り、胸の底にほんのりと温もりを灯す。
そのこそばゆさに、思わずふ、と息が詰まる。

「……少しだけだぞ」

「うんっ」

犬夜叉の返事にすぐ目の前の笑みは華やいで、細い身体が身を寄せた。
それを大切に抱きしめ、こっそりと黒髪に鼻先を埋めると、かごめの匂いの奥で微かに夜の甘さが香った。
犬夜叉はきらきらと光る瞳を思い描いて、緑の中へと跳躍する。
ささやかな葉擦れが混じる声は、夜明けのように明るくて、ときんと胸を鳴らす。
陽はまだ姿を見せない。
群青の柔らかな帳の下で、ふたりは静かに身を隠した。



   
















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