一瞬離れた唇が、薄日に当てられ瑞々しく光る。 つい先ほどまで綺麗に彩られていたはずのそれは、気づけばもう剥がれかけていた。 うっすら見える素の唇は、いつもより赤く熱を持つ。 その隙間から、ほろりと吐息が漏れ出て犬夜叉のそれと混ざりあう。 その熱のわずかなうねりを感じながら、ぷっくりと膨らんだ唇の理由をふと探し、『あぁ、自分が吸ったのだ』とそう考え至ると、今度は少しだけ牙を立てながら喰いついた。 その日、かごめが紅を差したのは、“なんとなく”ただそれだけだった。 たまたま開けた葛籠のなかに、大切に大切に仕舞っていた貝紅を見つけたのだ。 それは、嫁いで間もない頃に、犬夜叉が土産だと贈ってくれた品だった。 真っ赤な顔をした彼はどこか不機嫌そうで、けれどもうろうろと彷徨う瞳の奥は不安げで、ようやく呼んだかごめの名前はどこか震えていた。 振り返り見たかごめの目にはそんな犬夜叉の姿と、その手のひらの上にちょこんと置かれた貝紅がひとつ。 柔らかく描かれた桜の花が印象的な品だった。 『ん、』 差し出されたそれを、おずおずと受け取りながら合わさる貝をそっと開く。 隠すものでもないけれど、なぜだか手のひらのなかでこっそりと見ると、かごめは目を瞬かせた。 『これ、私に?』 『ほかに誰にやるってんだよ……』 笑みを咲かせながら素直に気持ちを言葉にすると、かごめはいそいそと鏡を手に紅をつけた。 なぞる薬指を追いかけるように、桃色の唇がそっと色づく。 柔らかく愛らしさを含んだ朱は、かごめの肌によく映えた。 紅を乗せた、たったそれだけで、いつもとはまるで違う自分になれたようで、なによりも犬夜叉からの贈り物が嬉しくて嬉しくてついはしゃいでしまった。 だからそのときは、胸を高鳴らせながら振り向き見た犬夜叉が、目を反らし顔を隠した理由にも気づかなかったのだ。 帰路へつき大した会話もしないまま、小さな頭を引き寄せたのは、その唇が朱かったからだ。 『おかえりなさい』と微笑む表情は優しく綻び、口元は艶めかしく弧を描く。 思わずそれに見惚れて、分けてもらった作物も放り投げると、犬夜叉はいつもより白く透けて見える頬を撫でた。 「犬夜叉?」 「……つけたのか?」 「え?あぁ、うん。見つけてね、久しぶりにつけてみたの」 「そうか」 あのとき反らされた目は、今はまっすぐに一点を見つめる。 無骨な親指が丁寧に唇の線を辿る。 「い、」 戸惑いながらかごめが呼ぼうとした名前が、聞こえることはなかった。 ふわりと触れた唇が、そっと離れてまた近づく。 啄み、短く吐息だけを残しながら、さらに深く繋がろうとする舌先に細い肩が揺れる。 間近で伏せる白い目蓋が、ほの赤く染まっていく。 なだらかな睫毛が見せる薄い影が、吐息に合わせて震えるのを見つめながら、犬夜叉はかごめの身体をきつく抱いた。 そうして絡ませた舌を解いて、紅のとれかけた唇を舐めると、ようやくかごめは目蓋をあげた。 「っ、はぁ、」 つ、と伸びた細い糸が、途切れてぱたりと小さく肌に跡を残す。 かごめはその先を濡れた瞳で辿る。 奥に潜む鋭い牙に、長く赤い舌先。 名残に濡れる唇はぬらりと光っていた。 それがいつもより朱く見えるのは、かごめのつけていた紅のせいだろう。 (せっかくつけたのに……) 「……落ちちゃう……」 細い指がそこを辿り、銀髪を絡ませながら頭を引き寄せる。 囁きを唇に感じながら、犬夜叉は髪を撫でゆるく柔らかく目を細めた。 「あとでつけてやるから」 「ん、」 指先が求めるように背を伝う。 犬夜叉はそれに焦れながら、紅の剥がれかけた唇を甘く食んだ。 ありきたりな唇 |