柔らかな陽に照らされながら、芽吹く緑は活き活きと輝く。
静かに厳かに、どこか張り詰めた空気のなかでも、綿帽子の奥の表情が幸せに溢れているとわかるのは、すぐ傍らに彼がいるからだった。
隠れた隙から微かに見える頬は桜色に染まり、小さな唇はきれいに彩られる。
犬夜叉がそれをこっそり盗み見ていると、祝詞を終えた楓がひとつ大きく咳払いをした。
慌てて目線を直しながら、じろりと見遣る視線には気づかないふりをして、誤魔化すように促された盃を手に取った。
いつもとは違う酒の匂いが鼻を突く。
どこかそわそわとした、不安とも期待とも違うものを感じながら、犬夜叉はそれに口をつけた。
そして同じ盃にかごめが唇を寄せていく。
微かな衣擦れの音だけを響かせながら、朱塗りの縁に朱い唇が触れる。
柔らかなその線が溶け込みそっと離れていくのを、犬夜叉がどこか夢のように見つめていると、再び楓の咳払いが聞こえ、次いでかごめの微笑みが耳を擽った。

「見すぎよ、犬夜叉」

『照れちゃう』と言う声は楽しげで、けれどもその頬や目尻は恥じらいに染まっていた。
その仕草に犬夜叉は心射抜かれながら、今にも溢れ流れてしまいそうな想いをぐっと堪える。
今すぐ抱き寄せて、その頬に触れたい。
細い身体にきつく腕を絡みつかせて。
自信の欠片もないけれど、口づけはできる限り優しく。
真白に包まれるかごめの姿を誰にも見せることなく、ふたり柔らかな時間を過ごしたい。
どうにもならない気持ちを、どうにかして抑え込む。
そんな彼を尻目につつがなく儀式を終えると、もう待てぬとでもいうように、犬夜叉はかごめを抱き上げた。

「きゃっ!えっ、犬夜叉?」

「もう終いだろ」

そう一言だけ言い捨てると、庵の入り口で犇めいていた村人たちをすり抜けて、風のように駆けて行った。
残された者たちは用意していた祝いの言葉をかけることも、可憐な嫁御の姿を一目見ることも叶わずに、突然の出来事に唖然と口を開けるばかり。

「やれやれ、あやつめ、式の最中もそわそわそわそわと……気もそぞろじゃったわい」

「辛抱ならなかったんだろうねぇ」

呆れため息する楓に、辺りからはくすくすと笑みが零れる。
待ちわびた想い人を誰の目にも触れさせんとする犬夜叉は、呼びかけただけでも牙を剥きそうであった。
仕方ないね、と笑う珊瑚の横では、かごめへと渡すはずだった花を握りしめながら、七宝が頬を膨らませる。
ずるいとぼやく小さな頭を撫でながら弥勒も微笑み、もうとうに見えなくなった山の方へと目を遣った。

「まぁまぁ、よいではないですか。なにせ三年も待ち続けた今日なのですから」

澄んだ空の下で花が舞う。
優しく温かく風が光った。

***

いつもより随分と早くに目覚めたのは、肌を刺す寒さがやたらと鋭かったからだ。
うつらと目蓋を上げながらまだ暗い室内を見回して、戸の隙間から漏れる光に空が白み始めていることを知った。
まるで真冬のような寒さに再び眠ることもできず、珊瑚はそっと布団を抜け出す。
掛けていた夜着を真横で眠る我が子や夫に掛けると、軋む床をそっと静かに踏んで、薄く開いた戸の向こう側を見、思わず声を漏らした。

「雪……」

昨日までの緑萌ゆる景色が嘘のように、輝く銀砂に覆われている。
地も空も、向こうの山奥まで真っ白だ。
色づく花や緑の上に積もる雪景色は、それはそれは美しく、けれどもどこか儚げだった。
その光景を暫しの間、魅入られたようにぼんやりと眺める。
すると冷たくなり始めた身体に、柔らかな温もりが触れた。

「珊瑚、冷えますよ」

その声に振り向くと、細い肩に法衣を掛けながら弥勒が柔和な笑みを珊瑚に向けた。
そして同じようにして戸の隙間から外を見ると、白い息とともに驚嘆の声を漏らした。

「はぁ、雪ですか。どうりで寒い」

「ね。春に雪なんて初めて見たよ」

「私もです。こんな見事に……どこぞの犬が花を隠したからでしょうかねぇ」

くすくすと笑いながら降り積もる白銀を見るその目は、たった昨日までの光景を思い浮かべているように見えた。
柔らかな春の陽射しのなかで穏やかに微笑む、美しく幸せなふたり。
かごめの唇に紅を差したそのとき、目頭が熱くなった感覚を珊瑚は思い出した。
涙の伝う頬を拭った指の細さも、『早いよ』と揶揄うように言う湿った声も、触れ合わせた額の柔らかさも。ありありと。

「……ふたりとも、大丈夫かな」

胸の奥が、思い出に熱くなり、思い描いた夢に膨らむ。
珊瑚は弥勒の肩に頭を寄せながら、それを大切そうに抱えた。

「なに、心配せずとも平気でしょう。もう互いがいるのですから」

表情は見えずとも、きっと目尻は濡れていることだろう。
弥勒は妻の真意を汲み取ると、そっと細肩を抱き寄せた。
足跡ひとつない雪面に、銀花ははらはらと降り続く。
柔らかな雪は、ほそやかに花を濡らした。


それから幾日後か。
犬夜叉とかごめが村へと帰ってきたのは、吐息も凍るような寒さのなかで降った雪が、隠した花を露わにする頃だった。
春に色づく花のように頬を染めたかごめと、むず痒そうな顔をしながらも幸せに蕩けた眼をした犬夜叉はひたりと寄り添い合う。
そっと互いを見遣る視線はもう甘くて熱くて、近づいたその距離を弥勒が揶揄うと、ふたり揃って顔を赤くした。
そして数日ぶりに村に響く声にけらけらと笑いながら、離れることのない手の結び目を見つめ、珊瑚は涙を拭った。



   花隠し


















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