事前に辰也くんに電話はしなかった。
いなかったら置き手紙してポストに鍵を入れればいい。
正直辰也くんと直接話して平気な自信はなかった。
辰也くんの部屋の前で深呼吸し、いませんようにと鍵を回して部屋に入ると明かりが点いていて辰也くんはソファーに座っていた。
私に気付いた辰也くんはこちらを見たあと「おかえり」って微笑んだ。
出てくつもりでここに来たんだからただいまっていうのもなんかヘン。
どうしようかと立ち尽くしていると首を傾げた辰也くんが私の元へとやってきた。

「どうしたの?入らないの?」

「あ、うん」

とりあえずヒールを脱いで部屋へと足を踏み入れる、けど私はまたその場で立ち止まった。

「名前ちゃん?」

「あ、あのね……」

今日は言わなきゃいけないことがあってきたのに私の口は動いてくれない。
辰也くんからしたら付き合ってるフリしてただけだし別れようって言うのもなぁとか、私から終わりを告げるとか辰也くんのプライド傷つけないかな、とか色々と考えてしまう。
でも言わなきゃ、言わないと涼ちゃんと一緒に住むなんて無理、出来ない。

「あのね、今日は話があってきたんだ」

「それって良い話?それとも……悪い話かな?」

良い話なのか悪い話なのか。私にとっては悪い話。辰也くんにとっても……私からお金もらえなくなるんだから悪い話だと思う。

「とりあえず、座って話そうか」

「ううん、ここでいい」

私はまだ辰也くんが好きだから、長い時間一緒にいたら感情に負けちゃいそうだし断る。
早く、早く話さなきゃ。私はなんとか言葉を搾り出す。

「今まで、ありがと」

「それって……。なんでか聞いていいかな?」

辰也くんは一言で察してくれたらしい。困ったような表情で私を見つめている。

「……辰也くん昨日、追いかけてきてくれなかったから」

もちろんそれだけじゃない。涼ちゃんのこともある。けど辰也くんには言う必要ない。

「名前ちゃん、あれは……他の奴と居ても名前ちゃんが俺を選んでくれるって信じてたからだよ」

私の言葉に焦ったような感じで両肩を掴み、顔を覗き込んできた。
辰也くんが焦ってくれて、それが演技だとしても内心嬉しいとか思ってる私はやっぱり辰也くんが好きなんだろう。いつこの感情は消えてくれるの。

「好きでも、辰也くんが一番でも、辛いモンは辛いんだよ。それに、私が他の男に中出しされたって言っても取り乱したり怒ったりしなかった」

「無理やりされたかもしれないだろ?そんな彼女に怒ったり取り乱したりなんて出来ないよ」

「知り合いのバンドマンにされたって言ったのに、繋がりだってわかるはずなのになんも言わなかった」

「それは、」

「最初から薄々気付いてたからもういいよ。言い訳なんてしなくったって辰也くんのこと恨んだりしないから大丈夫だよ」

私の言葉に一瞬驚いた表情をした辰也くんに抱きしめられた。

「……名前ちゃんのことは、ちゃんと大事に想ってたよ。今までの子の中で、一番良い子だった」

辰也くんの言葉で、やっぱり私のこと好きじゃなかったんだと気付いてちょっとだけ吹っ切れた。
涙は出ない、それどころか何故か笑みが浮かんだ。

「辰也くんに良く見られたかっただけ。辰也くんは女の子騙すならもうちょっと嫉妬したり束縛したりするような演技したほうがいいかも」

辰也くんを軽く押し顔を上げ、私が笑いながら冗談を言うと辰也くんは悲しげに笑った。

「名前ちゃんは、別れるっていうのに泣いてくれないのか?」

「泣かないよ」

大好きな辰也くんとの最後だとしても、私は泣くわけにはいかない。
昨日の夜の涼ちゃんの台詞が頭の中で何度も繰り返される。
これから涼ちゃんが迎えに来てくれるっていうのに泣き顔を見せるわけにはいかない。

「本当にいままでありがと。辰也くん王子様みたいで、一緒に居て幸せだった」

「……姫に金を出させる王子なんていないよ。本当に俺のこと恨んでないの?」

「恨んでないってば」

「……名前ちゃん、もうお金はいらない。もらってたお金も返すって言ってもどうしても別れたい?」

「うん」

嘘、本当はぐらついてる。でも涼ちゃんの表情とか言葉とかが頭に浮かんで私は今日で終わりと言葉を紡ぐ。

「じゃあ、友達は?友達としてこれからも仲良く出来ないかな」

「ごめん」

「ライブには?きてくれる?」

「ううん、いかない」

「パスが嫌ならチケあげるから」

「ううん」

なんで、最後にこんな引き止めるようなこというの。
私の決心が鈍らないうちに早くここから立ち去りたい。
嬉しいのに、喜んじゃ駄目だと脳内の涼ちゃんが邪魔をする。

「俺のこと、嫌いになった?」

「違うよ、そうじゃない、違う」

「じゃあなんでだい?……涼太か」

私が黙り込むと「図星か」と溜息を吐いた。
そして顔が近づいてきたかと思ったら次の瞬間にはキスされた。

「どうして……」

「名前ちゃんを手放すのが惜しくなったから。本当にお金はもういらないから……ね?」

「私のこと好きじゃないくせに」

そういうと辰也くんは無表情になった。多分私も無表情。
こんなこと、私の口から言わせないで欲しかった。

「でも、これから好きになるかもしれない」

辰也くんの言葉にどんな反応をしたらいいかわからない。
やっぱり、涼ちゃんについてきてもらえばよかったのかもしれない。
そうすればこんなにぐらつかなかったかもしれない。
かもしれない、かもしれない、私が考えていることも辰也くんの台詞も全部想像だ。

「……私の荷物纏めてもいいかな」

「ダメ」

「時間がないの。迎えにきてもらう約束してるから」

「涼太に?」

「うん、だから急がないと」

「ダメ」

ちょうどその時、私のケータイの着信音が鳴った。
涼ちゃん指定にしてる天帝の曲はなんだか場違いだった。

「電話、出ちゃダメ」

バッグからケータイを取り出すと辰也くんに奪われてしまった。
そしてあろうことか辰也くんが電話に出た。

「涼太?名前ちゃんは俺と別れないよ。え?嘘じゃないさ。名前ちゃんは今シャワー浴びてる。俺もこれからは貢がせたりしない。それなら涼太も安心できるだろ?」

「辰也くん嘘言わないで!涼ちゃん!」

最初は辰也くんの言葉を聞いてることしか出来なかったけど、昨日の涼ちゃんの声が頭を掠めて思わず大声を出した。

「はぁ、名前ちゃんダメじゃないか。あー涼太、とりあえず名前ちゃんは出て行かせないから」

辰也くんはしばらくボタンを押してからケータイを閉じて笑うと、私からバッグも取り上げて手を引っ張られた。

「とりあえず入りなよ。夕飯にはまだ早いし、昼寝でもする?」

「辰也くん、」

男の力に敵うはずがない。そのまま部屋へと引き入れられた。
もうここには一秒でも長く居たくないのに。
涼ちゃんよりも自分の感情を優先しそうになっちゃうから早く、一刻も早くこの部屋から出て行きたい。
半ば無理やりソファーに座らされ、辰也くんは私の肩を抱いて座った。

「ちなみに、これは演技じゃないよ。名前ちゃんは演技してないほうがお好みらしいから」

「どういう意味?」

「演技でもなんでもなく、名前ちゃんと一緒に居たいってこと。これからは名前ちゃんの前で演技するのも自分を偽るのもやめるよ。王子様っぽくはなくなっちゃうかもしれないけどね」

「……私は出てくし、もう辰也くんとは会わないよ」

「本当に出て行きたいとか俺と会いたくないって思ってる?」

「思って、るよ」

「俺より涼太の方が好きなの?本当に?」

質問されてるだけなはずなのに、責められてるみたいで涙が滲んでくる。もうやめて、私の決心を鈍らせるのはやめてよ。そう言いたいのに声に出ない。

「名前ちゃんさっき泣かないって言ったじゃないか。なんで泣くの?そんなに涼太が好き?泣くほど涼太の所に戻りたい?」

違う。今度は本心が口から零れそうになる。言葉の代わりにどんどん涙が零れていく。

「わ、私本当にもういかなきゃ」

「そうだね、さっきの電話で涼太も気が気じゃないだろうしすごい心境だろうね。でも残された俺は?俺の気持ち考えてくれないの?」

「私、」

「名前ちゃんは優しいから、こんなに引き止めて一緒に居たいって言ってる俺を残してったりしないよね?」

辰也くんの考えていることがわからない。きっと、捨てようと思ってたおもちゃが他人の手に渡るってわかって惜しくなった子供みたいな心境だとは思うけど、それも想像でしかない。

「名前ちゃんはどうしたらもう一度俺のこと見てくれる?」

また顔が近付いてきた瞬間、インターホンが鳴った。
溜息を吐いた辰也くんは「ネットで頼んだやつかな」なんて玄関まで行ってドアをあけた。

「涼太……?どうして俺の家がわかったんだ?」

「大我っちに聞いたんスよ」

玄関を見ると涼ちゃんがいた。そして私の顔を見たあとすごい形相で私の所までやってきた。

「涼太、うちは土足厳禁なんだけど」

「辰也サン、何泣かせてんだよ」

「別に俺が泣かせたとは限らないだろう?それに、涼太も彼女を泣かせたことがないとは言わせないよ」

「名前、荷物は?」

「だから、名前ちゃんは出ていかないって俺が言っただろ?」

「……もう荷物はいい。全部新しいの買ってあげるから早く行くッスよ」

「う、うん……」

涼ちゃんはそばにあった私のバッグを持ち、手を引っ張られて玄関の前まで行くと、もう片方の手を辰也くんに掴まれた。

「名前ちゃん、行かないで」

「何言ってんスか。名前のことなんとも思ってないくせに」

「気が変わったんだ。これからは貢がせたりしないし大事にする」

「名前のこと好きだって言うんスか?笑わせんなよ」

「まだ好きまでは行ってない。でもこれから好きになるかもしれないだろ?」

「かもしれない、ってずいぶん曖昧なんスね」

「じゃあ涼太はどうなんだ?」

辰也くんを睨んでいた涼ちゃんは私の顔を見た。
昨日ベッドで聞いた同じ言葉だったら聞きたくない。昨日は寝たフリしてたからいいけど、面と向かって言われたらどう反応していいかわからない。

「俺は、名前のこと好きだよ」

聞いてしまった。私は反応も出来ずに涼ちゃんを見つめたまま。
すると辰也くんの声が響いた。

「じゃあ、名前ちゃんの気持ち聞いておきたいな。俺と涼太、どっちが好き?」

本当のことは言えない。かと言って嘘も吐けない。涼ちゃんは私の気持ちを知ってるから嘘なんてつけない。多分嘘吐いたら涼ちゃんが傷つく。本当のこと言っても傷つく。

「そんなん聞くまでもないっしょ。わかりきってることッスよ」

「……すごい自信だな」

その一言に涼ちゃんの顔が歪んだ。

「辰也くん、私行くね」

もうなんでこんな展開になってるのかわけがわからない。
すっきり終わらせて涼ちゃんに迎えに来てもらうはずだったのに。
私の言葉に腕を掴んでいた辰也くんの手も涼ちゃんの手も離れた。
私はヒールを履いて、今度は私が涼ちゃんの腕を掴んで振り向かないように部屋を出る。
辰也くんがどんな表情をしているのか私にはわからなかった。否、見ないようにした。
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