「なぁ、別れてくんねーかな」

泣きじゃくる彼女を家まで送る途中、俺は意を決して切り出した。
名前ちゃんの家に行く時に彼女が俺の後をつけていたのは確かだろう。
彼女の事は確かに大事だった。
でも名前ちゃんと彼女を天秤にかけたら、名前ちゃんに傾くことに気付いてしまった。
名前ちゃんが彼女の髪をひっつかもうが、怒鳴ろうが、彼女を庇う気にはなれなかった。
それどころか、堂々と名前ちゃんの味方をして宥めていたアイツに嫉妬する始末。
さっきの場面を第三者が見たら確実に名前ちゃんが悪者だ。それはわかっている。
ただ、名前ちゃんが彼女を嫌いなタイプだと言った時、最低な事に共感しそうになってしまったのだ。
別れを切り出した俺に、彼女は嫌だと縋り付いてくる。名前ちゃんはそんなことしない。口から零れそうになる言葉をなんとか押し留める。
俺は確実に清志さんの二の舞となる。そう確信するくらい名前ちゃんの存在が大きくなってしまった。なんでも名前ちゃん基準で考えてしまう。
そこまで可愛いわけでもない、性格は最悪の部類に入る、しかもクソビッチ。
彼女の方がまともで普通でいい彼女なのはわかっているが、それでも名前ちゃんを選ばずにはいられない。
本当に最初は軽くてテキトーな関係だったはずだ。
それが、いつの間にか侵食されていた。
早期発見が出来ず、気付けば末期癌だった。そんな感じだ。

「浮気してたのは悪かった、ごめんな。でも」

「あんな人のどこがいいの!?さっきの男の人だって、和君だって、おかしいよ。確かに顔は私より可愛いかもしれない、スタイルだって私よりはいいかもしれない。けど……」

「お前はさ、確かになんでも出来るしいい彼女だったと思うよ。でもいつからか一緒にいるのが苦痛になってったんだ。そんな時、名前ちゃんと出会って、だらしないとことかテキトーなとことか、そういうのが心地良くなって……。全部俺が悪いんだよ。最低なのは俺だから」

「そんな……ねぇ、悪いところがあるなら直すから、別れたくないよ……」

縋るように言う彼女に、俺は淡々と言葉を返す。

「悪いとこなんてなかった。逆に悪いとこがなかったせいで俺が勝手に疲れちまった」

「私も、あの人みたいに掃除もしないようなテキトーな人間になればいいの?髪の毛染めて、香水つけて、厚化粧して、そうすれば別れなくて済むの?」

「……お前には、名前ちゃんみたいにはなれねーって。それに名前ちゃんは自分を曲げたりしない」

本当に俺は最低な人間だ。
わざと彼女と名前ちゃんを比べるようなことを言う。そうすれば、俺を嫌いになって別れてくれるんじゃないかって。
彼女は酷く傷付いた表情を浮かべている。少し胸が痛む。しょうがない。俺のせいだ。

「仕事に口出されるのも、生活に口出されるのも、タバコやめてって言われるのも、お前の夢見がちな発言も、苦労を知らなさそうなところも、いつしか全部全部苦痛に変わっちまった。価値観が合わないんだよ」

「和君……私……」

「だから、お前と真逆な名前ちゃんに癒しを求めた、サイテーだろ?俺は明るい髪色の方が好きだし、シャンプーの匂いより香水の匂いが好きだし、化粧は濃い方が好きなんだよ」

ここまで来たら、もう全部言ってしまった方がいい。俺の事を諦められるように、いっそのこと嫌ってしまえるように。
彼女は俺の話を聞き終えたあと、茫然としていた。

「だから別れてくれ。別れたくないっていうなら、浮気相手でいいなら相手はする。けど俺が好きなのは……」

「もう……いい……別れてあげる。バイバイ」

俺の言葉を遮り、彼女は走り去って行った。
これで終わった。彼女との数年間が終わった。
俺はいつかこの日を後悔する日が来るんだろうか。いや、絶対来るだろう。
よりによって、俺が選んだのは名前ちゃんだ。でも名前ちゃんになら弄ばれようが酷い仕打ちを受けようが許してしまう気がした。



**********



名前ちゃんの家のドアノブを捻るとすんなりとドアが開く。
足元を見ると、脱ぎっぱなしで散らかった複数のヒール、そして男物の靴が一足。さっきの、確か桐皇の大輝だったか。まだいたのか。

部屋へと足を運ぶと、そこにはタバコを吸いながら漫画を読む男。

「あれ、名前ちゃんは?」

ちらりとこちらを見やった男ーー大輝でいいか、大輝は漫画に視線を戻すと呟いた。

「疲れ切って寝てるから、起こすなよ」

「オッケー」

「で、お前は和成だったか、彼女はどうした」

「別れた」

俺の言葉に漫画を閉じた大輝は、座れよと促して来た。
従わない理由はない。正面に座ると、俺の顔をまじまじと眺めてくる。

「また名前と付き合うつもりか?」

「名前ちゃんがさっきのこと許してくれたら、だけど」

「……じゃあ言わせてもらうが、俺はお前と名前が付き合おうが会うのをやめたりしねーぞ」

「それって宣戦布告ってヤツ?」

「彼氏持ちの名前に手出したりしねーよ。アイツを最低な女にしたくねぇ」

そう言った大輝の表情は真剣そのものだ。
名前ちゃんが言うようにいい奴だ。いい奴というよりも、いい男だ。これは名前ちゃんがべた褒めするのもしょうがない。けど、やっぱりコイツはーー。

「名前ちゃんの事好きっしょ」

「だったらなんだよ」

やっぱり。好きでもない女にここまで優しくする男なんて滅多にいない。名前ちゃんはそこら辺気付いてるのか……気付いてそうだよな性格的に。

「自分が付き合おうとかは思わねーの?」

「付き合えるモンならとっくに付き合ってる。逆に聞くが、さっきの名前のキレっぷりを見て付き合いてぇのか?」

さっきの名前ちゃんは結構怖かった、が、名前が何故あんなに感情を爆発させたのかが気になってしょうがない。今まであんなのは見たことがなかった。心配だというのが一番。

「ただ心配なんだよなぁ。名前ちゃんってなに考えてんのかわかんない割に結構感情の起伏激しーっぽくて……宥められるか俺ちょっと不安だわ」

「ああいう状態の時に少しでも否定するような事言うと悪化すっから、味方になって全部受け入れればそのうち収まる」

大輝は、あろうことか俺にアドバイスをくれた。
さっきのはちょっと大変だったと溜め息を着く大輝に、コイツすげーと感心することしか出来ない。
宥められる事がじゃない。自分が好きな女の事を好きだろう他の男にアドバイス出来る事が、だ。

「仮にテメェが付き合えたとして、別れたら名前は俺のとこに来るだろうから俺に遠慮すんなよ」

「言われなくても、遠慮なんてするわけないっしょ」

早く起きて欲しい。そしたら謝って、別れた事を告げて、今まで通り……あわよくばまた付き合えたらいいと考える。ホスト始めた時より堕落したな、俺。
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