「一希、出来たから手洗っておいで」
えっ!?この状態から入れる保険…は無かった。手だけじゃなくて首も洗ったほうがいいとかある?
鈴入りのボールに飽きてロープのおもちゃで綱引きして遊んでいたところを呼ばれる。ロープを引かれてラグの上を引きずり回されていたので、丁度ハロさんの体力が無尽蔵なのを思い出して後悔しているところだった。その点に関してはありがとう。どちらにせよ気が進まない俺は、小さな声で「ハァイ…」と返事をしてロープから手を放す。キョトンとしたハロさんも、零にご飯だと呼ばれて弾丸の如く吹っ飛んでいった。
俺も後に続いてのろのろと洗面所に足を向けると、後ろから着いてきた零が踏み台を出すのを面倒臭がって俺を抱き抱えた。これは食卓に着くのが怖くてわざとゆっくり行動しているのを見越されていると見た。そのまま子供用の椅子まで輸送されて、ちょこんと乗せられる。
いつの間にか目の前にランチョンマットとスプーンが置かれていた。丁寧な暮らしである。嵐の前の静けさに震えていると、渾身のドヤ顔をした零がキッチンの方からやってきた。大きいのと少しこぶりなの、皿を二つ持っている。さぁ、何が来る…?ぐっと身体に力を入れて身構えていると、零がふと笑って俺の横に立った。
「はい、どうぞ」
「…わぁ」
目の前に置かれたオムライスには、日本の国旗が立っていた。滑らかな薄焼き卵でくるりと綺麗に巻かれて外からは見えないケチャップライス。鮮やかな黄色い卵には、ケチャップで「かずき」と書かれている。卵が破れている様子も、焦げている様子もない。形だって綺麗な細長いレモン型だし、つやつやしていいにおいもするし、まるで喫茶店で出てくるような逸品だった。
「ぱ、ぱぱどの…」
「何だその呼び方は…」
驚いて零の顔を見上げてしまう。いや、想像していたものと違い過ぎていてびっくりしていただけだ。俺は全然トマト味のポン菓子とスクランブルエッグが出てきても微笑んで全てを受け入れるつもりだったけどこれは逆方向の驚きである。
「れい、すごいねぇ…」
驚いてそれ以外言えなかった。スプーンを握ってまじまじとオムライスを見下ろす。名前の周りに散らばった星も描かれている。随分余裕のある調理だったらしい。困惑して微妙な反応をしている俺を見て、零が笑みを引っ込めた。
「…一希?もしかして、オムライスあんまり好きじゃないのか?」
「えっ?」
思いもよらない問いに素っ頓狂な声を上げてしまう。た、確かにそうだ驚き過ぎて子供っぽい「きゃー!」みたいな反応を忘れていた。普通の驚いたおじさんになっちゃった。いけね、とプラスチックの柄のスプーンを握りしめると、パパ殿は確信を得たように眉を下げた。
「…その、ごめんな、子供が好きそうな物で考えたから…一希の好きな物を聞いてなかったな」
そう苦笑した零の、どことなく寂しそうな表情につきりと胸が痛む。目の前の美味しそうなオムライスを片付けようとしたのか、皿に伸びた零の袖を咄嗟にきゅっと掴んだ。それから零の垂れ目をじっと覗き込む。
「…だいすき」
俺は子供舌なのでオムライス大好きだぜ…!あとハンバーグとカレーも…!というテレパシーを、零の脳に直接送るように見詰める。不思議そうに目を丸くしていた零が、徐々に笑顔を取り戻して俺の頭にぽすん、と手を置いた。
「パパも一希のこと大好きだぞ?」
「おむらいす!だいしゅき!たべゆ!」
いや間違ってはいないけど今のはそういうことじゃない。滑舌を犠牲にして大声で訴える。まったく、ちょっと優しくすると調子に乗るんだから!ぷく、と頬を膨らませようとしたが、零が嬉しそうににっこにっこしているのを見て思わず俺も顔を綻ばせてしまった。勿論、オムライスが嫌いなわけではない。綺麗に仕上がったオムライス越しに俺の知らない降谷零を垣間見た気がして、何だかちょっとだけ、寂しかっただけだった。
list
- ナノ -